邂逅
大陸南方に位置する、周囲を分厚いコンクリートで出来た高い壁によって守られた町。そのコンクリートの外壁の上部には設置型の砲台が多数備え付けられており、壁と共に町を守っていた。また北西の方向には高い山が存在しており、そこから流れる水は川となり町の中心部を横切っている。その山の山頂付近には、見張り小屋が建てられており町へと近づく無人機械の接近を知らせる役割を担っていた。
町を囲むコンクリートの外側には川を挟んで南側に放牧地、北側に農園地が広がっていた。人類が衰退し自然溢れる世界には野生動物も数多く存在する事から、この町の食糧事情は悪くは無い事が伺える。人類を脅かしている無人機械の脅威からは、防壁と砲台の他に人型兵器が数機存在することによって守られていた。
全てにおいて満ち足りているとはいえない生活であったが、豊富な食べ物と安全な暮らしに人々は満足して暮らしていた。お互いが助け合っていかなければ生きていけない環境な為、互いに気を使い合うことでトラブル等も特に無かった。町では仕事についての差別が存在せず、すべての職業が存在することで社会が成り立っているという意識が根付いていたのが大きいといえる。中でも命を賭けて町を守ろうとする、人型兵器の操縦者は一際高い信頼と感謝を寄せられる仕事のひとつだった。極めて危険な仕事のうえ個人の技量の差が大きい事もあり、評価に反して担い手はすくないのだったが。
兵器の大量運用という概念が失われていたこの世界において、人型兵器はその乗り手と共に機士と呼ばれている。両方を呼ぶ場合は勿論、それぞれを別に機士と呼ばれる事もあった。大半の人々はまだ知らないことだが、すべての機械は保護膜を利用した独特の防御機能を備えており、これによって装甲の薄い上部や後方からの奇襲といった従来の戦法は効果が薄いのだった。奇襲は先制攻撃を行える事と敵が振り向く間の時間を稼げる程度のメリットしかなく、引き換えに迂回する時間のロスや孤立や包囲されるといったデメリットが目立つ事になる。強力な武器による一撃離脱といった戦い方も存在するが、圧倒的多数だが一台一台が比較的弱い建築機械達を相手に行うことは、あまり効率の良い戦い方とはいえない。
敵を包囲殲滅する方法は一見稚拙にも見えるが、誰にでも簡単に思いつき、この世界でもっとも一般的な戦法である。過去このような戦い方が用いられていた時代の花形である騎士にちなんで人型兵器は機士と呼ばれるようになった。他にも人々を守るといった意味合いや数による運用よりも個人の武勇が重視される戦いからも機士という名は相応しいといえるだろう。
また、この世界では各都市や街ごとに支配者や法が存在しているのだが、外の無法を取りしまる手段は無いのだった。各都市を警護する立場の者達も、危険を犯してまで外の世界へと無法者を追いかける事はしなかった。このため、大半の都市や街は余所者や別の町からの流れ者を嫌う傾向があった。タンクと呼ばれる少年が町に受け入れられたのは、ファングや親方の人望と南方特有の大らかな気質が幸いしたといっていいだろう。
だが無法者に対抗する手段が全く無い訳では無い。各都市や街の支配者達や被害を被った人は、無法者に賞金をかけその情報を流布することで各地に警戒を促すと共に、報酬目当ての者に無法者の始末を委ねたのだった。賞金首を倒す事で人々の信頼を得て、各地を流浪する機士等も現れる。その中でもっとも有名な人物が、ファングである。
愛用の機体、ホワイト・ファングを駆り全国で人々を無人機械から救い、無法者を処罰していく姿は全ての人々に機士としてのあり方を教える。彼は各都市の支配者からの信頼も高く、人々は彼に協力を惜しまないのだった。彼は目的の達成の為、人々からの信頼を得て協力してもらい、妹を見つけ出そうとしているのだった。
