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数日が経過した。
俺は、未だに部屋に引きこもっていた。アルバイトにも行かず、飯もロクに食べず、外にも出なかった。
(俺、何がしたいんだろうな……)
こんなもんで何かが変わるとは思わない。現実から目を背け、ウジウジ一人で引きこもったところで、宗助が帰ってくるはずもない。
……それでも、俺は表を歩けなかった。見る人すべてが、俺を責めているように感じた。
「……はぁ」
大きく溜め息が出た。
(いったい何の溜め息なんだろうな……)
もしかしたら、自分自身に呆れているのかもしれない。
(分かってるよ……俺がこんなことしたって……そんなこと、分かってるよ……)
……分かってるが、俺は動けない。なんとも情けないことだ。
黎は、公園でしばらく泣いた後、足早に帰っていった。傘を置いたまま。
帰る時には後ろを振り向かなかった。ただ、ベンチを立つ時に一言だけ言葉を残した。
“明日もコンビニ行くから。晴司が来るまで、毎日行くから”
そんな黎に、俺は何一つ声をかけられなかった。立ち去る黎の背中を、呆然と見つめることしか出来なかった。
(ホント、何がしたいんだか………)
改めて、自分への溜め息が漏れた。
ピンポーン
突然、インターホンが鳴り響いた。
(誰だよ……)
ピンポーン ピンポーン
(うるせえよ……)
ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン
(うるせえって……)
ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン
ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン
(………アイツ、意外と元気じゃねえか)
俺は玄関まで急ぎ足で向かう。そして勢いよくドアを開けた。
「黎!! うるせえぞ!!!」
てっきり黎かと思い力一杯怒鳴ったが、そこには、思いがけない人物が立っていた。
「なんだ晴司。生きていたのか……」
「ち、千春さん……」
そこには、黎の母親――白谷千春さんがいた。黒いタートルネックの服にジーパン、髪は短いが、後ろ髪をゴムでまとめていた。
腕を組み、仁王立ちをする千春さん。片手にタバコを持っていて、タバコは未だに止めきれないようだ。
千春さんは俺の顔をまじまじと見つめ、一度大きく溜め息をついていた。
無様な俺の様子に、さぞかし呆れ果てたのだろう。
「入るぞ」
千春さんは、有無を言わさずズケズケと部屋に入ってきた。
「ちょ、ちょっと千春さん……!!」
「うわっ……壮絶だな……」
恥ずかしながら、室内はゴミで埋め尽くされていた。このところ掃除をする気力もなく、近くのコンビニの弁当カスが散乱していた。
千春さんは再び大きく溜め息を吐く。
「晴司……まずは片付けるぞ」
「いや、千春さ――」
「晴司!!!!」
「――――!!!!」
久々に聞いた千春さんの怒鳴り声。心底体が震えた。
「………片付けるぞ」
「あ、ああ………」
俺はやむなく、部屋のゴミに手を伸ばした。
千春さんもまた片付け始めた。ゴミを拾い、掃除機をかけ、雑巾で隅々まで拭く。
掃除をしながら、千春さんは俺に話しかけてきた。
「部屋が汚れていると、心まで汚れるもんだ。特に気持ちがまいってるときは尚更……」
「………」
「………何があったかは、黎からだいたい聞いている」
「………」
「黎が心配していたぞ?」
「………」
「晴司のことだ。こんなことをしても意味がないことくらい分かってるだろ?」
「………」
「………いつまで黙ってるつもりだ?」
「………」
「まあいいだろう……」
千春さんの全ての問いに、俺は無言を貫いた。ヘタなことは言えなかった。理由なんてないし、千春さんの言いたいことも分かってるつもりだ。
でも、今の俺には、何も答える気力がなかった。
何も答えられないまま、着実に俺の部屋は片付けられていった。
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それから、何とか片付けが終わり、部屋は元の景色を取り戻した。
「晴司……」
綺麗になった部屋を茫然と眺めていると、千春さんが近づいてきた。
「……千春さん?」
笑顔でもない、怒りでもない、ただ真顔の千春さんの表情。どこか怖く、どこか懐かしい。
そんな千春さんは、静かに口を開いた。
「歯、喰いしばれ」
「え?」
突然、俺は顔面を殴り飛ばされた。勢いよく、集めたゴミ袋の山に突っ込んだ。ゴミは四方に吹き飛び、鈍い音と共に倒れた俺は、床に伏せたまま千春さんに目をやった。
「お前、何してんだ?」
「………」
「それでも楠原晴司か!!!」
千春さんは俺の胸ぐらを掴む。そして引きづり上げ、無造作にヒゲが伸びた俺の顔に、その整った顔を近づけた。
「お前は誰だ!!」
「………」
「答えろ!!!」
「……楠原、晴司」
「そうだろ!? 晴司だろ!? 私が認めて、黎が惚れ込んだ男だろ!?
