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運命ドミネイション  作者: 櫟 千一
3月21日
40/87

39話

「……ちまき」

 葉夏上さんの母親であろう人が葉夏上さんの名を呼んでいる。葉夏上さんは突然その場に蹲る。

「うっ、おええ……」

 嘔吐している葉夏上さんを見て、急いで僕たちは駆け寄る。

「ちまきちゃん! 大丈夫かい!?」

「大丈夫ですか! しっかりしてください!」

 稟堂は懐からティッシュを取り出し、葉夏上さんの口を拭いている。

 葉夏上さんの家族であろう人たちは、ただただ吐いている光景を見ているだけだった。

「な、何で……ここにいるの」

 かすんだ声で葉夏上さんは家族に問いかける。

「散歩中よ。ちまきは?」

「……あたしも」

 ただただ葉夏上さんは目に涙を溜めながら返事をしている。それにしても、本当に家族なのだろうか。家族なら、自分の娘が吐いていると心配もするはずだ。心配する素振りすら見られない。

「あなた達、葉夏上さんの何なんですか?」

 前に出た稟堂は睨みながら問いかける。

「あなたこそ誰なのですか? 私たちはちまきの家族よ」

「私たちは葉夏上さんの友達です。それよりも、自分の娘が吐いているのに心配するどころか蔑んだ視線を送るって、どう言うことなんですか!? 本当に家族なんですか!」

「人の顔を見て吐いているような人の心配をする必要、あるの?」

 僕は頭に血が上る。他人事なのに、他人事とは思えなかった。僕も立ち上がろうとしたときだった。

「レイセンくん、ちまきちゃんをお願い」

 久良持さんは僕にそう言うので、後ろで蹲っている葉夏上さんに駆け寄る。

「大丈夫ですか? 一旦ここから離れましょう」

 茫然としている葉夏上さんの肩を持ち、神社から離れた。



 三影大橋の土手へと連れて行く。なるべく離れた方が良いと思ったからだ。

「大丈夫ですか? もう家族の人はいませんよ」

「ありがと……っ」

 川に向かってまた吐いている葉夏上さんの背中を僕はそっと叩く。稟堂からもらったポケットティッシュで口周りを拭いた後、虚ろな目をして話を始めた。


「……あたしの家庭、さ。おかしいんだ。あたしが小学校に上がる直前にお父さんが死んじゃってさ。そこからあたしが高校生になるまで母親と二人暮らし。高校に入学すると同時に、母親の横にいた愛人と再婚したんだ。でも、あたしはどうもあの人とウマが合わなくてさ、高校を卒業したら家を出て行こうって思っていたんだ」

 黙って僕は聞いていた。

「三年生になっても進路を決めず、とにかく家を出て行くことしか考えていなかった。卒業して学もなければ、お金もないあたしを救ってくれたのは久良持さんだったんだ。あたしは久良持さんに感謝してもしきれない。今も家族と話をしているのかと思うと、罪悪感でいっぱいだよ……」

 突然泣き出す彼女に僕は動揺する。

 辛いのは僕だけじゃないと言うことは知っていた。葉夏上さんは僕よりも辛い経験をしている。僕の家庭は離婚だが、葉夏上さんのお父さんは亡くなっている。


「でも、葉夏上さんはもう一人じゃないですよ。久良持さんもいるし、稟堂も、僕もいます。それに、運命を変える力を持っているじゃないですか」

「何のこと?」

「何のことって、何言ってるんですか。そのポケットに入ってる……」

 しまったと言いかける。ここにいる葉夏上さんは僕と同じ運命を変えられない。コフタロンコントローラーを握っても、何も出来ない。

「あはは、玲泉くんは面白いね。そう言えば言ってなかったね、このコントローラーのこと。これね、お父さんがくれたんだ。ずっと大事に持ってなさいって言ってさ」

「え? それ、織衣からもらったんじゃないんですか?」

 この前まで葉夏上さんはこのコントローラーは織衣からもらったと言っていたはずだ。

「織衣くんからは何も貰ってないよ。ああ、卒業前に色紙はもらったかな。とにかく、これはお守りとして持っていろって言われているんだ。肌身離さず持っているよ」

 そうか、織衣はもう一人の運命を変えられる方の葉夏上さんのときに渡したんだ。この葉夏上さんの中では死んだ父親からもらったと言う設定なのだろう。ここは話を合わせなければ。