町での唯一の兵器工場、そこには人型兵器の構造を学ぶ少年ことタンクの姿があった。熱心に設計図に目を通し、親方達の協力の下、人型兵器を分解、組み立てを行いその構造を学んでいた。タンクの目の前で、工場内の至る所に備え付けられたクレーンによって、機士は分解されていく。少年にとって、部品や武器や機関の作成や組み立てや調整や修理等、全てがこの工場単体で行われていることは不思議だった。各担当の工場に分ける事によって大量生産を可能に出来るのでは無いかと考えていたからだ。もっとも全ての作業を一括して行うこの工場のシステムは全体図を学びたい彼にとっては好都合といえるものだった。タンクがこの町に来て数日が経つが、親方からの信頼もあって工場内では彼は立派な仲間として認められていたのだった。
この世界に存在する全ての兵器工場でこのシステムが採用されている。それは兵器とは目的や使用者に合わせて作られるものだからだ。使いやすいパーツと武器を無難に組み合わせた標準型ロボットといったものも存在するが、ほとんどの場面で役に立つ事は稀である。砂漠等の過酷な環境下では砂漠特化型機体におくれをとり、平坦な場所では軽量型機体にスピードで翻弄され、重量型機体にはたいしたダメージも与えられずに粉砕される。そして使用者の魔法と機体特性がマッチしていなければ人型兵器は、無人機械にすら遅れを取るのだった。一般的な機士達は、各町の工場に戦闘スタイルや用途に合った機体を受注生産して使っていた。特別な用途があれば、再び工場で必要に応じてパーツや武装を換装して戦いに出ることも可能だ。
ある夜、タンクは工場の先輩に連れられて夜の町へと連れて行かれる。そこでは昼間とは全く違う顔を見せていた。酔っ払っておぼつかない足取りで歩く男、そのすぐ後ろには壁に向かって話しかけ色目を使う若い女の姿。夜であるにもかかわらず、その一帯だけは昼間よりも明るかった。
町に来て早々に、戦車の実験で失敗をやらかしたタンクだが、工場内は勿論のこと町でも評判は悪くは無かった。彼の発想は改良の余地こそ残されているものの、すべてが間違いではなかったからだ。彼は今も自らの出自を隠していた為、人々からは頭の良い少年といった印象を持たれていた。この町では特に支配者といった種類の人間はいなかったが、しいて言うならば親方こそがその立場にあるといえた。
町の中で機士を動かせる人間は数十名いるが、最初に機士となった人物は親方であり、時折町を襲いに現れる無人建築機械の集団から幾度と無く町を救ってきた。現に工場で働いている人間は、タンクを除いて全員が人型兵器を操縦する事が出来る。自らで動作のテストを行う必要がある他、新たに機器を手に入れる為には町の外へ出て無人機械と戦う必要がある為だ。そして町が危険に晒された時は、真っ先に機士となり無人機械達と戦うのだった
タンクの前を歩く男は30代前半で面倒見の良い性格でありながら仕事はそつなくこなす為、工場内外を問わず評判の男だった。やがて男は、辺りに点在している酒場の一つを選ぶとタンクを連れて入っていく。適当に空いている席に腰を下ろすと、近くにいた店員の娘に二人分の食事とビールを注文するのだった。
「タンク、おつかれ。機士の大体の構造が分かったなら、あとはなるべく早く魔法を決めたほうがいいぞ」
先輩の男は、タンクを労う目的の他に色々とアドバイスをする目的の為、夜の町に連れてきたのである。
「どの魔法にするか、迷ってて……」
「魔法は戦う目的だけじゃねえからな。この町で広く使われてる、身体能力強化は普通の仕事にも役立つぞ」
先輩が指した先には、元気に働く酒場の店員の姿があった。
「何の魔法にするにしても、まず覚えないと話が進まねえ。機士にとって重要な視点変更の魔法だって、あれば機体の整備の時によく見えて便利らしいしな」
二人のテーブルに店員の手によって、ビールの入ったジョッキが二つと平たい皿にレタスとローストビーフ、少し深めの皿にフレンチフライが並べられていった。
「とりあえず、飲め。今日は俺のおごりだ」
先輩はすぐにジョッキを掴むと、ビールを口にする。そしてテーブルに戻されたジョッキには半分ほどのビールが残っていた。
「遠慮するな。この町じゃあ、自分で金を稼ぐようになったらもう立派な大人だ」
ジョッキに手をつける様子の無いタンクに先輩は言う。タンクの姿に十数年前の自分を思い出していた。
