12話
「レイセン! 起きて! 早く! 遅刻するよ!!」
大声で叫んでくる僕は目を覚ます。ぼんやりとしながら返事をする。
「遅刻って、何言ってんだよ。学校はもう……」
すぐに僕は気付いた。僕はまだ、高校を卒業していない。卒業証書を受け取っていない。
つまり、まだ僕は高校生だ。
そして、今日が卒業式だったことを完全に忘れていた。
「早く! 時間がないよ! 着替えて用意して!」
「あ、ああ……」
数時間前まで肉まんをかじって号泣している彼女がいたはずなのに、いつもの稟堂がそこにはいた。
無造作に脱ぎ捨てられていた制服に身を包むと、コフタロンから学校周辺へと跳んだ。
通学路はやけにシンといていた。それもそのはず、卒業式まで一時間もないからだ。毎朝、校門前には生活指導の強面教師が立っているが、今日はいなかった。よほど眠っていたのだろうか。
「誰もいないね」
「起きたのが遅かったからな」
「レイセンの」
「はいはい僕のせいですよ」
他愛もない会話をしながら校門を通り、生徒玄関で上履きに履き替えて、教室へ向かう。しかし、教室には既に生徒はいなくなっていた。
時計を見ると午前九時五分前だった。
「大変だ! きっとみんなもう体育館にいるぞ! 行こう!」
「待ってレイセン!」
呼び止められるが、一分一秒でも惜しい今は構っている暇はない。だが、稟堂は動く気配がない。
「何だよ! 卒業式まで恥をかきたくないぞ!」
彼女は教卓に置かれていた卒業式のプログラムを見つけた。
目を向けると卒業式は十時からだった。
「えっと……つまり、僕たちは早く来過ぎたってことかな?」
「……うん」
目を逸らしながら小さく返事をする。
「誰だったかなあ。レイセン! 起きて! 早く! 遅刻するよ!とか言って僕を起こした女の子は」
「で、でもねっ! 一番乗りってのも、良い気分じゃない?」
「……まあ、そうだな」
そう言った直後、出入口が開いた。
「おっ、二人とも早いじゃん。一番だと思ってたけどな」
そこには高校時代に出来た唯一の友達である織衣がいた。
「織衣。久々だな」
「三日ぶりだな。お前の家にも行ったけど、ずっと留守だったから心配したぞ」
「ごめん。僕、家を」
言いかけたとき、稟堂が僕のことを呼ぶ。
「弓削くん。ちょっと良い?」
「な、何だよ」
稟堂が僕のことを名字で呼ぶなんて珍しいと思った。
それと同時に、手を引かれて廊下に出た。
「友達に家を追い出されたこと、あまり言わない方が良いよ」
「何でだよ。別に良いじゃないか」
「受験失敗したから進路に行き詰まって余計な心配させて、惨めになっていたのは誰? 辛いと思っていたのは誰? 全部レイセンじゃない。同じ過ちを繰り返すつもりなの?」
やけに強めに稟堂は言ってくる。稟堂の言っていることは間違いではない。しかし。ここまで強く言ってくる必要はあるのだろうか。
「別にそう言うつもりじゃないけどさ」
「とにかく、家を追い出されたって話はしない。良い?」
「あ、ああ……」
威圧をかけながら言う稟堂に少しだけ恐怖を覚えた。
くるりと僕に背を向けて教室に戻ろうとする稟堂にどうしても引っかかる疑問があったので、僕は呼びとめる。
「り、稟堂。ちょっと良いか?」
「何?」
もう一度僕の方に向き直る。彼女のスカートが少しだけ揺れた。
「さっき、僕のことを弓削くんって呼んだのは……」
彼女は顔を赤らめながら言った。
「学校で、しかもレイセンの友達の前で、レイセンなんて呼んだら、また冷やかされるじゃない。あと、初めて登場したときも弓削くんって呼んでたからね? か、勘違いしないでよ? 私はレイセンを思って……」
杞憂だった。理由が分かると同時に、笑いが込み上げてきた。
