第一章 王女の使命
悲しみに明け暮れている訳にも行かず、宮廷上位官職者の面々は謁見の間に集合すると、協議を開始する。
ジェリドは王から承ったことを全て告げると、集まった官職者は表情を硬くした。
「王は死を覚悟されたと…?」
「ではこの国は…」
国の滅亡…、誰の脳裏にもその言葉がよぎる。
「だから、王は私に帰還命令を下された。残った者は速やかに城を空け、逃れるようにと」
ジェリドは震える拳を握りしめ奥歯を強く噛んだ。
「城を空けるなどッ…!!」
誰かが叫ぶ。
「帝国の狙いはこの国に眠る禁呪のはず!今からでも遅くはない。帝国に禁呪を渡し、何とか国を…」
もう一人の誰かがまくし立てる。
「なりません」
謁見の間に突如、澄んだ高い声が響いた。
開かれた扉を背に亜麻色の長い髪を持つ、ほっそりとしたうら若き女性が姿勢良く立っている。
「禁呪はこの大陸をも滅ぼします。帝国が魔族ケルティエスを滅ぼす為に欲していると言えど、扱える者が存在しない今、渡すわけにはいかないのです」
「マレーネ王女!」
全員が扉の方へ視線を移した。
国王が不在であり、王妃亡き今、国の政治を司るのは王女たる者の務めである。
第一王女マレーネはカツカツと進み出ると長いドレスの裾を翻して向き直る。
「禁呪の書は破壊できません。お父様と色々試みましたが、あの書は破くことも燃やすことも出来ませんでした」
王女は目を伏せる。破壊できないとなると、その書を帝国に渡さないためには唯一つ。誰かがひたすら隠し持ち、帝国軍から命がけで逃げると言うことだ。
「私は神聖王国アーフェンリールの第一王女として使命を果たさねばなりません。ですが、それを皆に強制するつもりもありません。ですから、命の惜しい者や家族のいる者、女子供は今すぐ、この城から出て帝国の目の届かない所へお逃げなさい」
王女は毅然とした態度で言い張り、面々の顔を見渡した。
何人かは名誉を投げ捨てバタバタと謁見の間を後にする。しかし、その場にいた半数以上は王女と運命を共にすることを選んだ。
王女は微笑したが、その瞳は悲しげであった。
協議の末、第一王女マレーネ、第二王女ジェシカ、第一王子アレクシスは禁呪とともに帝国の手が殆ど伸びない共和国アケへ落ち延びることになった。その従者として宮廷騎士団長のジェリド、大臣カッツェル、見習い白魔術師アリエル、その他十余の兵士が付き従う。
また、城を出る際、追手の戦力を分散させるために残りの官位職者と大勢の兵士で囮組が作られ、無事逃げられたらアケで落ち合うという手はずになった。
しかし何人かの年老いた官位職者はその命を国と供にする決意を硬め、城を出ることを拒んだ。
そうして、帝国軍の一師団がこの国に王手を掛けたとき、囮組が空の馬車を護衛しながら城を去り、本体である王女達が城を出た。
その様子を城の右側に位置する搭の最上階で見守っていた魔獣使いのグレンデルは望遠レンズを通して見える軍勢に顔色を変える。
「王のいない白魔術国家に、これだけの手勢を…」
既に数百の帝国兵士が城下町に入り込みあちらこちらで火の手が上がり始めている。このままでは王女の隊が気付かれる恐れがあった。
グレンデルはヒゲに埋もれた口で舌打ちをすると今一度望遠レンズをのぞき込む。王女達一行は港から商人の船に紛れ込み帝国西に位置する森林国ジラルドを経由してアケに入る予定だ。
レンズの先を港へ移すとその沖合に見慣れぬ船が留まっている。グレンデルは目を凝らした。
海賊船に見えるその船の帆には翼の生えた獅子の紋章が沖の潮風にたなびいている。
グレンデルは望遠レンズを投げ出し、天に感謝の祈りを捧げると、部屋の隅にあった机にかじり付く。慌ててペンを取り、手近にあった本の一ページに走り書きをした。
すかさず、その頁を破るとねじって紐状にし、再び窓際まで戻る。
ヒゲだらけの口に親指と人さし指を突っ込むと、勢い良く口笛を鳴らした。すると何処からともなく一羽の鷹が現れグレンデルの左腕に降り立つ。
グレンデルは鷹を愛おしそうに見つめると、その足に紐状にしたメモをくくり付けた。
「最期の命令だ。聞いてくれるな?」
鷹はグレンデルの言葉を理解したかのように瞬きをする。グレンデルは鷹の頭を撫でると空に放った。
鷹は気流に乗ると港へとその姿を消した。