面倒見の良いこの男だが、自身が工場で働きだした時も先輩からこうして何度か夜の町に連れて行かれたのだった。娯楽に乏しいこの町では、酒や異性ぐらいしか大人を満足させるものは無かった。先輩の考えでは数回夜の町へ連れて行ったら、後はタンクが大きな失敗をした時にでも同じ事をしてやるつもりだった。タンクが数回のうちに遊びを覚えたら、それ以降は自分は邪魔になると思っていたからだ。
ジョッキに口をつけるタンクは、こんなものの何処が美味いのかまったく分からなかった。ただ苦いだけの飲み物と感じていたが、先輩の考えを理解し従うことを決め、そして魔法について考えていた。世界を救う為に連れてこられた自分に、何が求められているのか。薄々それは戦う事だと思っていたのだが、他の人間と同じように魔法を身につけ戦ってどれほどの結果をだせるのだろうか。所詮、後初に過ぎない自分にファングのような強さを手にする事が出来るのか。元いた世界の知識を生かして、優秀な機体を作ればそれが可能になるかもしれないとも考えていた。
「機士にとって、戦いに役立つ魔法は他にどんなのがあるんですか?」
タンクは何かヒントが欲しくて先輩へと尋ねる。
「有名なのはさっきの二つだけだな。他に西の都市の支配者の女は、魔法で幻覚の機士を作り出して、それを囮にして戦うとかいわれてたかな。魔法で機体を透明にして戦ってるやつもいるみたいだが、やっぱ身体能力強化と視点変更の二つが強いだろうな」
やがて食事を終えると二人は酒場を後にして、再び夜の町を歩き出す。辺りには、派手な服装の女性が建物の入り口に立ち、二人へと声をかけて来ていた。ここら一帯は娼館の並ぶ地帯である。
「いい店を教えてやる。そのうち痛みを伴って勉強する時が来るだろうが、今はこのあたりはやめとけ」
女性に話しかけられ戸惑うタンクを、先輩は連れて行く。そして一際大きな館へと連れて行くのだった。
中世の貴族の屋敷を思わせる三階建ての館、僅かな曲線を描く屋根に白く美しい壁、色ガラスの窓、そして入り口の大きな扉の前には石膏像が並んでいた。その扉の前に、燕尾服に身を包んだ年配の男が杖を持って立っていた。
「店長自ら客引きとは、相変わらずだね。誰か雇えばいいのに」
先輩が、燕尾服に対して気さくに話しかけた。
「女の子達への報酬を減らしたくはありませんから。いらっしゃいませ、久しぶりですね」
「店長、期待の新人タンクに良い娘を紹介してやってくれ。最高の娘を頼むよ」
店長にそう話す先輩に、顔を赤くしながらうろたえるタンク。
「ちょっと、先輩。僕はまだ年齢も……」
「お初にお目にかかります、タンクさん。自らの手で稼ぐようになった人間は立派な大人です。それに、こんな世の中ですから年齢は何も意味を成しません。」
タンクに近づいた店長は言葉を続ける。その後ろでは先輩は一人で館へと消えていった。
「昔はこういった仕事を生業としていた人間は蔑まれていました。ですが、これも立派な仕事の一つだと私は考えております。人は儚い存在ですから、互いに支え合う事で生きているのです。機士となられるあなたは、明日をも知れぬ身。精一杯のおもてなしをさせて頂きたいのですが」
調子良く語っていた店長は言葉を濁らせた。
「三日後にまたいらして下さい。当館で最高の女性を用意致します。値段も張りますが、お金は数ヶ月後でも構いませんから。それから彼の事は心配要りません、タンクさんはこの後は自由にされて下さい」
そう告げると、店長は館へと入って行った。
しばらくその場にて立ち尽くすタンクは、やがて踵を返し来た道を戻って行くのだった。
「そこの店はどうだった?」
突然、タンクの目の前に背の高い男が現れる。
男はとても細い体つきをしていて、黒髪を長く伸ばし、丸い眼鏡をかけていた。白い手袋に包んだ手で、眼鏡を上げる姿が神経質そうな印象を与える。
「いえ、僕はまだ入っていなくて」
「確かタンクといったか、私はドリームと呼ばれている。ところで君は魔法は何を使っている?」
男は口早に魔法の事をタンクへと尋ねる。
「僕は、まだ魔法は決めていなくて」
「そうか、ついて来なさい。君に素晴らしい世界への扉をプレゼントしよう」
ドリームと名乗る男はタンクの手を掴み、歩き始める。タンクは警戒をしつつも彼についていくのだった。
