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週明けの日曜日。俺は最後の楽園と化していた自宅であるアパートでゆったりしていた。
窓からは優しい太陽が見える。車や人が往来する音の中には、ピチピチと小鳥の囀りも聞こえる。その声を探しながら畳の上で横になることが、休日における密かな楽しみとなっていた。
「今日も平穏だぁ」
そう呟けるほどの平穏だった。独り暮らしを始めてから、俺の城は平穏を保っていた。それは今日も同じであり、日々体と心に刻まれつつあった企業戦士としての疲れを、俺は全身全霊をかけて癒していた。
……しかし、平穏とは、常に突然破られるものでもある。
ピンポーン
静まり返っていた室内に、突然インターホンが鳴り響く。
俺の長年の経験は、こんな平穏を実感する時に聞こえるインターホンは、何か悪しき事態の前触れであることを理解していた。
さしずめ、平穏の崩壊の序曲……
(……居留守を使おう)
俺の脳裏は、瞬時にやり過ごす一手を選んだ。
(これでよし……)
ピンポーン ピンポーン
来訪者は、依然として俺との面接を諦めていないようだ。
しかしそれでも俺は居留守を使う。面接の先にあるのは、俺の疲労である可能性が濃厚だったからだ。
ピンポーン ピンポーン
本当にしつこい奴だ。俺はいないと意思表示しているではないか。
ていうかここまでインターホンを押しても誰も出ないなら、今は不在だって思うのが普通なのでは?
……ということは、来訪者は“普通じゃない奴”ってことか……
(………)
俺の居留守の意志は、俄然として確かなものとなった。
(何度押されようが、俺の精神は揺るがない。明鏡止水の心をもって、この居留守を全うする……)
ピンポーン ピンポーン ピンポーン
(何度押されようとも、俺の精神はビクとも……)
ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン
(何度押されようと……)
ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン
ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン
「うるせえええええええええ!!!!!」
ツカツカと玄関に歩く俺。そして、勢いよく玄関のドアを開けた。
「誰だあああ!! 俺の平穏静かな休日を台無しにした奴はあああ!!」
……そこには、金髪美人が立っていた。
長く艶のあるブロンドの髪は、後ろで赤いリボンで束ねられている。青い瞳は背後に広がる青空に溶け込むようだった。
その金髪美人は、満面の笑みで俺に片手を上げて挨拶した。
「よ、晴司。嫁が会いに来たぞ」
「………」
俺は静かに玄関ドアを閉めた。そしてしっかり施錠する。
「晴司!! 何で閉めるんだよ!! 開けろよ!!」
「ただいま、留守にしております。ご用件の方は、恐れ入りますが、後ほど御来訪の程を……」
「今出てきただろうが!! 開けろって!!」
「嫌だ! 絶対嫌だ!! 俺は今、静かな休日を全力で脱力してんだよ!!」
「わがまま言うな!! それでもアタシの旦那か!!??」
「だーかーらっ!! 旦那じゃねえって!!!」
「せっかくアタシの休みなんだから、遊びに連れてけ!!」
「お前は夏休み中の小学生かよ!!」
「……どういう意味だ?」
「……かしこまって聞くなよ」
「………」
「………」
「と・に・か・く!! 開けろおおおお!!!」
「嫌だああああああ!!!」
閉められた扉越しに、俺と金髪女性――黎は不毛な言い合いを続けた。
実に不毛。こうしている間にも、俺の疲れは増大していく。
そして、しばらくギャーギャー騒いだ後、急に外が静かになった。
(………諦めたか?)
外からは何も聞こえない。車のクラクション音が遠くから聞こえてくる。
最終確認のため、玄関戸に耳を当てて外の音を確認した。
何も聞こえない。
覗き穴から外を視認。
誰もいない。
どうやら本当に帰ったようだ。
「ふ~、ようやく帰ったか……」
俺は安堵の息を漏らし、居間へと戻る。
「さあて、もう一眠りするかなぁ」
「それはダメだ。さっさと出掛ける用意しろよ、晴司」
「ダメなもんか。俺はゴロ寝をすることで、日々の疲れを癒してだな…………」
(………………あれ?)
「……って、何で黎が部屋にいるんだよおおお!!!」
居間の真ん中には、どっしりと座り込む黎がいた。
「お前、どうやって入ったんだよ!!」
「窓から」
「ここ二階だぞ!?」
「だから、ピョンと飛んで、ガシッと掴んで、ヒョイッと入ったんだよ」
「擬音だけである程度想像出来たよ。忍者かお前は………」
さすが超人。至るところで才能を浪費しているようだ。
「さて、行くぞ晴司」
俺は本丸に敵陣の侵入を許した。つまり、敗北を意味する。
俺は溜め息をつきながら、用意をして、外に出た。
隣を歩く黎は、実に嬉しそうな顔をしていた。鼻歌まで歌ってる。
(……ま、いっか)
そして俺達は、優しい陽射しが降り注ぐ中、街へと向かった。