「そうだったんですか。それを肌身離さず持っていれば、絶対に運命は変わりますよ。きっと」

 葉夏上さんは笑いながら僕の方を向きお礼を言っていた。

 僕たちの前に流れている川は、止まることなく流れつづけていた。



 しばらく僕たちは言葉を発さず、橋の下でただ夕日が反射する川を見ていた。冷たいそよ風が吹いても、僕たちは何も言わずにただひたすら川の流れを見ていた。

「やあ、ごめんごめん。遅くなっちゃったね」

 久良持さんと稟堂は笑みを浮かべながらこちらへと歩いてくる。

「葉夏上さん、安心して! もう私たちに干渉しないように言っておいたから! どこで会ってももう話さないよう言っておいたよ!!」

「それにしても、本当に酷いね。娘が吐いているって言うのに、気にも留めないだなんてさ。それに対しての言葉が人の顔を見て吐くような人間を心配をする理由がないだなんて。酷すぎるよ」

 二人で熱論していたが、葉夏上さんはその光景を見て苦笑いを浮かべていた。

「さ、もう帰ろうか。こんなこともあったんだ。今日はちまきちゃんの部屋で鍋でもやろっか!」

「わー! 鍋! ……鍋って、何?」

「輪廻ちゃん、鍋知らないんだね。そんな輪廻ちゃんでも一つだけ分かることがあるよ。それは、鍋の虜になっちゃうことだ!」

 別の話題で盛り上がっている二人を見て、僕と葉夏上さんは二人をただただ見つめていた。

「兎角、行こう。青春は待ってくれないぞ!」

 言いながら土手を駆け上がり、三影大橋の向こう側にある大型のスーパーまで行くことになった。


 前で稟堂と久良持さんは鍋のことを話していたが、先ほどから口数が少ない葉夏上さんの横に僕は並んでいた。

「大丈夫ですか? 無理しないでくださいよ」

「ごめん。まだちょっと気持ちの整理が着いていなかったんだ。輪廻ちゃんたちがあたしのためにここまでしてくれると思わなくてさ。その、ごめんね。心配かけちゃって」

 葉夏上さんは目に涙を溜めながら僕の方を向いて微笑んでいた。

「だ、大丈夫ですよ。僕たちは同じ住人ですからね。気にする必要だなんてないですよ」

「……ありがと」

 車の騒音で聞こえなかったと思ったのか、葉夏上さんはボソリと呟いたのを僕は聞き逃さなかった。お礼を言われるほどでもないとは思うが、ここは素直に受け取っておこう。

「レイセンくん、ちまきちゃん! 信号変わっちゃうよー!」

 信号の向こう側で僕たちを呼ぶ久良持さんの元へ運命を変えられない僕と葉夏上さんは走り出した。



 買い物を済ました僕たちは疑似ワープで久良持アパート前へ移動するわけでもなく、散歩は行きの楽しみもあれば帰りの楽しみもあると言う久良持さんの持論により、徒歩で帰ることになった。帰りも鍋の話で盛り上がった。

「私はやっぱり味噌だね。日本人なら味噌だよ。味噌鍋を超える鍋は存在しないね」

「あたしは豆乳……かな? さっぱりした味がすごく好き。きっと輪廻ちゃんも気に入ると思うよ」

「レイセンくんの好きな鍋は何だい?」

 突然の質問に僕は戸惑う。僕の家は鍋と言えばとり野菜か、とり白菜だったので、両方とも好きだからどちらを言おうか迷う。

「別に一つじゃなくても良いよ。言ってごらんよ」

「……とり野菜と、とり白菜です。僕の家、お金もあまりなかったみたいで、即席で、安価なものってなるとこの二つしかなかったので、この二つばかり食べていました。だから他の味は知らないって言いますかね……」