通称夜の町と呼ばれるこの一帯の外れに、古びた一軒の家があった。タンクは家の中に入るように、ドリームから促される。彼は従うべきか迷ったが、魔法について何か情報が得られるかもしれないと考え、家に入ることをきめるのだった。その家は、周囲に高い壁を備えていることがとても特徴的だった。
室内の隅には蜘蛛の巣が張ってあり、床には埃が積もっている。壁にかけられた鏡は汚れによって、鏡としての役目を果たさない状態へと変わっており、付近に置かれた家具は堆積した埃によって、元の色が何か分からない状態へと変わっていた。ドリームは歩くたびに舞い上がる埃を気にすること無く部屋の中央へと進み、タンクにソファーに座るよう促すのだった。
言われるままにソファーへと座るタンクだったが、座った瞬間に舞い上がる埃に顔をしかめることになる。ドリームもタンクの向かいのソファーに座り、意味有り気に周囲を見渡した後、静かに語りかけるのだった。
「この町には身体能力強化の魔法の流派の他にもう一つ流派がある。今は既に忘れ去られていたも同然の流派だが、かつて魔法を発見した当時、この流派は栄華を極めていた」
ドリームはその流派の継ぎ手であり、タンクをその後継者として相応しいと感じ説明をするのだった。
始祖の魔法と呼ばれているその魔法は、世界の様々な出来事や物理現象を自由に頭の中で正確に再現出来るという。すべての魔法の中で最初に完成した魔法であり、これを用いることによってあらゆる魔法が生まれてきた。その為、始祖の魔法と呼ばれていた。直接何かが出来るわけではないため、今では廃れているが、この魔法の功績は非常に大きいといえるだろう。ドリームはこの流派の最後の伝承者だった。始祖の魔法は彼の手によって新たに生まれ変わることになるのだった。彼はこの魔法を更に進化させ、体験出来ないことを頭の中で体験できるようにし、更にその想像に過ぎない体験に五感を与える事に成功したのだった。この魔法を使うことで、ありとあらゆる事象を自由に、完全な五感をもって体験出来るのだ。そしてドリームはタンクにこの魔法を伝承しようと考えていた。
「想像したまえ、タンク君。あの清楚なマリアがその身体を惜しげもなく披露する姿を、そして優しく微笑みながら口付けをかわして……」
身振り手振りを交えて真剣に説明するドリーム。どうやら、彼はマリアに惚れているようだった。
マリアは町の中心を流れる川の傍に建っている、大きな教会の一人娘だ。真直ぐな金色の髪を長く伸ばしていて、物凄い美人でいて誰にでも優しいと評判の、清楚な印象を与える若い女性だった。タンク自身は一度彼女を見たことがあり、その時はまるで時間が止まったかのような感覚を覚えたという。
「このように素晴らしい魔法なのだが、君には他の使い道もあるだろう。元々は様々な研究に用いられていた魔法だ。これを使えば、新たな兵器を生み出す事も可能だろう。もっとも、マリアの美しい肢体を再現する効果に比べたら、瑣末な事と言わざるを得ないがな」
彼の話を聞いたタンクの頭には衝撃が走るのだった。
この魔法があれば、この世界の事が分かるかもしれない。自分が何をなすべきなのか。そして魔法による研究によって新たな機体を作り、世界を救う事が出来るかもしれないと。
やがて立ち上がったドリームは、懐から液体の入った小さなアンプルを取り出す。そしてタンクにアンプルを渡すと、再び口を開いた。
「君がこの魔法の最後の伝承者となるだろう。魔法を必要だと感じたら中の液体を飲み干してくれ。もし必要なかったらそれは捨ててくれ」
部屋の外へと向かって歩いていくドリーム。彼は出口に差し掛かったところで急に足を止める。
「君だけはマリアを抱くことを許可しよう」
背中で語るドリームは姿を消すのだった。
タンクは手のひらに乗ったアンプルを眺めていた。僅かに温もりの残るそのアンプルは、中に入った液体を怪しげに光らせている。しばらく考えた後に、タンクはアンプルの先を折りその中身を口へと流し込むのだった。
タンクの視界が白く染まり、体からはソファーの触覚が消え、全身が奇妙な浮遊感に襲われる。彼の頭の中に何やら文字の並びが現れては消えていく。やがてタンクは自らの意識が夢の世界へと落ちていく感覚を味わう。断片的な映像がタンクの脳裏に浮かんでは消え、また新たに浮かんでいく。
