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店内はガチャガチャと金属同士がぶつかるような音が響き渡っていた。その音源は、黎以外に何が考えられよう……
「……何やってんだ?」
「ん? 家から持ってきたやつを整理してんだよ」
黎は持参していたバッグから、鍋やらフライパンやら見たこともない調理器具やらを次々と取り出し、テキパキと厨房に置き始めた。寂しかった厨房は、いつの間にかまるでどこぞの有名料理店の厨房のような風貌になっていた。
高校時代も色々調理器具を持っていたが……最近更に増えた気がする。それに比例するかのように料理の腕は益々向上しているし。以前家に飯を食いに行ったら、“何とか肉の何とかソース仕立て”的な、まるで高級フランス料理のような物体を何食わぬ顔で出してきたし。
もはや“趣味”というジャンルでは収まり切れないレベルだ。圧倒的にはみ出してしまっている。ていうか店出せよ。
「それより黎、本当に仕事辞めたのか?」
そうそう、そっちだよ。
何しろこの歳で課長級だぞ? 普通あり得ない出世だぞ?
それを全て捨てて、こんな潰れかけな店で働くってどうよ。たくさんの部下もいただろうに……
「ああ。辞めたよ」
俺のそんな心配を他所に、黎はさも当然のように答える。
「大丈夫なのか? 色んな商談も残ってただろうし、他の部下とかはいいのかよ」
「残った商談なら、ある程度ケリ付けてきたよ」
「はあ? たった一日でか?」
「一日あれば余裕だよ。まあ、途中まで進めてくれていた部下達から仕事奪っちゃったから、その辺は申し訳ないけどな……
後任も信頼できる奴に任せてきたし、大丈夫だろ」
「そんなもんなのか……」
(コイツの会社って、そこそこ大手だったよな? いくつの商談を一日で済ませたんだよ……)
さすが超人。常人には到底不可能な話だ。
黎が退社を申し出た時、さぞや会社は慌てたことだろう。
その後任の子、黎の後釜とは気の毒に……
「何でそこまで……」
つい、心の声が漏れてしまった。
その言葉に、黎は笑いながら答える。
「決まってるだろ? 晴司がいるからだよ。アタシは、晴司の嫁だからな」
……聞きなれた言葉なはずだった。でもなぜか、凄まじく照れてしまった。
そんな自分を隠すために、これまたいつも通りに返答する。
「……だから、違うだろ」
もう一度クスリと笑った黎は、引き続き調理器具の整理に入る。
何だかバツが悪くなった俺は、黎に話題をふることでそれからの回避を目論んだ。
「そもそも、うちの店じゃそんな本格的な料理は出来ないぞ? 俺、調理師免許持ってねえし……」
「ああ、アタシが持ってるから大丈夫だ」
「は? いつ取ったんだよ……」
「前にな。何となく取ってみた」
(そんなにあっさり取れるものなのか? ていうか、多忙の中どうやって取ったんだよ……)
……いや、マジで店出せよ。
ある程度機材の整理が終わったところで、次に黎がしたのは調味料のチェック。
「……これ、いらないな。あ、これ残り少ない。あと、あれとあれとあれを買って……」
黎は調味料を漁り、いらないものはポイポイ捨てていった。
そしてメモをササッと取り、それを俺に突きつける。
「晴司、これ買ってきて」
メモ……にしては多いな。A4用紙一枚分にビッシリ書いてある。
ソースからオイスターソース、聞いたこともないような調味料まで。どこで売ってんだよ……
「ほら早く。昼に間に合わなくなるよ? アタシは食材買いに行ってくるから」
黎にせかされ、俺は街を駆けまわった。あっちこっちの店を周り、何とか揃えて店に戻ると、黎は既に食材を仕入れ、下拵えを始めていた。
「……黎よ。既に金がヤバいんだが……」
そう。黎が指示した調味料は高かいものが多かった。おまけに食材も大量に購入しているし、店の金は底を尽きていた。
「こんだけ揃えても、客が来るか分からないぞ? いくらお前の料理の腕が凄くても、客がいなけりゃどうしようもないだろう……」
そんな言葉を受けた黎は、下拵えを進めながら、微笑みながら言ってきた。
「客が来ないなら……こっちから行けばいいんだよ」
「は?」
……何を言ってるのだろうか……
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「さあさあ食べてみて!! 喫茶店『奥の細道』のランチだよ!!」
黎は大声を出して客を呼んでいた。
しかしそこは、決して店の前ではなかったりする。
「……マジかよ」
そこは、人通りが多い駅。黎は事前に駅の人に許可をもらっていた。そしてそこで料理の街頭販売を始めていた。
(こっちから行くって、こういうことか……)
喫茶店なのに、街頭販売。俺では考えられない発想だ。
黎の戦略は、見事に的中した。
黎の容姿にフラフラと引き寄せられた男共が料理を購入。その美味さと黎の魅力にあっという間に人だかりが出来ていた。
そしていつしか老若男女を問わず、ちっちゃな販売所には列が。全くもって、黎には恐れ入る。
しかも黎は、料理を袋詰めして渡す時に、事前に作っていた店の名前と簡単な地図が載ったチラシを一枚入れていた。なるほど、料理を気に入った人が、そのチラシを見て喫茶店に訪れるということか。
(さすが超人。抜け目ねえな……)
街頭販売を始めて約二時間。大量に作っておいたはずの料理は、あっという間に売り切れた。
俺がマスターから経営を引き継いでから以降、初の黒字経営を達成した。
改めて、黎の凄さを実感してしまった。容姿端麗、明るく活発、料理はプロ以上……
ホント、何で俺にくっ付いてくるのかが理解できない。
事実、昼食を購入する若い男性は、一様に黎の隣に立つ俺を睨んでいたわけで……
(俺、役立たずだな……)
何だか、自分が凄く情けなく感じてしまった。それは黎のせいなんかじゃない。きっと、俺自身のせいだ。
俺の存在価値って、何だろうな……
もちろん黎にはそんなことは言わない。言えば激怒するだろうし。
……それでも、俺の中には何か棘のようなものが刺さっていた。