脇役の少女の物語
あたしは、別段可愛いわけでもなく、特にずば抜けた能力もない。
平凡な家庭で平凡に育った、平凡なあたしには、いわゆる「脇役」が似合うと、自分でもそう思っていた。
そんなあたしが、身の程を弁えず、主役を望んだのは、高校に入学してからだった。
高校に入学したら、絶対に合唱部と決めていた。
小学校の頃から歌うことは好きだったし、中学の合唱祭では毎年パートリーダーもやらせてもらっていた。
パートはアルト。ソプラノを支えて引き立てるアルトはあたしにぴったりだし、その役目に誇りもある。
地味だのなんだのと言われることもあったけど、あたしはアルトが大好きだ。
「こんにちはー・・・」
合唱部の活動場所となっている音楽室のドアを恐る恐る開ける。
近くにいた先輩がすぐに気づいて、駆け寄ってきた。
あたしと目があった時、ぱぁっと花が咲いたような笑顔になる
「こんにちはーっ!仮入だよね、こっちにどうぞ!」
「あ、はい・・・」
先輩に連れられて音楽室の中に入ると、ほかの先輩方にも声をかけられる。
緊張しながらそれに応えながら、先輩についていく。
「えっと、とりあえずこのノートにクラスと名前と出身中学と、中学の時の部活を書いて」
「はい」
「そしたら、ほかの一年生が来るまでちょっと待っててもらいたいんだけど、時間は大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
じゃあよろしくね、とにこりと微笑まれ、あたしはこくりと頷いた。
ノートの書き込みを終えると、さっきの先輩が自己紹介にやってきた。
「えーと、秋本咲良ちゃんね。私は山原ひとみ。三年生なんだけど、夏のコンサートまでは部活に出るから、よろしく。・・・って、まだ入るってわけじゃないか」
最後に苦笑を漏らした山原先輩に、私は慌てて言葉を返す。
「入部します!あたし、高校に入ったら合唱部に入りたかったんです」
「ほんと!?やった、嬉しい!!」
そうやって満面の笑みを見せる山原先輩は、あたしにとって一番親しみやすく、一番尊敬できる、大好きな先輩になった。
そんなひとみ先輩に彼氏がいるとわかったのは、入部したその日だった。
二、三年の先輩の中で一番かっこいい、二年の優先輩だ。
「もー、優やめてよ、後輩もいるんだからー」
「いーじゃん、もう部活終わったんだし」
あたし含め、一年生全員が唖然とした視線を向ける中、ひとみ先輩と仲の良い柚子先輩が、呆れたように解説を加えた。
「あれは部活後の恒例行事。見てわかるとおり、あの二人はあつあつのカップルだから。ひとみ、優、後輩がすごい目で見てるよ」
「ちょっと、私何もしてないよっ!」
「えー、だって男子いっぱい入ってきたし、ひとみ可愛いから取られないように見せつけとかないとじゃないですかー」
確かにひとみ先輩は可愛いし、今年の男子は去年、一昨年よりも多いみたいだけど・・・。
一年の、否、合唱部全員の疑いを、部長である二年の真樹先輩がため息交じりに突っ込んだ。
「ただの言い訳だろ、お前ら」
「あ、ばれた?」
優先輩はとてもひとみ先輩を大切にしていて、ひとみ先輩も優先輩をとても信頼している。
美男美女、というより、可愛い×可愛い、といった感じの二人は、見るからにお似合いだ。
柚子先輩も真樹先輩もほかの先輩も、なんだかんだ言いながら二人の仲を応援してる。
あたしも、二人を見てると幸せを分けてもらってるみたいだし、何より大好きなひとみ先輩が幸せそうにしてると、あたしまで嬉しくなる。
でも、いつからか、あたしはこんなことを考えるようになっていた。
――優先輩のあの優しさや笑顔が、自分に向いたらどうなるんだろう・・・
思い始めたら、というか、気づいてしまったらそこからは早かった。
ひとみ先輩と柚子先輩が部活を引退する頃、あたしは完全に優先輩に惚れていた。
「ひとみ先輩、二年半、お疲れさまでした」
「ありがと、優」
引退コンサートが終わって本番後独特の空気の中で、優先輩がひとみ先輩に改まってあいさつをしていた。
コンサート中は決して泣かなかった優先輩の目が、ひとみ先輩と向き合ってる今はとても潤んでいるのが、遠目にもよく見える。
それは、優先輩がどれだけひとみ先輩を大事にしてるかを表わしていて。
優先輩にとって「ヒロイン」はひとみ先輩で、あたしは脇役の後輩。
あたしが思わず目を逸らすと、柚子先輩と目が合った。
「柚子先輩ー」
「どうしたの、咲良」
