ライナーズノート
八月八日
同僚の勧めで彼について記すことにした。
彼をつぶさに記録、比較検討することで何らかの治療の糸口を発見することを目的としている。プライバシーの関係、患者の実名を出すのは控えたいので、便宜上彼のことをS君とする。
S君は十五歳の男性であり、某有名高校に在籍する学生であったが、謂れの無い誹謗中傷を浴びて、うつ病になったところを私が担当医となった。幸い病気は生活に支障がないまでに回復できたのだが、こんな話を切り出されるとは思わなかった。
最初はうつ病が悪化したかと思っていたが、どうも違うらしい。彼は元々の凛々しさを取り戻しており、外見上そのような兆候も無く、特筆するべき点も見当たらなかった。
「先生は幽霊を信じていますか?」
ここにある発言は一字一句正確ではないが、ニュアンスとしては間違っていないように記述しておく。私は信じていない、見えないものは信じないと答えた。
しかしS君曰く、幽霊を実際に見たという。
学校から帰る時に脇を通る公園で幽霊を見るらしい。時間帯は夕方。それ以外の時間では会えない。幽霊は女性でS君と同じ学校の制服を着ているが、知らない美少女。まるで別の世界から来たような、見たことも無いほどの非現実的な美しさ、とS君は形容している。いつも公園のブランコに乗っている姿をS君は遠目から見ていたのだが、ふと目を離した瞬間で彼女は消えてしまっている、と些か興奮気味に語っていた。
私は幽霊の面影が誰かに似ていないか聞いてみた。その姿には原型があるかもしれない。あるいは、自分の願望を投影しているとも考えられる。そんな意図を持って質問したのだが、S君には一切の見覚えはないという。
S君は勇気を出して、彼女が消える前に公園の敷地に入り、声を掛けた。彼女は振り向いてこう言った。
『あなた、私が見えるのね』
その時にS君は彼女が幽霊であることを確信したのだ。
ここまでの会話の中、S君はしつこく幽霊の美しさについて様々な語句を用いていた。例えば、「群青の宝石のような」「頬を夕焼け色に染めて」「暑いはずなのに、彼女は白い肌は透き通り」など、まるで文学者がのたまうような表現だ。この場においてはS君の過度な装飾を含んだ証言をそのまま使用することは避けるが、S君の幽霊に対する評価はそのようなものだと考えてもらいたい。つまりS君の中にある幽霊のイメージは美化されすぎているのだ。これは一般に、S君は幽霊である彼女に惚れている状態であるとみていい。
では私に何をさせたいのだろうか。
「彼女を救うために助けが欲しいんです」
S君はこう答えた。
ならば坊主か神父に頼むべきではないのか。いや、キリスト教は死者の霊魂の存在を否定しているらしいが。精神科医の私は、少なくとも生きている人間を相手にしている。直接逢えもしない幽霊相手にどうしろというのだ。
とも思ったのだが、私は口に出していない。
これは明らかに妄想だ。しかし本人には確かに見えて会話までしているのだから、それはS君にとって現実と同等の価値がある。恐らく、幽霊の存在を否定してもS君は納得しないだろう。
私はその願いを了承した。
「幽霊は信じていないんですよね」
幽霊は信じていないが、君の言うことなら信じてあげられる。それに幽霊といってもかつては人間だったんだろう。ならば説得することもできるはずだ。私なら助けになれるかもしれない。
痛いところを突かれたが、そう平静に答えた。
ここで幽霊が居るかどうかの議論をするつもりはなかった。問題にするべきことは『S君が幽霊という非常識なもの見ている』という一点だけだ。私はS君が幽霊と会話し、幽霊がそれに納得して消えたというイメージをS君が持てば良い。自然な形で脳内にいる幽霊という妄想を自分の力で祓う。私はその助言を与えるだけだ。幽霊が消えれば、次の治療に進める。
話を聞いてみたが、これはうつ病の再発はなく、別の精神疾患だろう。彼に処方する薬を再検討する必要がある。
追記1