――そんなお前が、何でこんなに無様になってんだよ!!」
「千春さん……」
「立て晴司!! 立って歩け!! お前は、前に進むんだろ!!!」
「でも……俺は……」
「悩みながらでもいいんだ!! 落ち込みながらでもいいんだ!! 自分のことが嫌で、この世の全てが怖くてもいいんだ!!
でも立ち止まるな!! 歩き続けろ!!
それが生きるってことなんだよ!! お前が歩みを止めたら、誰が歩くんだ!!
……これは、お前の人生だろ!!!」
「俺の……人生……」
千春さんは、俺を解放した。そしてタバコに火をつけ、口から白い息を吐き出した。
「……そうだよ。他の誰でもない、お前の人生なんだよ。
いいことなんてめったにない。後悔してもしきれない出来事なんてざらにある。時には神様を恨んでしまうことだってあるんだ。
それでも、お前は息をしてるだろ?
こんなとこで腐っても時間なんて戻らないし、仮にお前がのたれ死んだところで何の償いにも解決にもならない。周りの奴を悲しませるだけだ。
どれだけ立ち止まっても、残酷なほどに時間は進んでいくんだよ。
――だったら、歩き続けるしかないだろう」
「………」
「……今日は、バイトなんだろ?」
「……うん」
「結果はどうあれ、お前が会社を辞めた経緯については何も言うことはないよ。
……でもな、カッコつけるなら、最後までカッコつけろ。
だから、バイト先に行って、お前の今の無様な姿見せて笑われてこい」
そして、千春さんは優しく微笑んだ。
「……それと、たまには家に飯を食いに来い。私たちは、家族なんだからな。
どれだけ離れても、環境や立場が変わっても、私らは家族だ」
それを言い残し、千春さんは玄関に向かう。
「……またな、晴司」
「あ、ああ………」
部屋に残った俺は、ゆっくりと閉る玄関を眺めていた。
そして殴られた頬を触った。
「……痛ぇ」
その痛みは、何か心の奥にまで響いていた。頬がズキズキと痛む。心にもそれが伝わる。
(久々に、殴られたな………)
そう思ってると、頬を触る手が濡れた。
「……何だ?」
改めて手を見ると血じゃなかった。無色透明、少しベタつくものだった。
俺はもう一度頬を触る。
……その時、初めて気付いた。俺は、目から涙を流していた。
「あれ? 何だよこれ……俺、何泣いてんだよ……」
必死に拭うが止まらない。止まってくれない。
止まらない涙を拭っていたら、だんだんと声が漏れてきた。
その声は徐々に大きくなる。そしていつしか、それは慟哭に変わっていた。
綺麗になった部屋。俺しかいない部屋。外から風が囁くように木々を揺らす音が聞こえる部屋。太陽の光が優しく射し込む部屋。
そんな部屋の真ん中で、俺は、声を出して泣いていた。