夢の中では、エミュレートと名付けた魔法によって脳内で物理現象や機体の挙動を再現させて、それを現実の世界で機体の製作に役立てる自らの姿。また、見た事の無い機体の操縦席で、魔法を用い数秒後の敵の動きを正確に予測し勝利を掴んでいく自らの姿。最後に、多くの機士達を率いた自らが、魔法によって数時間後に訪れる敵の軍勢の位置をおぼろげだが予測し勝利へと役立てる姿だった。
埃に塗れた部屋の中、ソファーの上で横たわるタンクの姿がそこに残されていた。ソファーの上で眠っているらしい彼は安らかな表情をしているのだった。家の外では多かった人通りは次第に少なくなり、娼館の前に立つ女性の姿も少なくなっていく。やがて、黒色に染まった空が少しづつ明るくなっていく。
工場にて取り出されたエリクス炉を前に、親方から説明を受けているタンクの姿があった。大まかな構造を覚えた彼は、これからは部品ごとの役割を学んでいくのだった。
人型兵器は大まかにエリクス炉、操縦席と一体となったエリクス制御器、カメラ、骨組み、駆動部、装甲によって形作られている。これらの他に外部に装着する、武装や盾、推力を発生するブースター、変わった部品として足に取り付ける車輪等が用意されていた。タンクは人の身体になぞらえて、エリクス炉を内臓器官、制御器と操縦者を心臓と合わさった脳、カメラを目、骨組みを骨格、駆動部を全身の筋肉、装甲を皮膚として理解した。空気中から栄養となるエリクスを取り込んでいる事や頭部には目となる機能しか付いていない事が人間とは異なっているのだったが。
人型兵器の腹部にあるエリクス炉から送られたエリクスは、胸部にある制御器によって全身の駆動や推力エネルギー、損傷した部分の修理、武装の内部で弾体や弾薬に変化、等の用途に使われる。弾の形成や部品の修理等の、物質へと変化する作業は長い時間をかけて行われる。それから、機体を守る保護膜の形成と回復にも用いられていた。
タンクは最初に保護膜について研究を行っており、これをロールプレイングゲームにたとえて理解することにしたのだった。機体の表面積を保護膜のHPと考え、形成される場所の材質を総合して保護膜の防御力と考える。たとえば、伝説の兜を装備した裸の男は、攻撃を受けた部位に関わらず防御力によって減算された値がHPを減らす。これは全身を皮の装備に交換した場合にも同様の事が起こる。問題となるのは防御力とHPである。生身の部分の面積を考えると前者がHP40の防御100で後者がHP100の防御30といったところか。HPがなくなったら四肢や機体が損傷して戦闘どころではない。保護膜の存在しない世界の兵器は、装甲の厚みは単純な数字以上の効果をもたらすが、この世界では低装甲の高機動機体のほうが強いのかもしれない。
機体の駆動部については、エリクスを油状に変化させて全身に送る油圧方式や機体内部につけられたワイヤーを使うワイヤー方式の二つが主流だった。生物の筋肉になぞらえて機能するワイヤー方式は力が弱く過負荷にも弱いが動かす為のエリクスの消費が少ない。油圧方式は出力も過負荷にも強いが、エリクス油を形成しないといけない為、自由に使えるエリクスの量が限られてしまう。炉や制御器や駆動方式が改良されることによってこれらの事象も変わっていくだろう、そうタンクは考えていた。
工場の休憩時間、タンクはイスに腰掛けてエミュレートの魔法を用いて新しい機体を研究しているのだった。彼自身は特に運動神経が良いわけでも無く、自分に何か特別な能力が備わっているとは思えなかった。もちろんその通りであり、夢の世界のように魔法を完成させていない彼は知識以外は町の住人となんら変わらなかった。まだ機体の操縦方法すら知らない彼は、操作テクニックよりも如何にして無駄の無い機体を作りそれを持って優位に立つかを考えていた。
機体の重量を減らす事で高機動の機体を作るか、減らした分を重装甲に回して機動力はそのままで防御を上げるか、低装甲の高機動機体だが角やトゲ等の装飾を施して保護膜の耐久性を高めるか、等といったことを考えているのだった。簡単に重量を減らす等の事は出来ないのだが、彼が考えられることはそれぐらいしかないのだった。
