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 店の外は凄まじく暑かった。

 なんでも、例年に比べ一週間ほど早い夏入りになりそうだとか。流しっぱなしのテレビでお天気お姉さんが説明していた。

 毎度毎度思うが、“例年に比べ”って、本当に比べているのだろうか。毎年聞く言葉のように思えるが……

 あんまり毎年“例年より早い”なら、それは既に“例年通り”と言えるのではないのだろうか。

 そう、例年通り、干からびるほど暑い……


 しかし、店の中はもっと暑かった。



「ほら晴司!! さっさと注文取って来い!!」


「分かってるよ!!」



 店の中は、喧噪の渦の真っ只中だった。

 黎の作戦は見事に的中。次の日から、人が押し寄せるように来始めた。次々と人が入れ代わり立ち代わり来店と退店を繰り返す。

 一部の客は、どうも黎を目当てに来ていたようだが……残念ながら、あまりの客の多さに黎は厨房に缶詰となっている。その中のさらに一部の客は、俺の顔を見て舌打ちをする。

 たまに厨房から出てきる黎は、輝くような汗を流しながらカウンターで水を飲む。そして俺に微笑みを送り、蒸し風呂のような厨房へと戻っていく。

 そんな一瞬の(きら)めきを眼に映すことが出来た男性客は、一様にヘラッと締りのない表情を見せた後、やはりお決まりのようにキリッとした殺意の視線を俺に流すのであった。


 俺がいったい何をしたと言うのだろう。俺は悪くないぞ。責めるな俺を。ヘコむぞ俺が。

 俺の打たれ弱さを舐めんじゃねえ!!



 それにしても、少し前では考えられない光景だ。あれから数日しか経っていないが、店の経営は既に大幅に黒字に転換し、リピーターも数多く獲得している。

 誤解を招かないように、恐れることなく真相を言おう。


 全て、黎の功績だ。俺は、何一つ貢献しちゃいない。

 まったく情けないにもほどがある。いったい俺の存在意義は何なのだろうか。


 そんな考えが頭を(かす)めるが、それをじっくり考察するほど、今の俺には時間的余裕がない。

 会社勤め時代にも経験したことがないような忙しさに振り回され、自己嫌悪を心の奥底に封印したまま、俺は黙々と注文、配膳、会計、片付けを繰り返すのだった。





 ==========

 




 時刻は、すっかり夜になっていた。

 あんなに暑くて眩しかった外は、すっかり夜の落ち着きを取り戻していて、少しだけ涼しい風が吹いていた。


 それにしても、夕食まで食べに来る客が多いのが驚きだ。冷蔵庫の中が毎日空っぽになってしまう。それは、黎の料理が凄まじい腕という事実を、改めて俺にマジマジと実感させるかのようだった。


 店を閉め、後片付けと明日の準備をする。


 そんな中、俺はふと黎の顔を見て、物思いに(ふけ)っていた。


 黎は変わらず毎日喫茶店に来る。今更だが、本当に会社を辞めてしまったようだ。

 なんと勿体ないことだろう。黎の位置に行きたくてしょうがない社員なんてたくさんいるだろうに。それを全て投げ出して、黎は街角にあるちっちゃな喫茶店に本当に転職してしまったのか。

 それは黎の意思かもしれない。いや、本当にそうなんだろうか。もしかしたら、黎の意志とは反する行為だったのかもしれない。

 俺がいるから“しょうがなく”こっちに転職した。そんな気がしてしまう。

 それは、黎に言っても否定するだろう。きっと、ほぼ無意識のことなのだろう。


(全ては、俺のせいかもな……)


 そう、思ってしまった。


「どうしたんだ晴司? 何だか呆けてるぞ?」


 コップを洗う俺の顔を、(ほうき)片手に覗き込む黎。

 その顔は、純粋という言葉がよく合いそうだった。キョトンとした表情を浮かべる黎は、俺の中の灰色の気持ちなんてのは想像も出来ないだろう。いや、理解しなくていいんだ。コイツは、このままでいい。