「な、何よ!」
「あははは。ごめん、稟堂がそこまで僕のことを思ってくれてるなんて、思わなかったからさ」
「もう!」
彼女は赤面しながら教室へと戻って行った。三年生の教室が並ぶ長い廊下に立ち、別のクラスの人たちが数人通り過ぎていく中、僕は高校生活が終わることと、自分が家から追い出されることに絶望を感じていた。
「弓削」
後ろには、織衣がいた。何故か、悲しそうな顔をしている。
「どうしたんだよ、そんなショボくれて」
「俺は結局、東京の大学へ行ってしまうけどお前は、地元に残ってフリーターだろ? 憶えているか? 一緒に大学へ行こうって言ったこと」
もちろん、忘れるわけがない。
僕はもともと、進学する予定ではなかった。家庭状況を考えて就職しようとしか、考えていなかった。
しかし、アルバイト先の社員の人や、先生方の意見を聞いていると、少しだけ大学へ行きたいと思うようになった。
そして、僕の背中を大きく押したのは大学見学だった。就職する気だった僕にとって、無意味なイベントとしか思えなかったが、自分がいる高校の何倍も広い敷地内、自由にのびのびと生活している大学生たち。ラフな格好をして大学構内を闊歩する大学生を見ていると次第に就職ではなく、大学へ行きたいと思うようになった。
織衣も同じで、就職から進学へと進路を変えた者だ。似た者同士だった僕らは、意気投合し、約束した。
「一緒に大学へ行こう」
と。
「……ああ、憶えているよ」
「結果的に、約束は守れなかったし、俺が裏切った形になってしまった。こんなこと言う権利は、俺にないかもしれないけど、弓削、頑張れよ」
織衣は目に涙を溜めながら先生と同じ言葉を言った。少しだけ泣きそうになった。
織衣は話し終えると涙を見せたくなかったのか、教室へと戻って行った。織衣が教室に入ると同時に担任である高野橋先生がビッシリしたスーツを着て、こちらへと向かってくるのが見えた。
先生とも、しばらく会えないのだろうかと思うと、涙が出てきた。
そして先生は、僕を見つけた途端に走ってきた。
「弓削! お前、いたのか!」
僕の肩を掴んで大声で言う。
「え?」
「親御さんに連絡したら、いなくなったって言うから、心配したぞ!」
「あ、い、いや、別にいなくなったわけじゃないんですけど……その、旅行に行ってたって言うか」
稟堂との約束を守るために、嘘を吐く。悪いことをしていると言う自覚はあるが、今は稟堂と合わせなければならない。
「何だ、そうなのか。あまり親を心配させたらいけないぞ」
「は、はい。ごめんなさい」
「まあ、原因も分かったから安心した。そろそろ教室に入りなさい」
言われるがままに僕は教室へと入った。
窓際の一番後ろの席で、頬杖を突きながら冬の雰囲気が残る三月の空を見る。思い出など、ほぼ皆無のこの校舎とも別れを告げるのかと思うと、嬉しいような悲しいような気持ちになった。
この学校で一番鮮明に思い出せることは、やはり、僕の横に突如現れた彼女、稟堂の出現だろう。原因は分かっていない。いや、分かってはいるが、ありえないとしか言いようがない。
「レイセン、行こうよ」
考えていると、卒業式会場である体育館へと向かうことになっていた。
体育館の道のりを、列になって歩く。
僕たち卒業生の胸元には、桜の花を模った造花が付けられている。周りを見ても、みんな同じ位置に同じ花が付いている。改めて、僕は卒業するんだと実感した。
僕のいる場所から三十メートルほど離れた場所から拍手が聞こえてきた。
入場の合図だ。
一組から順に、体育館内へと入って行く。
五分ほど経って、僕たち六組の入場になった。
先頭の高野橋に続いて、歩いて行く見慣れた生徒。僕は名字が、や行なので後ろの方だった。やけに緊張しながら、歩き続ける。