「おおおーっ!! レイセンくん良い舌してるね!! 寄りによってとり野菜を選ぶレイセンくんも味噌派と言うわけだね!?」

「そ、そうですね」

 僕の両手を握ってくる久良持さんに動揺するが、表向きは動揺を出さないように冷静を装う。

「私の周りに味噌派って結構少ないんだ。でも! レイセンくんが味噌だと分かって嬉しいよ!!」

「もー! 何が何だか分からないけど、とにかくお腹空いた!!」

 稟堂が叫んでいる頃には駅前にいたので、もうすぐで鍋が食べられる。ほとんど夜冬と二人で食べるのが当たり前だったので、四人で食べる鍋と言うのは初めてかもしれない。


 数分後、久良持アパートに到着した僕たちは二階の葉夏上さんの部屋へと向かう。

 二〇二号室の引千切あこやと言う名の久良持さくらの物置と化しているらしい部屋を通り過ぎ、四畳半の部屋にゾロゾロと入っていく。

「鍋の準備するから、ちょっと待っててね。あ、レイセンくんも一応着いてきて。私一人じゃ持てないと思うからさ」

「分かりました」

 荷物を置いた久良持さんと共に僕たちは階段を下りて行く。

 煙突からモクモクと黒煙が上がっているのを見て思い出す。ここは銭湯だ。久良持さんがいなくても大丈夫なのだろうか。


「あの、久良持さん。ここ、銭湯なんですよね? 番台とか大丈夫なんですか?」

「別に気にすることはないよ。お父さんやお母さんが基本的にやっているからね。私はただのお手伝いみたいものだしさ」

「久良持さん、家族の方がいるのですか?」

「あったりまえじゃないか! 父母がいないと私は生まれてこないよ!」

「いえ、そう言うことではなくて、稟堂は家族はいないと言っていたので、久良持さんはいるんだと思いまして……。僕、てっきり運命を変えられる者はみんな家族はいないものだと思っていて」

 正面玄関に入る前に久良持さんは僕の方を向いた。

「レイセンくん、この話は一旦やめにしよう。今から楽しい鍋があるんだ」

 声音がいつもと違っていたので、暗い話なのかもしれない。あまり口に出さない方が良いかもしれない。

 久良持さんはここで待っていてと言って一〇二号室へ入って行った。


 日も沈み、寒さが酷くなってきた頃だった。

「……玲泉」

 声がする方には僕の肉親である弓削 夜冬がいた。



「……何しているんだ、こんなところで」

 夜冬は黒いコートを羽織って僕の前にいた。何も言えなかった。何も考えられなかった。何を話せば良いのか分からない。一秒が無限に感じる。

「お母さんこそ、どうしてこんなところに」

「い、良いだろ、別に。玲泉はここで暮らしているのか?」

 夜冬に現住所がバレてしまう。それだけは避けたい。どうする、どうする。

「……友達の家に居候しているだけだよ。僕の家じゃない」

「友達って誰だ」

「誰でも良いでしょ」


 僕は別の運命で夜冬と会っているので、そこまで懐かしいとは思わなかったが、夜冬からすると、僕と一週間は会っていないことになる。一週間ぶりの僕は彼女にはどう映っているのだろうか。


「玲泉、会って話したいことがあるんだ。着いてきてくれないか?」

 心臓が飛び跳ねる。冷や汗が止まらなかった。

「や、お待たせレイセンくん。鍋のフタが見つからなくて……さ……」

 夜冬と目があった久良持さんは会釈し、話を始めた。

「こんばんは。もしかして、レイセンくんのお姉さんですか?」

「……僕の母です」

 僕の声を聞き久良持さんは驚きの声をあげる。

「ええっ!? お母さんなの! 若すぎじゃないですか!! いやいやいきなり申し訳ございません。私、久良持 さくらと言うものです。この銭湯の管理人をしています。レイセンくんもこの」

「久良持さん!!!」

 危うくここに住んでいることを言いかけていたので、今まで出したこともないくらいの大きな声を出して阻止する。

「あ、ご、ごめんね。その、レイセンくんのお母さんは、どうしてここに?」

「……玲泉と、話したいことがあります。少しこの場から離れさせてもらっても良いでしょうか?」

 やけに丁寧に話している夜冬に違和感を覚える。この声音は、学校の先生や偉い人と話しているときの声音だ。



「……構いません。でも、一つ約束してください。絶対に、何があっても、レイセンくんをここに戻らせてください。それが守れないようでしたら、レイセンくんに話はさせません。……一生」