 このままの黎で、俺を置いてでも前に進むべきなのだろう。


「……お前がさ、ここにいるのって、何かスンゲエ違和感があるんだが……」


「そうか?」


「そうそう。料理は凄まじく上手いし、言いたくはないが容姿もいい。何でこんなちっちゃな町角の喫茶店にいるのかが理解出来ん」


「ふ~ん……」


 黎は、何かを感じ取ったようだった。

 目を細め、ジッと俺の顔を見ている。もしかしたら、俺の考えがバレているのかもしれない。黎の嗅覚は驚くほど鋭いのだ。


 何だかたじろいでしまっていた俺に、黎は切り出した。


「晴司……もしかして、アタシが会社を辞めたのが、自分のせいだって思ってない?」


(……だから、何で毎回図星突くんだよ。反応に困るじゃねえか)


「……いや、そんなことは……」


「はあ……やっぱり……」


 俺の反応を見た瞬間、黎は手を頭に置き、深い溜め息を吐いた。


 ……完全に、確信したようだ。



「……まあ、晴司がどうしてそんな考えになったかは、だいたい予想が付くけどな」


 黎は、優しい表情をしていた。だけど、眉毛はハの字になっている。何を困ってるんだか。


 かと思いきや、今度は真剣な表情に変わる。コロコロ変わる表情。それもまた、黎のいつもの一面だ。


「一つだけ言っておくよ。アタシはね、自分の行動は、自分自身で決めてきたんだ。そこは誰の意志も通じない。言葉も通じない。参考程度にはするけど、アタシの行動の最終決定権はアタシにあるんだ。

 ……例え、それが晴司だとしても、アタシは自分の道は自分で決める」


 黎の言葉には力があった。気持ちが込められたって言った方がいいのかもしれない。

 どこまでも真剣に、本気で、一心に俺の目を見ながら黎は話す。


「確かに、前の仕事は楽しかったよ。自分で方針を決めて出来たし、結果が出れば嬉しかった。アタシを信じて皆がアタシに付いてきてくれた。それは、とても幸せなことだったよ。

 ……だけどね、アタシの本当の幸せは、そこじゃないんだ。アタシの本当の幸せは、晴司の隣にしかないんだよ。

 今まで散々言ってきただろ? ……つまり、そういうことなんだよ」


「……だとしても、俺は何だかお前に申し訳ないんだよ。黎からはそうかもしれないけど、俺からすると、黎はまるで鎖に繋がれてしまってるかのように見えるんだよ。

 本当はもっと別のことがしたいんじゃないのか。本当はもっと自由に生きたいんじゃないのか。そんなことを、お前を見てると考えてしまうんだよ。

 もちろん、お前は否定するだろうけどな。だけど、俺にはどうしてもそう見えるんだ。

 これも散々言ってきたことだけど、正直、お前には俺なんかじゃ到底釣り合わないって思うんだ。俺みたいな凡人に、超人のお前は手に余る感があるんだ」


「………はあ」


 俺の話に、黎は再び大きな溜め息をついた。


「晴司さ……そういうの、あんまし良くないぞ? 自分の考えを人に押し付けるの。

 アタシ以外なら幻滅するかもしれないレベルだぞ?」


 少し、呆れてしまったのかもしれない。

 俺の言葉は、高校時代から何も変わっていない、自分勝手な意見だと思う。


 だとしたら何でバッサリと関係を断ち切らないのか?

 何でいつまでも黎に甘え続ける?


