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その日の夜、いつも通りの居酒屋で、宗助、夕香と三人で明日の商談へ向けた決起集会をしていた。
「明日は、お前らに全て任せる!! 頼んだぞ!!」
「ちょっと晴司さん、なんすかそれ……」
「今日見ての通りだ。ハッキリ言って、俺は商談に向いてない」
「だからって、いきなりそんなことを言われても困ります!」
宗助と夕香は必死の形相で俺に詰め寄った。
「いやな、俺アイツ苦手なんだよな……」
「アイツって……柊部長?」
「そうそう」
「………」
突然、夕香が考え込んでしまった。俯き、目の前にある出汁巻き玉子をひたすらに見つめていた。
「ん? 夕香、どうした?」
「いや……あの……」
「夕香、なんか変だぞ?」
宗助も心配そうに見ていた。
「……楠原さん、柊部長とお知り合いなんですか?」
「ああ。高校の時の同級生だ」
「マジっすか!!??」
宗助は立ち上がり驚きの声を上げた。
「俺がそんなしょうもない嘘なんてつくか。マジだよ」
「そう……なんですか……」
「で? で!? 柊部長は高校の時どんな人だったんですか!?」
「どうって言われてもな……
とりあえず、凄まじくモテてたな……」
「そんな当たり前のことなんかどうでもいいっすよ!!」
(なんでコイツはこんなに熱くなってんだ?)
「いやでもな、実際アイツと同級生だったのは、ほんの数か月だけなんだよ。
二年の夏前に引っ越してきて、夏休みの終わりには外国に行ったからな」
「楠原さんは、どんな関係だったんですか?」
(さっきから、何でこんなにおそるおそるなんだよ……)
「何て言うかな……悪友?」
「なんすか、それ」
「いやな、寄ってくる男が五月蠅いからって、アイツの仮面彼氏をしてたんだよ」
「マジっすか!!??」
「本当ですか!!??」
今度は二人同時に叫んだ。
「……なんだよ」
「だって……えええ!!??」
「…………」
宗助は信じられないことを聞いたかのようにテンパっていた。まるでツチノコでも見つけたかのようだ。
夕香は絶句していた。これまた現実を受け入れたくないかのようだった。
「若かりし頃の思い出ってやつだよ。アイツは高校の時から超人でな。色々と悩んでいることもあったが、それでもすごかったよ。凡人である俺なんかじゃ相手にならないくらいにな」
「ですよねえ……晴司さんと柊部長の組み合わせは考えられないっすもん」
「……お前、何気に失礼だぞ」
俺は一度咳払いをした。
「アイツが引っ越してから、しばらく連絡もなくてな。それがある日突然帰ってきてんだから驚いたよ。
帰ってくるなり就職して、あっという間に今じゃ営業部部長。
……まったく、恐れ入るよ」
話しながら、俺は今や遠い日の記憶となった景色を思い浮かべていた。
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月乃が日本に戻ったのは、今から約三年前。
仕事帰りの俺は、とある公園で月乃と再会した。スーツ姿の俺を見た月乃は、クスクスと笑っていた。
「何その格好。全然似合わない」
「うるせえ。俺だって好きでこんな格好してんじゃねえよ」
「……でも、一応“大人”になってるのね……安心した」
「大人って言えるのか分からないけどな」
「そういう言葉が出るのが、成長した証だと思うわ」
「だといいけど……」
俺は、気になっていたことがあった。でもそれは、もしかしたら聞かない方がいいことなのかもしれない。
そんな俺の迷いの渦にある頭の中を理解したかのように、月乃は話し始めた。
「……お母さんなら、安らかに眠ったわ」
「……そうか」
「最後に、晴司に伝言だって」
「詩乃さんが?」
「“あなたはあなたの想いで生きて。あの約束は、たぶんもう果たせるから”だって」
「………」
(詩乃さん……)
「晴司がお母さんとどんな約束をしたかは分からないけど、それは聞かないでおくわ」
「……月乃は、これからどうするんだ?」
「そうね……色々考えたけど、私は自分の可能性を確かめてみる。どれだけ出来るか、自分がどれだけやれるか、それを見てみるわ」
「お前なら、きっと高みに昇れるさ。元彼氏(仮)の俺が言うんだ。間違いないさ」
月乃は、少しだけ空を見上げた。そこには、たくさんの雲が流れていた。東の空の片隅は夜の色が見え始めていて、もう間もなく日は暮れてしまうだろう。それでも、太陽は最後までその役目を忘れないように、西の空から世界を照らし続けていた。
「……晴司、私がもし、自分の道が分からなくて迷ったときは……」
「分かってるよ。そん時は、無理矢理でも引っ張ってくさ。ま、お前に限ってそんなことはないだろうがな」
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(もう、三年も前になるのか……アイツは、今は道に迷ってるのかな。だとしたら……
けど、今は俺の方がマズいよな。大人になんかなれちゃいないし、全然成長していない。前にも進んでいない。
……俺だけ、足踏みしてるな)
俺は、そんな現実を認めないかのように、目の前にある温くなったビールを一気に流し込んだ。
「……さて、そろそろ帰るか」
「そうっすね」
「………はい」
「夕香、どうしたんだ? やけに暗いな」
「い、いえ……何でも……」
夕香は、やけに静かになっていた。しかも俺とは目を合わせようとしない。
(何なんだよ……)
明日は、月乃の会社との大事な商談だ。
だけど、何かが変だった。大切な歯車が少しずつ軋み始めるような感覚が、俺の心にはあった。