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静かな喫茶店がああああ
季節はそろそろ冬に変わる。
暑すぎる夏は嫌いだが、寒すぎる冬も嫌いな俺は、ちょうどいい季節である秋の終わりを一人寂しく思っていた。
(晩秋の夕暮れ、か………)
少し違う気もするが、それはご愛敬としてほしい。
ここは、とある喫茶店。
木造の店内は、カウンター席が五席、四人テーブルが三つと中々の大きさだ。常にしっとりした音楽が流れる、平凡な喫茶店だ。
店名は色々悩んだが、喫茶店『空模様』に落ち着いた。
なぜ俺が喫茶店の名前で悩んだかと言うと、何を隠そう、ここはこの俺――楠原晴司の店なのだ。
なぜ二十四歳の俺が喫茶店を経営しているかといえば……まあ、長い人生においては様々なことが起こるわけで………
色々な出来事を得て、俺は先代マスターから、店の看板とマスターの称号を授かったわけだ。
それだけ聞けば実に中二病臭いだろうが、実際にお客さんからは“マスター”と呼ばれている。喫茶店なだけに。黒いスーツのズボンに白いカッターシャツ、黒いエプロンが俺の制服だ。マスターっぽいだろ?
マスター……いい響きではないか。凡人たる俺でも、そう呼ばれる日が来たのだ。まさに感無量だ。落ち着いた雰囲気の喫茶店にしていきたいと思う。
……しかし、我が店が誇る二大超人……もとい、二大看板娘は、俺をそうとは呼ばない。呼んでくれない……
「晴司! ボケッとしてないでさっさと料理と飲み物運びなさい! それが終わったら注文取る!!」
「ほら晴司! ナポリタン二つ出来たぞ! 次は何だよ!!」
マスターとは、喫茶店の店長を指す。
店長とは、店の長と書く。
店の長とは、その店で一番偉い人のことを指す。
……俺、マスターだよな?
(全くそんな実感が湧かない……)
俺は溜め息をつきながら、店内を見渡した。
さっき言ったが、俺は落ち着いた雰囲気を売りにしたかった。
(したかったのに……)
店内は、騒然としていた。昼食時の店は、人がごった返していた。外にはズラリと人の列が並び、まだかまだかと自分の番を待ち構えている。
こんな店の状態は、少し前では考えられなかった。
元々この店を俺が経営し始めた頃は、従業員は店長である俺一人しかいなかった。
客もポツポツとしか来なくて、実にのんびりと、粛々と営業していた。
(……ポツポツ過ぎて潰れかけていたが……)
そこに現れたのが、看板娘その一、白谷黎だ。
黎は俺と同い年の従妹だ。
外国人とのハーフで、長いブロンドの髪を後ろでお団子のようにまとめている。瞳は青く輝き、整った顔立ちは見るもの全てを虜にする。
……しかし、その内面は全く別物だ。
趣味の空手はブラックベルト。口調は男っぽく、性格も荒い。人間凶器、触るな危険。しかも自称“晴司の妻”を名乗る。そのせいで、毎回毎回俺が妙な誤解をされるため、色んな事態に陥っている。
だが、奴の料理の腕は確かなものだ。その腕から作り出される料理は学生時代から更に磨きがかかり、今ではプロも逃げ出すほどだ。
綺麗な容姿に美味い飯。客は断然に増えた。
そして、店の人気を更に引き上げたのが、看板娘その二、柊月乃の登場だ。
月乃は、俺が高校の時に転校してきた。月乃とは色々あったが……それは、割愛しよう。
一時は外国に住んだが、数年前日本に戻り、なんやかんやあり、この店で働いている。
長い黒髪と妖艶な黒い瞳。黎と双極を成す美人であり、ほぼ全てにおいて完璧を誇る。
……しかし、やはりコイツも曲者だ。その言葉は高校の時よりも断然にキツくなっており、ハートブレイカーの異名を俺が与えた。
そうそう、奴は調理場に立つことはない。奴が作る料理は、全てが兵器となる。一口食べれば三途の川にご招待される。(経験者談)
それでも超人は常軌を逸していた。ごった返す人混みから一斉に注文の声が出ると、細大漏らさず全てのオーダーを正確に聞き取り、かつ、誰が何を注文したか覚え、会計もテキパキとこなす。
完璧すぎる超絶美人のおかげで、更に客足は伸びた。
そして二人の服装は、先代マスターの意向によりメイド服なのだ。
黒いフリフリドレスに白い大きなリボン。
美人メイド二人が働く喫茶店……それが、この店の人気を確かなものにした。
今ではネットや雑誌で取り上げられる始末。
“美人メイドが経営する喫茶店!”
……だそうだ。
(いや、店長俺だから!!!)
今や隠れマスターとなりつつある俺は、そんな不平不満を思いつつ、注文取ったり料理運んだりして、戦場の如き喫茶店内を走り回った。
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昼が過ぎて、客足は何とか落ち着いた。
俺は安堵の息を吐き、コップに注いだ水を飲み干した。
「晴司、今日も大盛況だな!」
「そうね。このまま行けば、チェーン店も夢じゃないわね」
二人は元気ハツラツだった。まさに超人。
俺は一人、カウンターで項垂れていた。
その時、チリリンという鈴の音と共に、入り口のドアが開いた。
「……いらっしゃいませ」
「晴司! 声が暗いぞ!!」
「それでも店長なの?」
(それでも店長なんだよおおお!! もっと敬ってくれえええ!!)
そして、開いたドアから一人の優しそうな中年女性が入ってきた。
その女性は店内を見渡し、一直線にカウンター右端の席に座った。
「……晴司」
月乃は神妙な表情で俺を見てきた。
「……分かってるよ」
俺は頭をかきながらその向かいに立つ。そして、“あの言葉”を口にする。
「喫茶店『空模様』へようこそ。ご用件は?」
「……実は、息子の件なんです」
女性は落ち込んだ表情で話し始めた。
この喫茶店は、先代マスターがある“隠れたサービス”をしていた。それは裏メニュー的なものであり、口コミだけで広がっていた。
それが、“悩み相談”だ。
悩み相談と言っても、先代マスターはお客さんから愚痴を聞き、慰めたり助言したりしていただけなのだが……俺に経営が変わってから、なぜか“悩み解決所”的なものにグレードアップしていた。
その原因は……まあ、俺にあるが。
相談者は、必ずカウンター席の右端に座る。
そして、店長である俺が店の名前を告げ用件を伺ってからが、相談開始となる。
このサービスは、言わば先代マスターの遺言だ。この店の経営を渡す代わりにそのサービスを続けること。それが店を譲る条件になっていた。
そう、この店は、俺を平穏な日々から遠ざけていた。
……とある喫茶店の平穏とは言えない日常。
俺は今日もカウンター右端の席の前に立つ。困りごとを抱えたお客さんの話を聞くために。
(……ここ、喫茶店だよな?)