34話
「ん……」
「目が覚めたかい? ちまきちゃん」
「あれ、あたし、何で寝てたんだろ……ごめんなさい、勝手に眠っちゃって」
眠そうな目をこすりながら、運命を変えられない葉夏上さんは返事をする。
「早速だけどちまきちゃん、このレンズを覗いてほしいんだ」
「ああ、自分の別の運命が見えるとか言うレンズでしたっけ。良いですよ」
受け取ると同時に、寝ぼけているのかレンズじゃない方を持っている。
「葉夏上さん、そっちは反対側ですよ。レンズはこっち」
葉夏上さんの手に触れようとすると、彼女はいきなり僕の方を向いてきたので僕も目線を合わせると、いきなり右手に持っているフィルムケースを僕の右目に押し付けてくる。
「……えい」
僕の目にレンズを無理やり覗かせる。
そこに見えていたのは、紛れもなく母親の夜冬だった。僕は葉夏上さんから奪取し、左目を閉じてジッと見ていると、夜冬の声がする。
「玲泉、何しているんだ?」
「え?」
左目を開けると、葉夏上さんの部屋ではなく、自分の家にいた。
「あれ? 何で? 僕、葉夏上さんの部屋にいたはずなのに……」
「葉夏上? 誰だそれ。て言うか、さっさと用意しろよ」
「用意って、どこか行くの?」
夜冬は僕の方を向き、話を続けた。
「……本当に大丈夫か? 今日はあの男に会いに行く日だろ? 大学合格したことを言うってあんなに張り切っていただろ。熱でもあるのか?」
あの男とは翠晴のことだろう。
同時に僕は理解する。あれはレンズ越しに客観的視線で自分の別の運命を見るものではない。レンズを覗くと同時に別の運命の自分になるのだろう。しかし、どうやって稟堂や久良持さんのいる運命に戻るのだろうか。
「玲泉、行くぞ」
夜冬は僕に言うと、玄関へと不機嫌そうに向かっていく。
「……やっぱり、夜冬はお父さんに会いたくない?」
玄関で立ち止まり、僕の方をギロリと睨みつける。
「お前、いつの間に自分の母親のことを名前で呼ぶようになったんだ。ふざけんじゃねえぞ」
しまった。ここは僕が大学受験に成功した運命だ。夜冬のことは夜冬と呼んだことはない。夜冬から見ると、突然僕がお母さんではなく夜冬と呼んでいるように感じているのだろう。
「ごめん。ちょっとふざけただけだよ」
「……まあ、良い。とにかく行くぞ」
僕の返事も聞かずに車に乗り込んだ。
車内ではしばらくラジオしか流れていなかった。先に話を始めたのは夜冬の方だった。
「玲泉は、これからもお母さんと一緒に暮らしたいか?」
「突然どうしたの?」
「……担任から聞いた。本当は東京の大学に行きたかったんだろ」
「でも、僕の家、片親だから。国立大を選んだのも学費が安価だからさ。これからはバイトしながら学校に行くよ。お母さんにはまた四年迷惑をかけるかもしれないけど」
信号で停車し、夜冬は僕の頭を笑いながらぐしゃぐしゃと撫でる。
「心配しなくても良いんだよ。二人でまた頑張って行こう」
「はっ」
視界は家の周りの景色ではなく、稟堂と久良持さんと葉夏上さんの顔と、その後ろに古い天井が見えているだけだった。
「レイセン! 大丈夫!?」
稟堂は僕に涙声で抱き着いてくる。涙と鼻水を葉夏上さんの布団に滲ませているのを見ていると、久良持さんが質問を飛ばしてくる。
「どうだったんだい?」
「え……っと、僕が大学に合格していて、お母さ……母親と一緒に父親に会いに行こうとしていました」
「なるほどね。やっぱりこれは本物だ。別の運命を見せるものだよ。でも、どうやら大体五分が限界みたいだね。……それじゃ次はちまきちゃんの番だよ」
久良持さんは稟堂の体液でグチョグチョになっている布団を汚物を見るような目で見ていた葉夏上さんの右目に無理やりフィルムケースを当てはめた。
つづく