 夜冬と久良持さんの間にいる僕は今現在、修羅場にいる。何だか高校を卒業してからこういう経験ばかりしている気がする。

「……あなたは玲泉の何なのですか? 玲泉は私の息子ですよ。息子をどうしようがあなたに玲泉をどうこうできる権利はないだろ」

 夜冬の言動を聞く限り、またあの時のように豹変するまでそうそう時間はかからないだろう。

「く、久良持さん。僕がどうしても戻ってこなかったら迎えに来てくださいよ。それなら解決じゃないですか。ね?」

 仲裁するために言った言葉がアダだった。僕は夜冬の逆鱗に触れてしまった。

「玲泉。お前、その女の味方なのか? もうお母さんのところには戻らねえってのか?」

 夜冬の言葉を聞き、僕は昨日見た別の運命の夜冬を思い出す。あの優しい夜冬は別の運命とは言え、必ずいると言うことは確かなのだ。今ここにいる夜冬は、僕の受験が失敗したせいでこのようなことになっている。原因は、僕にある。

「……久良持さん。僕、ちょっと行ってきます。戻ってくるかは、分からないです。先に鍋、食べていてください」

 夜冬の背中を追いかける。後ろで久良持さんが何か言っていたが、風の音が邪魔をしていて聞こえなかった。



「玲泉。あの女は誰なんだ。新しい彼女か?」

 冗談なのか本気なのか分からない質問は相変わらずだ。

「友達だよ。それより、話ってなんだよ。僕たちはもう他人なんだよ。家に戻ってこいって話じゃないんだろうね?」

 夜冬の動きが止まる。僕の方へ振り向き、言った。

「……戻る気はないのか?」

 予想外の答えにたじろぐ。だが、頭の中、心の中で思っている本音を彼女にぶつけた。



「一瞬だけ、本当に一瞬だけ、夢でお母さんに優しくされる夢を見た。そのときに一瞬だけ戻ろうって思った。でも、今は違うよ。僕にはもう新しい仲間がいる。いや、家族がいる。お母さんは僕のことを捨てた。捨てられた僕なりに見つけた新しい家族こそ、僕の真の家族だと思っている。もう、お母さんのところに戻ろうとは思わない。もちろん、お父さんのところにも。僕たち家族は、バラバラになったんだよ」



 夜冬は涙を流している。そして僕の右頬に思い切り平手打ちをする。稟堂より痛くなかったので、泣くことはなかった。

「バカなこと言ってんじゃねえよ」

 初めて豹変したときに同じ言葉を言われたことを思い出す。

「どうしてなんだよ。お母さんのこと、嫌いなのか? なあ、玲泉」

 僕に歩み寄りながら話している彼女を見ていると、心の底から恐怖を感じる。


「お母さんはな、玲泉に、戻ってきてほしいから、ここに来たんだよ。もう一度、大学に行こうって言うのなら、お母さんも、頑張るからさ、頼むよ、玲泉。戻って来てくれ。この通りだ。お母さんが悪かった。軽はずみな言葉を言ったこと、謝る。だから、お母さんを、一人にしないでくれ。玲泉だけが、ただ一つの繋がりだったんだよ。なあ、玲泉。戻って来てくれ。頼む、お願いだ」


 泣きながら僕の肩を掴みながら言ってくる彼女を見て、ほだされそうになる。

 僕は夜冬にも翠晴にも、産みの親に捨てられたと言っても過言ではないのだ。別の運命は別の運命だ。ここは、僕が今生きている運命なんだ。他の運命なんて知らない。今を決めなければ、未来に多大な影響が出てしまうのも事実だ。選択を何度も誤った僕は、これ以上の失敗はしたくない。

 夜冬の手を退け、僕は夜冬に心情を吐露する。

「お母さん、ううん。夜冬。僕たちはもう、家族じゃないんだ。だから、家族には戻れない。お父さんにも会った。お父さんも僕に心ない言葉を言ってきた。両親二人には良心がないのかって思ったし、家を出て良かったって思っている。さっきも言ったけど、僕にはもう新しい家族がいる。お母さんはもう、他人だよ。これはお母さんが望んだことなんだから」

 その場で泣き崩れた夜冬に背を向け、僕は新たな家族が待つアパートへと向かった。




つづく

この話を書いて知ったのですが、玲泉の言うとり野菜、とり白菜って石川県の鍋料理だったのですね。全国の食べ物だと思っていました。

話の舞台も石川県金沢市なのでちょうど良いと思い出しました。


ちなみに作中では三影大橋と書かれていますが、モデルにした橋は御影大橋と言う橋です。


誤字修正 4/21



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