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夜が明けた頃、俺は目覚めた。いつの間にか眠ってしまったらしい。窓からは溢れんばかりの朝日が溢れている。どっかにこんな歌が無かったか? 新しい朝が来た。希望の朝だ。
――そう、朝は希望なんだ。苦しい時、悲しい時によく例えられるのは夜。どんなに深い闇に包まれた夜も、必ずいつかは目覚める。そう、朝は目覚めの時なんだ。
「……ま、お前らの場合、まずは寝るのが先決だな」
清々しい朝とは正反対に、カラオケ店のとある部屋は混沌としていた。月乃、黎、星美、小雪は全員目の下におぞましい程のクマを作り、それでも歌い続けていた。
カラオケ採点バトルロワイヤルは誰一人として脱落者が出ることなく、ついに朝を迎えても決着がつくことはなかった。いやいや、これは凄いことだぞ? 約12時間歌い続けたのに、それでも95ptを下回らないとか。超人というかそろそろ化物に昇格してもいいくらいだぞ。
「……つ、次は、私の番…だったわね……」
月乃はデンモクを手にしていた。てか、まだ歌うんかい。このままでは色々始まる前に終わってしまうので、強制的にデンモクを回収する。
「はいはい、もう終わりだよ。これ以上やっても無意味だろ」
「で、でもまだ決着が……」
「命削ってまだ歌おうとする心意気は認めてやるけど、この勝負は俺が預かる。てか、もういっそボーカル4人でいいじゃねえか」
「そんなのありかよ……」
「ありもあり、大ありだ。12時間耐久カラオケで一人として脱落しなかったんだ。お前ら全員最高のボーカルになれるよ」
そう言うと、ようやく全員安堵の顔を浮かべた。まったく、無理し過ぎなんだよ。
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その日の喫茶店は臨時休業にした。月乃と黎は反対したが、体壊しちゃ元も子もない。今日はしっかり休んで来いと言ったら、渋々了承した。
次の日から、喫茶店を午後2時までの営業とした。無論、バンドの練習をするためだ。いくら超人揃いでも、バンドはチームとして演奏する。個々のレベルは問題はないだろうけど、バラバラの演奏をしたんじゃそれは音楽じゃない。……と思う。
午前中の殺人的忙しさを消化し、午後にはライブハウスで練習をする。このライブハウスは、商店街の一角にある。ここのオーナーは黎の大ファンであり、黎がお願い(というより脅迫)をしたところ、あっさり練習場所として明け渡した。
楽曲は既に決まっていた。というより、4人がそれぞれ好きな音楽を一つずつ選び、一曲ずつ歌うことになった。そうすれば誰も文句はないだろう。歌う順番は、後日くじ引きで決めよう。ジャンケンとかしてまた数時間かかったらたまったもんじゃない。
それぞれの楽器の譜面を用意し、そして、今日が練習初日―――
「――月乃! キーボードのタイミングが早いぞ!!」
黎が月乃に激を飛ばす。
「そういう黎こそ、一人で突っ走り過ぎ!! もっと周りに合わせなさい!!」
月乃もすかさず言い返す。
「ああもう! 喧嘩するなら後でやって!! もう一度やり直し!! 星美!! さっきバスドラムのペースが一度乱れてたから気を付けなさいよ!!」
小雪は一番年下のはずなのに、普通に全員を呼び捨てしてるし。
「分かってるけど、ドラムはやり辛いんですよ……」
まあ、小柄の星美がドラムをやるとそうなるよな。
ていうか、素人の俺が聞く限り、ほぼ問題はないと思うんだが……。超人にしか分からないレベルの調整があるんだろうな。
それより、少しだけ驚いたことがある。ちょっと前までギスギスしてた月乃と黎は、いつの間にかいつもの感じに戻っていた。もちろん、凄まじく喧嘩する。だけど、何だろうな、見てて安心するような喧嘩しかしないようになった。ミスをすれば叱咤激励して、上手くいけば笑顔を見せる。互いが相手を認め合ってる感じだな。
(こんな二人、しばらく見てなかったな……)
なんだかちょっと嬉しくなったけど、俺がここにいても邪魔だろうな。後は、超人達に任せるとしよう。
俺は一人、練習するライブハウスを後にした。
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「――そっか……あの4人、なんとか形になりつつあるんだね」
とある高校の屋上で、陽子先輩は安堵の笑みを浮かべた。
