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次の日は、生憎の曇り空だった。どんよりした雲が一帯を包み、今にも雨が降りそうだった。
「………」
(クソ……幸先悪いな……)
商談は晴れているときがベストだと思う。晴れていればこころに少し余裕が出るが、曇り空で薄暗いと、どこか不安な気持ちになる。
商談とは、会話能力、人当たり、運、勢いが大切だという持論を展開する俺としては、こんな空模様では勢いが50%ダウンとなってしまう。
……それは、致命的だ。
「まあ、昨日言ったことは冗談として、俺が何とかするから、サポートを頼むよ」
「はい!!」
「……はい」
夕香は、依然として表情が暗かった。
「……夕香、本当に大丈夫か? 何だったら、会社で待ってても……」
「――それは嫌です!!」
大声で返す夕香。そんな夕香の姿は、今日の商談に緊張しているわけではないことが理解出来た。
「……なら、いいけどな」
俺の中の不安は消えないまま、俺たちはビルの一四階を目指した。
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そこは、大企業であることが更に実感してしまうほどの巨大な会議室だった。
薄暗い室内。巨大なテーブル。その端に座る俺たち三人。それを見つめる月乃を含むお偉いさん達。
「……というわけで、今回のご説明を終わらせていただきます。皆様お忙しいところ、ご清聴下さりありがとうございました」
「……ありがとうございます。それでは営業部長。何かご質問があれば」
営業部長――月乃が立ち上がる。
「今回の新商品についての説明は分かりました。
……そこのお二人。今回の製品について、どう考えますか?」
「え?」
「我が社が考える今回の製品の狙うべき客層は、若者層です。そこで、そこのお二人にぜひ意見をお願いしたいんですが……」
「あ……あの……」
完全なる不意打ちを受けた二人は、完全に固まった。
(マズイな……)
「……緊張しなくていいんですよ? 私たちは、会社としての意見ではなくて、若者としての意見を聞きたいだけなんです」
月乃は気を使ったのか、優しく微笑みながらフォローした。
月乃は、あくまでも相手会社だ。しかも大企業の。当然だが、そんな中月乃は相手が俺だからと言って有利に考えることはない。絶対に。
それは、月乃の立場上無理なのだ。月乃は大企業の部長級。その下にはたくさんの社員がいる。月乃が誤った判断をして会社に損失が出ることがあれば、下手すれば社員の首が飛ぶことになる。
そんな中での月乃のフォローは、月乃が今出来る、俺への最大限のサポートのように感じた。
(……サンキュ、月乃)
俺の視線に気付いたのか、月乃は一瞬だけ俺の方に視線を送り、ニッコリと微笑み直した。
「……何もありません」
「え?」
夕香は、月乃の質問にそう答えた。
相手企業の白髪の年輩さんは少しムッとした表情を浮かべた。
「……何もないというのは、どういうことかね?」
「……いや……その……」
「キミは、自分の会社の商品について、何も思わないのかね? そんな商品を、我が社に営業しようとしたのかね?」
「そ、そんな!! そんなつもりは――!!」
(クソ……最悪の展開だ……)
普段の夕香からでは考えられない発言だった。俺も驚いたが、宗助はさらに驚いていた。
目を泳がせながら、俺に救いを求めるかのような視線を流す。
「……申し訳ありません。この子は、少しだけ緊張しているようです。この子が言いたいのは、“この商品について、何も問題はありません”と言いたかったんです。
語弊を招く言い方をして、すみません」
「……本当かね?」
「はい」
白髪のオッサンは、俺を睨み付けた。
「キミには聞いてないんだよ。私は、その子に聞いてるんだよ」
「……すみません」
「……ならそう言えよ」
「―――!!!」
宗助がぼやいた。心に浮かんだ感情を、表に出してしまったような感じだ。宗助自身も、おそらく自覚してないだろう。
「そこのキミ!! なんて口をきくんだ!!!」
オッサンは立ち上がり、宗助を指さした。
「え!? ――あ!!!」
そこで宗助は、自分の発言がいかにマズイことだったかを理解したようだ。
「もう帰りたまえ!! 不愉快だ!!」
「少し落ち着いてください!」
「キミは黙っていてくれ!!」
月乃の言葉も、オッサンは聞く耳を持たない。
烈火の如く怒り狂うオッサン。
「すみませんでした!! すみませんでした!!」
宗助はしきりに頭を下げる。夕香は涙目になっていた。
それでも一向に相手側の怒りは収まらない。
(……これは、もう無理だろう)
踏ん切りをつけた俺は、立ち上がった。
「……この度は、弊社のご説明をご聴取下さり、ありがとうございました。
それと、大変ご無礼な態度を取ってしまい、まことに申し訳ありませんでした。
この子たちは、まだ新人です。ですが、それは今回の無礼な態度の言い訳にするつもりはございません。
――指導員である私の指導不足でした。
今回の件は弊社に持ち帰り、厳正な処分を検討します。ですので、もしよろしければ、今後とも弊社と良き関係を継続していただけることをお願いいたします」
俺は深々と頭を下げた。そして、慌てふためく二人の肩を叩いた。
「……帰るぞ」
二人は何も言わずに、頭を深く下げ、俺の続き会議室を後にした。
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「何考えてんだよ!!!!!」
外に出た瞬間、宗助と夕香を怒鳴りつけた。
二人はビクッと体を震えさせ、黙り込んでいた。
「いいか!? お前らは遊びに来てんじゃねえんだよ!! 俺らの会社背負って来てんだよ!!! ああいう場での俺らの発言はな、会社の発言になるんだよ!!!」
「すみません……」
「ごめんなさい……」
二人は、涙を流していた。
今回の商談は、確実に失敗だ。しかしそれ以上に、相手の会社のお偉いさんを怒らせたのはマズイ。
そこでいかにこの二人が泣いたところで、何の言い訳にもならない。
(もう会社に話が行っているだろうな……)
そこから、これからどうなるか、俺にはだいたい予想が出来た。
だからこそ、もしそうなった時を考え、俺は一つ腹を括った。
「……たぶん、もう会社に話が回ってるはずだ。課長からは凄まじく怒られると思う」
二人は、愕然とした表情で固まっていた。
「だから、ここで約束しろ。二度とあんなバカな行動はとらないと。わかったか?」
二人は、無言で頷いた。
「それと、お前らはもう何も言うな。課長には、俺から説明する。その途中に、一切の横入れをするな。――いいな!?」
「は、はい――!!」
「はい……」
俺たちは、重い足取りで会社に帰った。
そんな俺の鼻の頭に、ポツリとだけ雨粒が落ちた気がした。