柚子先輩がポニーテールを揺らしながら首を傾げ、その眼はまだ少し赤みを帯びている。
去年は部長でも副部長でもなく、部長補佐のような役割を果たしていたという先輩はいつも冷静で、みんなを落ち着かせたりみんなに突っ込んだり、しっかり者で揺るがない印象だった。
だから、今日のコンサート中、途中で息が詰まってしまうほど泣いた先輩を見て驚いたのは、きっとあたしだけじゃないはずだ。
「先輩が引退しちゃったら突っ込みが・・・」
「咲良が継いでくれれば大丈夫だよ」
「あたしじゃあの数のボケは捌ききれませんよー」
「全部突っ込む必要無いって。突っ込めそうなのだけ突っ込めばいいんだよ」
苦笑しながらひらひらと手を振る先輩。
そういうけど、先輩はボケを取りこぼさない。それはきっと、取りこぼされた方が傷つくことを知ってるからなんじゃないかな、っていうのは、最近気づいた。
「うー、頑張ってみます・・・」
「頑張れ、応援してる」
にこり、と綺麗に笑った柚子先輩の言葉は、突っ込みに対してだけじゃないということは、十分に伝わった。
「柚子先輩、ちょっと良いですか」
「いーよー。じゃあ行ってくるね」
遠くの、人からは見え辛いところから、真樹先輩が柚子先輩を呼び寄せた。
真樹先輩が柚子先輩に特別な気持ちを抱いていることはなんとなく読めていたから、あたしは笑顔で先輩を見送る。
柚子先輩も、真樹先輩をとても大事に、ほかの後輩たちよりもずっと大事にしてるから、きっと帰りには仲良く寄り添う二人が見れるだろう。
二人も、主役なんだ、と思うと、ぐっと胸が締め付けられた。
ひとみ先輩が引退して、あたしの気持ちはいよいよ歯止めが利かなくなった。
去年は柚子先輩がついていたという部長補佐のポジションには優先輩がつき、先輩のかっこよさが引き立ってきたのも問題だ。
家に帰って、布団の中でため息を吐く回数が増えた。
誰かに相談するわけにもいかないし、そもそもこの思いを先輩に伝えようかなんてありえない。
あたしが彼女になろうなんて、そんなおこがましいこと考えるだけ無駄。
そう思って、振り切ろうと決心した日。
「咲良、明日ひま?」
柚子先輩から、メールが来た。
「午前中は部活ですけど、その後はひまです」
「じゃあ、明日お昼ご飯一緒に食べない?」
「いいで・・・真樹先輩も一緒ですか?」
「いや、咲良と話したいことがあったから、真樹には我慢してもらった」
「うわー、あたし、明日以降絞られそうですね」
「あー、優しくするように言っとく」
「宜しくお願いします」
「じゃあ、明日部活終わったら校門で待ってて」
「わかりましたー」
おやすみなさい、と打って、あたしは布団にもぐった。なんとなく、どんな話が来るか、想像はつく。
せっかく決心したのに、という気持ちと、誰かに相談できる、という安心感の二つが、あたしの心を満たしていた。
次の日。
「単刀直入に聞くけど、咲良、優のこと、好きだよね」
聞くけど、と言いながらも、先輩の口調は断定口調だ。
あたしは誤魔化しがきかないことを察して、潔くうなずいた。
「やっぱり・・・。それで、どうせ叶うわけないんだから、告白とかしないで諦めよう、とか思ってるんでしょ」
なんでそこまで・・・と思いながら、あたしはもう一度うなずく。
そして、顔を上げながらふとあることに思い至り、慌てて尋ねる。
「あの、もしかして、ばれてますか?」
「それは・・・優に?ひとみに?それとも真樹に?」
「・・・全員です」
真樹先輩はないと思うけど。
「大丈夫、真樹は気づいてないよ。ひとみもたぶん気づいてない。優はわかんないけど・・・」
「そうですか・・・よかった・・・」
ひとみ先輩が気づいてないなら、一安心だ。大好きな先輩に嫌われてしまうのは嫌だ。
「あのさ、咲良がひとみ大好きなのは知ってるけど、だからって自分の恋を何もしないうちに諦める必要はないんだよ。好きになっちゃうのはしかたのないことだし、好きになった以上は、それを伝える権利があるんだから」
「でも・・・」
優先輩があたしの気持ちに応えてくれることはないけど、あたしが告白することで二人の仲が崩れてしまったら・・・。
そう言うと、柚子先輩は唸りながらゆっくり口を開いた。
「えーと・・・これはあまりに酷だからあんまり口に出したくないけど・・・んー・・・」
先輩は、たぶん、あたしをできるだけ傷つけないように、言葉を選びながら話した。
