6
時間もある程度経った頃、俺と月乃はあの公園に戻っていた。手荷物を抱えた俺はベンチにへたり込む。
「……もう歩けない。ていうか重い」
「ちょっと買い物しただけでしょ? だらしないわね……」
「……ドデカイ紙袋10袋ってのは、ちょっとって量を超えていると思うけど」
俺の両手は月乃が買ったものでいっぱいになっていた。いい気分で買い物をしていた月乃だったが、その荷物持ちは俺だったりするわけで……次々と増えていく荷物に絶望を感じながら歩いていた。まったく、高校の時と同じ光景だったからデジャヴかと思った。相変わらずの大人買い。ていうか即決で買うあたり、相当な給料を貰ってるのかもしれない。
(まあ、大企業の部長級だしな。当然だろう……)
同い年なのに安月給でコキ使われていた俺とは大違いだ。何だか嫉妬の炎がメラメラと燃え上がる気持ちになる俺を誰が責めれよう……
「月乃、こんなに買って使うのか? 無駄遣いってやつじゃ……」
「無駄なものなんてないわ。空気清浄機は職場の喫煙所の近くに置くのよ。もっと分煙を徹底してほしいって意見があったんだけど、経理部に掛け合ったら予算がないって言われたから私が買ったの。コーヒーメーカーは秘書室用。今まで使っていたものが調子悪いのよ。栄養ドリンクは特別室の職員に。最近徹夜が続いてるから差し入れ。後は……」
「いや……もういいよ。ていうか、仕事関係ばっかりじゃねえか。自分で使わねえのかよ」
「そうよ。悪い?」
キョトンとした表情であっさりと答える月乃。当然と言わんばかりだ。
「悪くはないけど……せっかくの休みにそんなに仕事のことばかり考えなくてもいいんじゃないか?」
「別にいいでしょ。職場環境を整えるのも私の仕事なのよ。社員の仕事意欲が上がれば会社にいい影響が出るのよ」
どこまでも仕事仕事……正直な話、余裕がないように感じた。月乃と言えば、いつも自信家で、凄いこともいつの間にかこなしているというイメージがあった。まあ、それ自体は今も変わらないのかもしれない。仕事だって期待以上の成果を出してるし、今だって部下のことを考えている上司。月乃が上司なら仕事もしやすいだろう。バリバリ仕事をしながら部下へのフォローを忘れない。おそらくは会社でもリーダー的な位置にいるのだと思う。
……でも、休みの日にまで仕事漬けの毎日は心への負担が大きすぎやしないか。今日はそれなりに楽しんではいたようだが、結局は仕事のことを考えている。何というか、追い込まれている印象を受ける。
そんな姿を見ると、月乃が心配になってくる。だからこそ、俺は提案をしてみた。
「……なあ月乃、ちょっと休んだらどうだ?」
「休む?」
「お前さ、前に言ったよな。今の自分がどうしたいのか分からないって。それって今も継続中なんじゃないのか? 自分の方向性が分からないから、今の仕事をがむしゃらにする。――そして誤魔化す。……違うか?」
「………」
月乃は黙り込み、俯いてしまった。
(……ビンゴ、と)
月乃との付き合いはそこそこ長い。だからこそ分かることも多い。今の反応もそうだ。隠していたつもりの本心を指摘され、顔に出す。素直というか純粋というか……
「何事にもメリハリってやつが存在するんだよ。仕事をする時、休む時、それをキッチリ分けてこそ全てに充実感が出るんだと思う。もちろん、完全に忘れることは違うとは思うが、少なくとも休みの買い物までまるで職場の買い出しのように過ごすのはどうなんだよ。特にお前は休みが少ない。少しくらい、気晴らしをしても誰も文句は言わないと思うぞ?」
「……いいのよ。別に」
突然、月乃が口を開いてきた。その声はどこか不機嫌そうだった。
