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その日の公園は、雨が降っていた。
シトシトと降り続ける雨の中、大きな蝙蝠傘をさして濡れたベンチ座っていた。ズボンが雨で濡れている。傘にはポタポタと雨音が響き渡る。景色は雨で霞み、花や枝は空からの雫を受けカサカサと揺れていた。
もちろん公園には誰もいない。公園の客は俺だけだ。たった一人、雨に揺れる景色を眺め続けていた。
「………」
俺がなぜここにいるかと言うと、よく分からない。出かけるつもりもなかった。だけど、アパートの窓から雨が降る景色を見ていたら、自然と外に向かっていた。当てもなく、理由もなく、雨模様の空と景色と音を全身で感じながらフラフラと街を歩き、目に写ったこの公園でこうして座っている。
仮に何か理由を付けるとするなら……そうだな、きっと何かに癒しを求めたのかもしれない。
(……何にだよ。何に求めたんだよ)
見ていた景色にすら目を背けた。下を視線を向ける。
俺の心は揺れていた。ユラユラと振り子のように左右を泳いでいた。何をしてもそれは止まることはない。揺れる振り子。揺れる心。揺れる感情。
その音が耳に響くようだった。
「……晴司」
「ん?」
後ろから声をかけられた。そこには、ピンク色の傘を差した女性がいた。
ブロンドの髪の先端が雨に濡れていた。そしてその表情は、雨のようにしっとりとしていた。普段とは全く違うような表情だった。
「……黎」
「こんなところで、何してるんだ?」
「……別に。お前こそ何してんだ?」
「……別に」
浮かない表情のまま、黎は俺の隣に座った。
「冷たっ!! ここ濡れてるじゃないか!!」
「雨なんだから当たり前だろ?」
「あ、そうか……」
「何やってんだよ、お前……」
黎は顔を赤くし、俯いた。
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黎もまた雨の景色を眺めていた。
でも、さっきから黎の視線を感じる。こういう時の黎は、俺に何か聞きたいことがあるが、それが聞けないでいるパターンだ。
黎が何を聞きたいか……そんなこと、分かりきっていた。
ほっといたら、いつまで経っても何も聞いてこないことも知っていた俺は、自分から話すことにした。それは特に理由もない。
……いや、違うな。俺は、誰かに聞いてほしいのかもしれない。自分の言い訳を。想いを。全てを。
だから、俺は話し出したんだ。
「……アイツはな、俺の、後輩だったんだよ」
「……アイツ?」
「最初っから軽口叩いて、俺の後付いて回って、俺に嫌味言ったり上げ足取ったり……まったく、俺を先輩なんて微塵にも思っていないようだったよ」
「………」
「でも、仕事は全然違っていた。俺が言ったことは一字一句正確に理解して、俺が教えたことはキッチリやって。俺が七年かけて培ったものを、たった一年でほとんど覚えやがった。ビビったよ。マジで」
俺は思い出し笑いをしてしまった。でも、そんな俺の表情を見た黎は笑っていなかった。
「会社辞める時だって思ったんだよ。こんな奴が処分されることはないって。俺一人が全部しょい込めばいいんだって。
……だって、そうだろ? 凄まじく優秀だったんだぜ? 俺みたいな凡人程度の首で、アイツの将来が守られるんだ。俺は、胸を張って辞めたんだよ」
「それって……」
「――でも、それは違っていた。間違ってたんだ。アイツが、そのあとどれだけ苦しめられたか、自責の念に襲われたか……俺は、考えてやれなかったんだよ」
「……晴司」
「笑える話だよな……俺がアイツのためにしたことは、逆にアイツを徹底的に追い詰めることだったんだよ。そんなこと、想像も出来なかったんだよ、俺は……
だから、奴は自分の人生に幕を閉じてしまったんだ。俺が、そうさせたんだよ……」
「………」
「おかしな話だ。アイツは、間違いなく主人公だった。上を目指せる、成り上がれる、そんな話の主人公だったんだよ。それなのに、脇役中の脇役であるはずの俺が、アイツの物語を終わらせたんだ。
……葬式の時に、親御さんに言われたよ。“アンタのせいで宗助が”って。“原因を作ったアンタを責めずにはいられない”って。
そうだよな……そうなんだよ! 俺にも分かってるんだ!! 俺が……俺が、宗助を――!!」
「もう止めろよ!!!」
黎は持っていた傘を手放して、俺の体を両手で包んだ。その反動で、俺の傘も真っ黒なアスファルトの地面に落ちた。
「もう、止めろよ……晴司は何も悪くない、悪くないんだ……アタシには、分かってるよ……」
「でも……でも……俺が……俺が殺したんだよ!! アイツを……宗助を殺したんだ!!!」
「止めろって!!」
裏返った声で、黎はもう一度叫んだ。俺の体を力いっぱい抱きしめている。雨に打たれた肌は冷たかった。でも、体の芯にある暖かさは、どことなく感じた。
「止めてくれよ……こんな晴司、見たくない……見てられない……」
「黎……」
「アタシが、傍にいるから……ずっと、晴司の傍にいるから……晴司の抱えたもの、アタシも背負うから……だから、今は、もう止めてくれよ……」
全身に雨が降り注いでいた。顔にも容赦なく冷たい雨が降り注ぐ。でも、その中には熱を帯びた雫もあった。
「ああああ……!! ああああああ………!!!」
……黎は、声を上げて泣いていた。それは、俺にとって初めての光景だった。声だった。
でも、なぜ黎が泣いているのか、俺には分からなかった。
雨音だけが響いていた中に、黎の泣き声も混じった。そんな声を受けて、俺の心臓の音も高鳴っていた。
雨音、黎の泣き声、俺の心臓の音……三つの音は、まるで三重奏を奏でるように、誰もいない公園に響き渡っていた。