彼には、まだ世界を救うなどの考えは無く、一番の心配事は如何にして生き残るかであった。工場で働く以上いずれは安全な町から外へ出て、無人機械と戦って部品を集めなければならない。そしてこの町を守る為にも戦わなければならなかった。無人機械が闊歩するこの世界には逃げる場所は存在しない。
「タンク。これから買い物にいくわよ」
アニスの声で我にかえったタンクはイスから飛び上がる。魔法を覚えてからというもの、自分に辛く当たることの多くなった彼女に対して警戒しているのだった。
機体の事を除けば、今やタンクの心配事は如何にしてアニスの機嫌を直すかである。やっぱり勝手に魔法を決めたのは不味かったか、そう感じていたタンクはとりあえず彼女の命令を何でも聞いて、機嫌を直して貰おうと考えていた。
プレゼントという手も考えているのだが、彼女の好みが分からない為、何を買えばいいのか分からなかった。未来を予測させる魔法はここでも求められているのだった。
工場を出た二人は、買出し用の車に乗り込む。車の外見はタンクの知っている乗用車と変わらなかった。ちゃんとタイヤが付いており、町の外を走る為の大型のトラックと違い履帯で走るわけではないのだった。ただ、内部が異なっており運転席にはタコに似た機械が置いてあり、これが自動で運転をしてくれる。行き先さえ告げれば、勝手に他のクルマや通行者を避けて目的地へと運んでくれるのだった。自動機械を見慣れないタンクにとっては機械によって運転される車は恐怖だったが、アニスが言うには機械の方が処理能力が高い為、人間が運転するよりも遙かに安全で、更に操作上のミスが無いという。
「でも、ちゃんとつかまっててね。急に子供が飛び出してきた時は機械は中の人の事を考えないで回避するから」
車内に取り付けられた姿勢を保持する為の部分を掴みながら言うアニス。
この世界でも歩行者優先ということは変わらないのだった。事故が発生すると、車を利用するものに責任が存在する。もっとも、この世界には交通事故は起きたためしが無いらしく、交通事故と言えるものは機械による驚異的なハンドル捌きで何かを回避した為に、内部の人間や荷物同士がぶつかることを意味する。
やがて商業地区へと辿りついた乗用車から降りた二人は、何かを買うわけでもなく並んで歩き回る。この商業地区は町の川を挟んで北側に存在しており、通称夜の町のすぐ隣にあるのだった。様々な店舗が立ち並ぶ姿は、タンクのいた世界で廃れつつある商店街のようだ。この世界ではこういったスタイルの店舗しか存在しておらず、巨大ショッピングモール等は見当たらない。まだタンクが訪れたことの無い都市では見かけ上は存在しているが、それは終末戦争で破壊されなかった建物を、別の用途で利用しているだけのことである。
タンクの隣を、食べ物を口にしながら歩く子供が通り過ぎる。歩きながら視線を戻すと、今度は隣にいたはずのアニスの姿が消えていた。振り返ったタンクの目の前には、店舗のショーケースに手を付いて中を覗き込むアニスの姿があった。ショーケースの中にはマネキンのロボットが色とりどりの服を着て優雅に動く姿がある。ゆっくりとした動作で、本を読んだりマグカップを口元に運ぶマネキンの姿にタンクは違和感を感じるが、アニスはそうは思っていないようだ。タンクが機械部品を見るような目をしたアニス。
彼女に服をプレゼントしようと考えたタンクはショーケースへと歩き始めるのだった。その瞬間、タンクの顔のへと昆虫が飛びかかって来る。比較的都会で生まれ育った彼は、虫が苦手だった為に思わず飛び退くのだった。タンクの飛び退く音で彼のほうを振り向くアニス。彼女は驚いた表情を浮かべているタンクへと走りよる。
「どうしたの?大丈夫?」
心配そうな表情のアニスをよそに、急にニヤニヤしだすタンクの表情がそこにあるのだった。
「そうか、虫だ。この発想はなかった」
これが、タンクが重量軽減の為に骨組みを廃し、表面積確保の為に各部にトゲや装飾を備えた装甲で外骨格を為す事を思いついた瞬間であった。
今作品は不定期の更新となりますがよろしくお願いします