「私には私のやり方があるの。休みの時だって仕事のことが気になるし、仕事をするのが好きなの。晴司にだってあるでしょ? 力を注ぎたいところとか、やりたいことに全力を尽くすこととか。私にとって、それは今の仕事なの」
……真剣な表情をしているが、やはりどこか自分に言い聞かせているように聞こえる。
「……お前がそこまで考えてるなら、俺からとやかく言うのは筋違いだと思うし、応援したいって思う。――ただ、本当にその通りならな」
「何が言いたいの?」
「お前さ、今の自分の顔、どんな顔になってると思う? ――俺には、切羽詰まった顔のように見えるぞ?」
「そんなことは……」
「俺にはそう見えるんだよ。だからこそ、見てらんねえ。自分にブレーキを踏むタイミングを逸して、行き先を見失ってるようにしか見えない。
……俺はな、別に月乃のことを否定するつもりはねえんだよ。自分のやろうと思ったことを貫き通そうとするお前は、確かに輝いて見える。それは、高校の時からそうだった。俺は、そんな柊月乃に憧れてた面があるんだよ」
「そ、そんなこと、急に言わないでよ……。反応に困るじゃない……」
月乃は顔を赤くしてしまった。そんな月乃に一度微笑みを送る。
「……でも、今のお前は違う。違うんだよ。上手くは説明できないけど、何かが違う。だって、お前の口から語られる“仕事”って言葉は、決して“やりたいこと”って感じなんかじゃない。それしか残されてない……そんな風なものに聞こえるんだよ」
「………」
「だから、程よく頑張れ。肩の力を抜け。前を見ながら、空も見ろ。お前に見える景色は、一つじゃないはずだ。……で、たまには俺の店に来い。飯でも食ってけ」
「……うん。ありがとう、晴司」
ようやく月乃は顔を緩めた。それを見て、少しだけ安心した。何だかんだ言って、月乃はほっとけないんだよな……。お節介オバサンになった気がする。
「――さて、そろそろ飯食って帰るか」
「あ、うん! ……ところで……」
はきはき喋ったかと思えば、突然声のトーンを変えてきた月乃。
「ん? どうした?」
「この前晴司が言ってた、結婚のことなんだけど……」
「え? …………あ」
完っ全に忘れてた。肝心の質問を当の本人に思い出させられるってどうよ……
「あ、ああ。そのことなんだけど……」
何はともあれ、流れ的には聞きやすくなった。ここは思い切って、ズバッと問いただして……
「何で私が結婚するの?」
「そうそう。俺もそれを聞きたかっ…………って、へ?」
「だから、私が結婚するか聞きたかったんでしょ? 何でよ」
「いや、何でって、そりゃお前…… 」
(……どういうことだ?)
当の本人のはずの月乃は、本当に知らなそうだった。皆目見当も付かない。そんな表情だった。
(やっぱり、小雪か嘘をついてたのか? でも何で?)
一応、月乃に確認を取ってみる。
「……なあ月乃、親父さんから縁談の話がなかったか?」
「あったけど……何で知ってるの?」
月乃はスンゴイ怪しい目で見ていた。たぶん誰にも言っていないであろうことを俺が知っていたからだろう。
「まあいいじゃねえか。 ……で? どうしたんだ?」
「どうって……断ったに決まってるでしょ?」
「本当か? 本当に断ったのか!?」
「何度聞かれても変わらないわよ。ちゃんと断ったわ」
(ま、普通に考えればそうだよな……)
しかし益々分からん。小雪は、縁談があって月乃は承諾して、更には落ち込み親父さんは準備を進めていると言っていた。嘘と本当が混じってるのか?
(今のところ、縁談と落ち込みが本当で、承諾って件が嘘ってことだよな……
……とくれば、親父さんが話を進めてるってのは? もしかして、月乃が知らないところで、縁談が進んでいるってのを教えたかったのか?)