「まあ何とかですね。それでも言い合いながら練習してるみたいですけど」
「ハハハ! いいことじゃない!」
上機嫌に笑う先輩。時刻は夕暮れ時。空の色はオレンジ色に染まっていた。この日は雲は少なかった。澄み渡る空気が広がる空には、少しだけフライング気味に月が存在を示している。屋上から校庭を見下ろせば、談笑しながら帰宅する学生がたくさんいた。
俺は陽子先輩に練習の状況を報告して、学園祭の打ち合わせをした。それが終わった後、屋上で一息を入れていた。
「……それにしても、なんで陽子先輩はあの二人に学園祭に出るように依頼したんですか?」
「ああ、それはね……」
すぐに返事をしようとした陽子先輩だったが、急に言葉を飲み込んでしまった。そして何かを考えながら俺の顔をマジマジと見てきた。
(何でございましょうか……)
「……その前に晴司くん、最近の月乃ちゃんと黎ちゃんを見てどう思った?」
「月乃と黎ですか?」
「そうそう。率直に言って」
二人の様子については前に先輩に全部言ったはずなんだけど……つまりは、それとは別に、俺自身がどう思ったかってことか……
「……そうですね……何というか、スッキリしない感じがしましたね」
「へえ……というと?」
「あの二人は、前から仲はよくなかったんですけど、今はそれ以前の問題のように見えました。うまくは言えないんですけど、“らしくない”って感じですかね」
「なるほどね……まあ、私も同じ感想だったけどね」
陽子先輩は視線を空に向けた。そして、何かを思いながら少しだけ微笑んでいた。
「たぶん、色々不安なんだよ。月乃ちゃんも黎ちゃんも。高校卒業して、色んな経験とかした中で変わったこともあるんだろうけど、二人の中心にいる晴司くんはまったく変わってないからね。変わっていく自分と変わらない晴司くん。何だかキミとの距離が離れていくように思えたんじゃないかな。そんな不安を抱えた人が近くにいたら、まるで今の自分を見てるような感覚を覚えて、結局ギスギスしたんだと思う」
「やっぱり、俺のせいなんですかね……」
「そこまで思い込むことじゃないよ。むしろ、変わらないままでいられるってのは晴司くんの良さだと私は思うよ? それは、あの二人もきっと同じはずだよ。
――あの二人に必要なのは、余計なことを考えずに何かに打ち込むことだと思うんだよね。細かいことなんて考えずに、ただ一つのことを打ち込むことだと思うんだよね。
だから、今回の依頼で二人の蟠りがなくなったのはよかったよ」
そう話す陽子先輩は嬉しそうだった。
「……先輩、色々考えてるんですね。俺なんてまったくダメです。月乃と黎の不安とか、そんなことなんて全く気付かずに呑気にしてたし。……店長、失格ですね」
「それは違うよ晴司くん。キミが変わらないからこそ、月乃ちゃんも黎ちゃんも安心してるんだよ。自分の居場所として、晴司くんの傍にいるんだよ。私には分かるよ。だって、私も晴司くんが好きだからね」
先輩は照れもせず言っていた。聞いてる俺の方が照れてしまうんだが……
「そんなこと言ったら、ご主人が怒りますよ?」
「言ったでしょ? あの人も知ってることなの。でもまあ、あの二人の方が晴司くんを思ってるのも分かってるけどね。私なんかよりも、ずっと、ね……」
先輩は笑っていたけど、少しだけ寂しそうだった。
俺は相変わらず反応に困ってしまった。そして、そんな二人をいつまでも縛り付けている感覚に襲われ、久々に自己嫌悪に陥ってしまっていた。
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屋上から階段を降りながら、色々と考えてしまった。月乃のこと。黎のこと。星美のこと。陽子先輩のこと……
高校というところは、どこか不思議なところらしい。忘れていたはずの色んな想いも葛藤も後悔も、根掘り葉掘り掘り起こしてしまう。
(そう言えば、高校の時も、よくこうやってバッドドリップしながら廊下を歩いたっけ……)
そんなことを考えてしまう俺は、ずいぶん年を取ってしまった気がする。まだほんの6年前なのに、ずいぶん昔に感じてしまう。胸の中の思い出のページを強制的に捲らされ、歩く速度は、いつもよりもゆっくりとしていた。
ふと、声が聞こえてきた。誰もいない校舎の中に、微かに響いている。まるで空気の合間を縫って直接届けられたかのように、耳に直接届けられたかのように、それは聞こえてきた。
(……何だ?)
俺の足は、自然とその声の方向へ向かっていた。