 自分自身で思う。俺は、言ってることとやってることがアベコベだ。矛盾しまくってる。

 これで二十四歳っていうんだから笑ってしまう。歳だけくって、結局はガキのままみたいだな。


(いつまでもコーヒーが苦いわけだ……)


 何だか、すごく納得してしまった。



「………はあ」


 今度は、俺が深々と溜め息をついていた。


 実に妙な光景だろう。

 経営は圧倒的黒字。波に乗る喫茶店。……でも、閉店後は従業員総出で溜め息の嵐。


 これもまた、アベコベだ。



「………」


 ふと黎を見ると、少し様子が変わっていた。

 片手で乱暴に持っていた箒を、大事そうに両手で強く握っている。俯き、サラサラとした前髪がその表情を俺に見せないかのように遮断する。


「黎? どうしんたんだ?」


 俺の言葉に、黎は少しだけ体をビクッとさせた。


「い、いや……何でも……」


 少しだけ顔が見えた。

 顔が赤い。目が虚ろだ。


(……まさか、体調が悪いのか?)


 それもそうかもしれない。ここ数日、たった一人で灼熱の厨房に毎日立ち続け、朝から晩まで働き詰め。いくら超人とはいえ、体調を崩しても何一つ不思議ではない。


 何でもっと早く気付いてやれなかったのだろうか。

 俺は自分のことばかり気にかけて、黎の変化にも気付きもしなかった。


(最低だ……最低すぎるぞ、俺)


 容赦ない自己嫌悪が俺を襲う。心が締め付けられる。

 

「黎、体調が悪いのか? それならそうと正直に言ってくれよ?」


 今更心配する自分が情けない。不甲斐ない。


 ……本当に、俺はどうしようもない男だ。



「ち、違うんだ!! 違うんだよ……」


 黎は、それだけを告げ、口を閉ざしてしまった。


「……違うって、本当なのか? 嘘つくんじゃないぞ?」


 黎は首を左右に振る。“嘘じゃない”と言いたいのか?


 黎の考えを必死に推測する俺に、痺れを切らしたように黎が静かに話し出した。



「……晴司が、そんなこと言うからさ……アタシが本気だってのを、どうやったら証明できるか、考えてたんだ……」


「は? なんだそれ?」


「だって、あんまり信用してくれないから……でも、一個だけ思いついた」


「思いついたって、何を――」


 突然黎は俺に抱き付いてきた。


 ……そして、自分の唇を、俺の唇に重ねてきた。



「――――!!!???」



 俺は、固まってしまった。

 店内も、まるで時間が止まったかのように静寂に包まれていた。

 それを否定するかのように、時計の針の音だけがやけに響き渡っていた。

 体越しに、黎の心臓の音が聞こえる。物凄い勢いで脈動しているのが分かる。顔は凄まじく熱い。まるで直接火が点いているかのようだった。柔らかい唇もまた熱を帯びていて、かすかに震えていた。



 ……少しして、黎は俺から勢いよく離れる。その場で後退りを始め、立て掛けていた箒に足が当たり、箒は音を立てて床に倒れた。


「ア、アタ、アタシの、初めての、キ、キスなんだからな!!」


 凄まじく動揺している。顔はペンキを塗りたくったかのように真っ赤になり、目には涙が浮かんでいた。


「ほ、ホントは、け、結婚した後に取っとくつもりだったんだけど……ま、前借だ!!」


「いや……キスの前借って……」


「キ、キスって言うなああああ!!!」


「……いや、お前が最初に言ったんじゃ……」


「うああああああん!!!」


 黎は一目散に出口に走り出した。


「お、おい!!」


「また明日あああ!!!」


 俺の声に止まることなく、全力で走って帰ってしまった。訳の分からん叫び声を上げながら。

 慌てて店の外に出たが、既に姿はなかった。まさに、フルスロットルで走ったのだろう。


「いや……荷物……」


 そう呟きながら、自分の唇を触ってみる。俺もまた、熱くなっていた。


(……よく考えたら、嫁とか言ってるわりに、黎がキスしたのは本当に初めてだよな……)


 そんなことを考えながら、黎が走り去った道を、茫然と眺めていた。 



 

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