でも、もし月乃が断って話が終わってるなら、わざわざ俺達に教える意味はない。そう考えると、その線が濃厚だろう。
(回りくど過ぎるだろ……)
何はともあれ、どこかホッとした。そんな自分に何だか違和感を感じるが、そんなもんはどうでもいい。
「……ねえ、もしかして……し、心配したの?」
なぜかおそるおそる訊ねてくる月乃。若干嬉しそうなのはなぜだろうか。
「ん? そりゃ心配するさ。だってお前が人が用意した縁談を承諾して結婚って……」
(……ありえねえからな。精神的な病気の線を心配する)
「そ、そう……そうなんだ……」
はち切れんばかりの笑顔を見せる月乃。……どうも俺と月乃の考えは違うようだが……
とりあえず、結果は出た。問題は親父さんの動向だろう。それを確かめて、真意を直接聞いてみようか。
「なあ、月乃の親父さんって、日本にいるんだよな?」
「え、ええ。前に住んでいた屋敷にいるわ。……それがどうかした?」
(あの家か……)
「……いや、ちょっと話があるんでな」
「父さんに?」
「そう。親父さんに。――割と真面目な話だから、直接話したいんだよ。今度親父さんが家にいる日を教えてくれないか?」
「別にいいけど………ま、まさか!?」
突然月乃は何かに気付いた顔をした。目を丸くし、顔を一気に真っ赤にした。
「そんなことあるわけ……で、でも……それくらいしか理由が思いつかないし……」
(月乃も気付いたか……。そりゃ驚くよな。自分の縁談が勝手に進んでいるんだし)
月乃はしどろもどろになりながら、慌てふためいていた。……どうでもいいが、俺から必死に顔を逸らすのはなぜだろう。
「な、何で急に!? わ、私、全然そんなの気付かなくて……!!」
「心配だからじゃねえか? お前のことがほっとけないんだよ」
(小雪の話から推測するに、親父さん過保護みたいだしな。まあ自慢の娘だろうからそりゃそうなるだろうけど)
「でも、一言も言ってくれなかったじゃない!! それっぽいことも何も……」
(いやだから、縁談はお前が断ったんだろうに)
「そもそも、そんなことを何回も言ったところで、月乃がろくに話なんて聞かないことは十分想像できるからな。言うだけ無駄ってやつだ」
「……そんなこと、ないけど……」
今度は急にシュンとする月乃。さっきから顔の表情がコロコロ変わってるんだが……
「何にせよ、とりあえず親父さんと話す。で、月乃のことをハッキリさせる」
「ほ、本当?」
「当たり前だろ」
「じゃ、じゃあ……私のこと……どう思ってるの?」
再びしおらしくなる月乃。手を胸の前でモジモジさせながら、上目づかいで俺の顔を覗きこむ。
「はあ? そりゃ、大切に決まってるだろ? 言いたくないが、お前は美人だし仕事もバリバリだし、誰に紹介しても恥ずかしくないくらい出来た奴じゃねえか。そりゃ、溺愛するのも分かるだろ?」
「で、溺愛って……。何か使い方が違うんじゃない?」
「そうか? あってると思うけどな……」
「この場合、違うわよ!! ……たぶん」
「う~ん……だったら、愛してる?」
「愛―――――!!」
月乃は固まった。顔は湯気が出るかのように完全に真っ赤になり、目は左右を泳いでいる。手の先から足の爪先までピンと伸ばし硬直する月乃。
(どうてもいいが、さっきから様子が変なんだが……)
「バ、バカじゃないの!? よくそんなこと言えるわね!!」
「バカはないだろ、バカは……。ていうかどうしたんだ? さっきから変だぞ?」
「そ、そりゃ! 変にもなるわよ!!」
(事が事だからな……落ち着いてもいられないだろう)
「も、もういい! 私、帰る!!」
月乃は俺が必死こいて運んでいた荷物を抱え、足早に歩き始めた。
「お、おい!! 手伝うって!!」
「いいから!! 私にも、心の準備が必要なのよ!! そのくらい考えなさい!!」
(何怒ってんだ?)
そう思いながらも、仕方なく立ち去る月乃を見送る。
「日程、ちゃんと教えてくれよ!!」
「~~~ッ!! うるさい!! 分かってるわよ!!」
(……だから、何怒ってんだよ)
何だか後半はわけが分からなかったが、とにかく親父さんと直接対決だ。面と向かって話したことはないが……まあ、なんとかなるだろう。
最後の月乃、怒っていながらも凄まじく浮かれているように見えたが……相変わらずよくわからん奴だ。
そして俺は、日が沈む空を眺めながら、家に帰った。