在校生の視線を感じるが、見ないふりして、檀上前へと歩く。そして、僕の後ろにいる稟堂が椅子の前に来たことを確認して、高野橋先生は、右手を上から下に動かした。その動作を見た六組のクラス一同は、ずれることなく綺麗に着席をした。
何事もなく、卒業式は無事に終わった。
高野橋先生は泣きながら僕たちを応援した。
その後、教室内は、打ち上げの話や、「離れても元気でな」など、お開きムードになりつつあった。
僕は帰ろうか迷っているときに、稟堂からまだ帰らないように言われていたので帰らないで先ほどと同じく、頬杖を突きながら空を見上げつつ、みんなの話を聞いていた。
途中で打ち上げにも誘われたが、断った。あまり仲良くない人たちと行っても、気まずいだけだと分かっていたし、誘ったのも仕方なくだと思うからだ。断った第一の理由は稟堂との約束だからなのだが。
打ち上げに参加する人々がいなくなり、賑やかだった教室内は、一気に静まり返った。教室内は、僕だけになった。
「やっと、みんな帰ったみたいだね」
出入口から見計らったようなタイミングで、稟堂が教室内に入ってくる。一番後ろの窓際にいる僕と、一番前の廊下側にいる稟堂。この狭い教室内で僕たち二人は最も離れた場所にいる。僕は立ち上がり、稟堂に近付く。同時に稟堂は教卓の前で立ち止まる。
「それで、この教室で何かするわけ?」
「何もしないよ」
「えっ」
予想外の答えに思わず聞き返してしまう。
「こういうシチュエーション、一度体験したかったから」
教室の黒板にはあらゆる色のチョークを使って卒業おめでとう! 三年六組最高! などと書かれている。入学式前には消されてしまうこの文字たちも今だけだと思うと、少しだけ稟堂の体験してみたかったと言う気持ちも分かった気がした。
「この、黒板に殴り書きされた文字とかね。私、一度見てみたかった」
「そうなのか」
素っ気ない返事をしてしまう。
「それと」
「うん」
「この雰囲気、私は、とっても好き」
シンと静まり返った教室には、僕と稟堂しかいない。
稟堂は黒板の文字を見たあとに、僕の方を向いた。
「レイセンは、これからも、私と一緒にいてくれる?」
「いきなりどうしたんだよ?」
「良いから答えてよ」
稟堂は頬を赤らめて質問してくる。告白をされているわけでもないのに、何だか僕自身も恥ずかしい。
「もちろん一緒にいるよ。イスタヴァだっけ? 僕のパートナーだもんね」
「やっぱり、レイセンを選んで良かった」
彼女は微笑しながら、そう呟いた。
「何のこと?」
「運に見放されたレイセンのところに来て、良かったってこと」
「それ、褒めてんの?」
稟堂はクスッと笑った。釣られて、僕も笑った。
教室を出て、稟堂が先に行ったので、誰もいなくなった教室に向かって
「稟堂に合わせてくれて、ありがとう」
そう言い残して、誰もいなくなった教室の戸を閉めた。教室出入口の窓から僕と稟堂の席が見えていた。
「レイセン? 何してんの?」
「ごめん。今行くよ」
しかし彼女は僕の方へと近付いてきた。
「教室、最後だもんね」
「……ああ。そうだな」
「見納め、かな」
「高校生活最後だからね。僕にとっては、学生生活、最後かもしれないけど」
彼女は黙っていた。反応は期待していなかった。
それでも、物静かな雰囲気に僕は耐えきれなかった。
先に言葉を発したのは僕だった。
「さあ! バイト探しだ! これから頑張っていこうぜ!」
稟堂は、少しだけ驚いた後に
「そうだね。じゃあ、早く帰ろっか」
と続けた。
僕と稟堂は生徒玄関へと向かう。これからの話をしながら。
つづく
誤字訂正+追記しました。
3月28日