主観だけでは、それが真実かどうか確かめる手段は存在しない。一人しか見えなくとも、他に観測する者がいなければ、それは真実と差支えない。例え幻でも、皆が見えるのならば、それは現実になる。S君にとって、幽霊の彼女は現実の女性なのだ。
追記2
キリスト教は幽霊を信じていないが、カトリックには悪魔祓い(エクソシズム)の機構は存在する。しかし教会に駆け込む人間のほとんどは悪魔憑きではなく、私達の仕事であるという。逆に精神科に駆け込むごく一部の人間には、そのような悪魔憑きがいるのだろうか。
八月十九日
S君は次第に幽霊と親しくなっているという。逢う場所はいつも公園のブランコ。時間はS君の帰宅時間である夕方に限定されている。なぜ夕方なのか、S君を通して幽霊に聞いてみたところ、曰く『この時間しか出られない』。後で夕方という時間帯が暗示しているものが何か調べてみる必要がある。S君はそこで取り留めのない話をしながら、親睦を深めている。少なくとも、幽霊が断りもなしに勝手に消えることはなくなったらしい。
それはいい兆候であると思う。私の見解では、S君にとって幽霊は願望であり、鏡ではないかと思う。つまり「彼女を救うために助けが欲しいんです」というのは、自分自身が無意識に発したシグナルサインではないだろうか。勝手に消えなくなったのは、やっと自分と向き合えるようになった証拠だ。こうしてS君に幽霊と会話してもらうことで、自己解決を図っていく方法をとったことは間違いでなかったらしい。
しかし、一つ問題がある。あくまで自分と幽霊は別個のものであると自覚させなければならない。現実の自分と理想の幽霊は異なるのだと。加減を間違えればS君は益々幽霊に依存し、症状を悪化させてしまうことになる。
早くもその兆候が現れた。
「【人が好きだと思ったの生まれて初めてかもしれない】」
S君の発症したうつ病は、いわゆるいじめによるものだ。ここでは詳しいことは書かないが、それによって一時人間不信に陥ってしまった(S君のうつ病に関する情報は別途資料を参照)。私も最初S君を診察した時は何も話してくれずに苦労した。人と会話できる程度にうつ病は改善しているが、深く刻まれた人間不信が完全に治った訳ではない。しかしS君にとって幽霊は理想の女性だ。騙さないし、嘘をつかないし、傷つけないし、裏切らない。しかも鏡でもあるため、幽霊は彼のことを全て知った上で会話をする。
そのような女性を前にして惚れない男はいるだろうか。
ここで一線を引かなければならない。前は彼女と仲良くしておけと指示したのだが、そろそろ次の段階に行くべきだと感じた。次は遂に幽霊を消すための手順に入る。
助けるためには、まず彼女の持っている悩みを打ち明けさせなければならない。その悩みを二人で解決すれば、幽霊は満足して救われるのではないかと。私がS君を助けたように、今度はS君が幽霊を助ける番だ。
私はS君にそのような旨を話した。
もともとS君は幽霊のためにこの提案をした。好意を向けているからこそ、幽霊を救わなければならないという気持ちのはずだ。
「何か助言を頂けませんか?」
S君は言った。
私は自分が行うようなカウンセリングの手順を教えた。
幽霊が救われるということは、S君自身も救われることに他ならない。これが可能ならば、S君の自立の道が見えてくるのではないだろうか。自己解決の方法を知れば、精神薬の量も減らせるだろう。なんにしても、過剰に依存することは人を駄目にする。私はS君に独り立ちをしてもらいたいのだ。
追記1
夕方というのは、幽霊などに遭遇しやすい時間帯らしい。人はそれを逢魔ヶ時と呼ぶ。昼から不安の象徴である夜に代わる瞬間である。確かに夕方というのは何故か寂しくもあり、心細くなる。そんな時に魔物は人の心の隙を狙い、前に現れるという。大禍時とも表され、字の通りに大きな禍が来る時間でもある。幽霊が出るのには絶好な時間ではないだろうか。そのような知識をS君は所有しているかは定かではないが、人間が黄昏時に感じる印象は概ね共通している。
追記2
