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俺が住んでいる街は、地元や高校があった街よりも都会の方だ。
高いビルがちらほら見えるし、休みの日には人が集まる。人並みのうねりは苦手だったが、さすがに仕事で散々回ったこともあり、今ではすっかり慣れていた。
(それにしても……)
改めて、隣を歩く黎を見る。
高校の時から伸ばし始めた髪は、今では腰の位置まで伸びていた。かと言って傷んでいるわけでもなく、毛先までしっかりと手入れされているようだ。
その顔もすっかり大人びた顔に変わっており、まるで外国の映画の中から飛び出したかのような雰囲気を帯びている。
当の本人は全く気にしてない様子(ていうか気付いてない可能性大)だが、道行く人が振り返っている。
おそらく、清楚で綺麗などこかの国のご令嬢だとか思っているだろう。
しかし諸君は知らないだろう。幻想を抱いた視線を送る白谷黎が、どんな人物であるかを。いや、知らない方がいいのかもしれない。幸せとは、知らないことでしか得られないものもあるのだ。
さっきから一向に行き先が見えない。もしかしたら、理由もなく歩き回っているのか?
俺は真意を確かめるべく、話しかけた。
「……で、どこ行くんだよ」
「考えてない」
(やっぱり……)
「最近忙しかったからな。とりあえず、息抜きがしたかったんだよ」
こう見えて、黎は勤める会社の課長級に位置する。
地元の会社に就職した黎は、その有り余る能力を駆使して、瞬く間に上へ上へと登り続けていた。
高卒にして、二十四歳で課長級になるのはほぼ不可能だ。俺の会社でも考えられない人事である。
それでも、黎はそれを成し遂げた。それこそ、黎が超人である所以とも言えるだろう。
そのおかげで黎はほとんど休みがない。社員を管理する立場には、そこにしかない仕事や苦労があるのだろう。
もっとも、おそらく黎は難なくそれを処理しているだろうが………
「息抜きなら、他に何かあっただろうに……」
その質問を聞いた黎は、フッと笑みを浮かべ、言葉を返した。
「違うよ晴司。アタシの中で、晴司と過ごすこと以上の息抜きなんかないんだよ。こうして二人で過ごすだけで、アタシは幸せだし、疲れが飛ぶんだよ。
だから、今こうしてるんだ。久々の休みは、晴司といたかったんだ」
黎は、真っ直ぐな目をしていた。
その目を見た俺は、黎への罪悪感を感じていた。
もしかしたら、黎は俺に縛られているのかもしれない。
……そんなことさえ思ってしまった。
「……前も言ったけどさ、お前、もったいないよ」
「もったいない?」
「黎は仕事で成功してるし、容姿だってすれ違う人が振り返るくらいだ。そんなお前が、俺なんかにこだわることなんてないんだよ。
俺を見ろよ。七年も勤めて昇任なんてする気配もないし、安月給でコキ使われる毎日だ。凡人なんだよ」
「………」
「お前の気持ちにもハッキリしないヘタレで優柔不断。
そんな俺のために足を止めるなよ。お前には――」
「――晴司。それ以上は言うな。怒るぞ」
「………」
凄みのある黎の言葉に、俺は口を閉ざした。それでも、俺が最後に言おうとしたことは、黎には伝わっていたと思う。
黎は、俺の顔を見ながら、少し困った顔をしていた。それでも、口元は微笑みながら続けた。
「晴司が思ってることは理解しているつもりだよ。
でもね、これはアタシの意志なんだよ。他の誰でもない、誰にも影響されない、アタシ自身の想いなんだよ。
そうしたいからそうするだけ。例え晴司がどんなになっても、晴司が“楠原晴司”という人間である限り、私は傍にいたいんだ。
……晴司は、アタシの旦那だからな」
「………そうか」
俺は、それ以上何も言わなかった。いや、言えなかった。
きっと、俺は黎に甘えているんだと思う。
俺自身、自分を特別なんて思わないし、むしろいてもいなくても世の中の流れには関係無い人物だと思う。
それでも黎は、そんな俺を必要としてくれている。傍にいると言ってくれている。
そんな黎に感謝をしつつも、いつまでも答えられない自分が情けなく思う。
…… でも、やっぱり俺は、黎の隣に立てるだけの人間ではない。
そう思うと、黎を不憫に思ってしまう。
(最低だな、俺………)
自己嫌悪の念が容赦なく心を刺す。
その痛みを表に出さないようにしながら、俺たちは街をブラブラと歩き回った。
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休み明けの職場。
俺と宗助、夕香の三人は、我らが課長……通称バーコードの席の前に集められていた。
重い空気が辺りを包み込む。……俺以外。
「……いいか楠原、お前にかかってるからな。
新人二人も楠原を全力でサポートしろ!!」
「「はい!!」」
二人は、力強く答えた。
(なんだかなぁ………)
「楠原、分かっているとは思うが、この商談はお前にかかっている。
前回のお前の斬新な営業方法を、先方は大変気に入っていた。
だからこそ、お前に任せたんだ!!」
「はあ……」
(って言っても、単にオーバーに表現して説明しながら、痛い質問は愛想笑いで誤魔化しただけだしな………)
「今日は事前挨拶みたいなものだ。本番は明後日……その時に有利になれるよう、全力で媚を売れ!!」
……バーコードがここまで力を入れるのは、訳があった。
今回の会社の新製品は、かなりの開発費をかけていた。それに興味を抱いたのが、業界大手の大企業。
成功すればかなりの利益、失敗すれば大赤字。
そんな大切な商談に、なぜ俺が選ばれたのか……それは、俺が過去にその企業相手に、奇跡を起こしたからだ。
前回、無茶苦茶な営業をして、絶望視していたが、何の手違いか、奇跡的に商談を成立させてしまった。
そんな奇跡なんてのはそうそう起こるはずもなく、それ以外はからっきしダメなのだが、それでも俺を選んだ会社の上層部は何を考えているのやら………
バーコードは、更に深刻な顔を浮かべた。
「今日の挨拶、対応するのは先方の部長級らしいという裏情報もある……」
「え!? 本当ですか!?」
夕香は驚きの声を上げた。そう、本来絶対にないことだ。宗助は固まっていた。
……一方俺は、周囲とは少し違う冷や汗をかいていた。
「……課長、その部長は、どこの部署の……」
「決まってるだろ……営業部だ」
「………」
(……マジかよ)
「では、頼んだぞ!!」
「「はい!!」」
「………はい」
俺たちは、相手企業へ向かい始めた。
……俺の足取りは重かった。
対応する可能性がある部長級……考えただけで憂鬱になる。
「…………はあ」
俺は、大きく溜め息をつき、コンクリートジャングルを進んでいった。