「あの二人の仲は、そんなこと・・・あーつまり、誰かが、介入したからって、簡単に、その、どうにかなったりはしないと・・・」
「あー・・・確かに・・・」
確かに、それはそうだし、その言葉は実際口に出して言われるとずっしりと心にのしかかる。
「って、別に落ち込まそうと思ったわけじゃないんだよ。つまり、咲良は安心して優に告って良いってこと!」
「あ・・・なるほど・・・」
それは考えなかった。そしてそう考えると、今までの悩みが嘘みたいに軽くなって、告白しても良いんだ、と思えた。
「だからさ、一回で良いから、告白しな。伝えるだけでも、だいぶすっきりして、諦めやすくなると思うよ」
それからは、雑談や柚子先輩ののろけ話(この時、いつもの柚子先輩からは想像がつかないくらい甘い顔をしていた)をしていたけど、心に残ったのは先輩の最後のその一言だった。
チャンスは、一週間後にやってきた。
部活で、近くの町でやる大きな花火大会を見に行くことになったのだけど、ひとみ先輩は生憎塾で来れないらしい。
だけど真樹先輩か優先輩に言いくるめられたらしく、柚子先輩は単語帳片手に現れた。
「私、受験生なんだけど・・・」
「ま、息抜きだと思って楽しみましょうよ」
「せっかくの花火大会で塾の授業ないんだから良いだろ。・・・俺は柚子と見たいんだよ」
「う・・・もー、こんなタイミングで素直になるとか反則」
そう言いながら、柚子先輩は嬉しそうに単語帳をかばんにしまいこみ、真樹先輩と並んだ。
仲良いなぁ、なんて思いながら眺めていると、至近距離で優先輩の声がした。
「すっかりカップルだな。あそこはくっつかないんじゃないかと思ってたのに」
「それは否定できないですけど・・・でも、幸せそうですよね、二人とも」
ドキドキと激しく鳴り響く心臓を必死に押さえつけ、なんとか平静を装って応える。
気を抜くと、言ってしまいそうになる。
でも今言ってしまったら、花火の間中気まずくなってしまう。それは何としても避けたい。
左手をかたく握ることで、口が滑りそうになるのを懸命に堪えた。
花火はあっという間に終わり、混雑が多少解消されるまで、と話していた時間も驚くほど早くすぎた。
始まってすぐにどこかへ消えた柚子先輩と真樹先輩(と、一年も何組か。みんな手が早い)も帰ってきて、全員で駅へ向かう。
あたしと優先輩は、その駅から違うルートだ。
だから、言うなら別れるギリギリ、どさくさに紛れて、と決めていた。
「じゃあ、今日はおつかれさまでしたー」
とりあえず改札の外であいさつを済ませ、それぞれ改札を抜ける。
決心は、できた。
アルトだって、時にはソプラノやテナーを押しのけてメロディを歌う。
もうすぐ、先輩たちが使用するホームに続く階段がある。
脇役だって、いつも陰で主人公やヒロインを支えるだけじゃない。
じゃあお疲れ―、と、優先輩がこちらに顔を向ける。
あたしだって、時には主役になったっていいんだ。
「優先輩、」
頑張れ、という柚子先輩の声が聞こえた。
「好きです」
驚いた先輩の顔は、すぐに人ごみの中に消えた。
あのあと、柚子先輩によく頑張ったと褒められたり、真樹先輩にお前優が好きだったのかと驚かれたりした。
ケータイは家に帰るまで見られず(これは単に電池がなかった)、布団の中でやっと優先輩からのメールを開いた。
返事はまあだいたい予想通り、俺にはひとみという大事な彼女がいるからお前の気持ちには応えられない、という旨だったけど、一つだけ、予想と違う言葉があった。
「でも、お前のその勇気はすごいと思う。俺は尊敬する」
こんな言葉ひとつで諦められなくなるほど純情乙女じゃないけど、ただただ嬉しかった。
なんとなく、お前は主役になってもいいんだよ、と認められた気がした。
明日からは、もうちょっと主役っぽく生きてみようかな。
「人生の主役は君自身」という、中学の校訓を思い出して懐かしくなりながら、あたしは眠りに就いた。
柚子はもう少し出番が少ない予定だったのに、なぜか出しゃばってきました。っていうか、雰囲気的にはやっぱりひとみもしくは柚子が主人公の話が本編としてあって、こっちはスピンオフ、みたいな感じですよね・・・。
そんな本編書く前に2つの連載を進めろって話ですが。
とりあえず、ネタではなくストーリーで思いついたものを二時間半でだーっと書き上げたのでクオリティは低いですが、
ネタとしては気に入っています。
気が向きましたら、ほかのお話もどうぞ。・・・・・・どちらもあだ1話しか上がってませんが。