事あるごとに幽霊についての魅力を華美に語っている。やはりその言葉は文芸雑誌めいていた。私が予想するに、幽霊の姿は小説の架空の人物をモチーフとしているのではないだろうか。それならば、S君の「一切の見覚えはない」という証言とも辻褄が合う。
幽霊に恋をするなど、いかにも陳腐なストーリーであることも証左になる。
九月十三日
幽霊は成仏した、とS君から聞かされた。
その時の幽霊の顔は満ち足りていたという。
『貴方に逢えて良かった』
それが幽霊の最後の言葉だった。
幽霊の悩みも、S君と同じ友好関係にあったものらしい。解決のほとんどはS君の行動によるもので、私は助言をしただけだ。以来、幽霊を見ることはなくなったらしい。S君の表情に曇りはあったが、それは非現実であったものにしろ、心の喪失は避けられなかったためだ。今私がやるべきことは、幽霊が消えたのはS君の思いやりの努力であり、決して幽霊が裏切ったのではないのを分からせてやることだろう。
幽霊がS君に感謝している実感を持たせれば、人に優しくすれば自分は感謝されることを自然に理解してくれるだろう。
まだS君の治療は終わっていない。だがS君は見事自分の鏡である幽霊を説得した。これは大きな一歩であると思う。これで光明が見えてきたのではないだろうか。
一度信じられなくなったものに対して再び信用のおけるようにするのは、並大抵の努力では為し得ない。心に付いた傷は容易に治せない。それは私が十分承知していることだ。だからこそ私達は患者に真摯に接し、一つ一つ解決するべきだろう。
追記
私は疲れているらしい。
S君に指摘されたが、私はそのような自覚がない。
医者の不養生とはこのことか。
「【それはもう終わったことなんだ】」
これが、ただの掌編小説であればとも願った。余りにもメタ的過ぎるのだ。しかしこれは現実に書かれたものだ。
この記録には意味がない。これは既に死んでいる人間についての治療記録なのだ。確かにS君といううつ病を発症した人物が存在し、彼が担当医になった記録もある。しかしそれは二年前のことだ。S君は二年前に死亡している。日が落ちる時刻、ブランコの鉄柱に首を吊っての自殺だそうだ。だがこの記録は今も続けられている。
彼は優秀な精神科医だった。元々正義感の強い人間であり、仕事に対する使命感もあった。だが医者としては、その心は敏感過ぎた。担当したS君の死をきっかけに全てが壊れてしまったのだ。
ここに書かれているものは、全て妄想の世界の出来事だ。しかしこの記録を続けている彼にとって今でもS君は生きているし、今でも担当する患者の一人である。この記録の表現を借りれば「彼にとって、S君は今でも生きているのだ」か。悪い冗談だ。
彼の心境を少しでも探ろうと記録を書かせてみたのだが、これはあたかもS君が居るように感じられる。そして救えなかったS君のことを悔いていると思えてならない。この記録の中でのS君は露骨に彼自身であり、幽霊は死んだS君と解釈せざるを得ない。幽霊を救ったという点では、彼の願望を書いているとも言って良い。
彼はS君という執着に憑かれている。しかし、彼自身それを認めようとしないのだ。
現在彼は病院で治療を受けている。回復の見込みは今のところ、ない。
十二月二十日
S君から相談を受けた。
転校して最初の友人ができたというのだ。声を掛けてくれた友人は、いつも昼食に誘ってくれるらしい。私にとってもS君に友人が出来たことは嬉しい。まるで自分の子供ようだ。しかし、どうしたらいいか分からない。友人の前に出ると赤面して声が詰まって出なくなるというのだ。
回復の傾向が顕著だ。やはり犬を飼った効果は大きい。
私に対してと同じようにすればいい、と助言した。特に畏まる必要もない。
しかし過去の記憶がそれを妨げているのだろう。親密になれば、それほど裏切られた時の反動が大きい。それだけ心の傷は酷い。それに対しては、私は何も言うことが出来ない。
しかしS君には強い人間になって欲しいと思う。
優しく、思いやりのある青年に。
それは一人の人間の人生を背負った私の仕事なのだ。
私はS君に逆にどこかに誘ってみたらどうかと提案した。ゲームセンターへでもどこでも……