聖女
「……」
今日は珍しく用事があるとかで、ガルツとのトレーニングはなくなってしまった。
「祈りの時間まで暇だな……」
修練場に足を踏み入れた頃は皆ぎょっとしていたが、今や聖女が筋トレしてようが木剣を握っていようが気にするものはいない。一人で行っても問題はないだろう。
もう日課となってしまったので、やらないというのも何だか落ち着かないものだ。
「待ちなさい」
「うわ」
「うわ、とは何ですか。
相変わらず失礼な聖女ですね」
トレーニングに向かう私の行方を阻む、緑色の頭。長い髪を靡かせてこちらに向かって来たのはキーリィだった。
「私これから暇潰しに行くんだけど」
いつもならこんなことを言えば『暇があるなら働いたらどうです』だとか『殿下は遊ぶ暇も惜しんでいるのに』だとか、嫌味が飛んでくるところだが……今日は随分大人しい。
それに、涼しげで美しい顔には随分と苦しそうな色が見える。
「……何かあった?」
焦っているような、堪えているような――
「――殿下が、倒れました」
「……分かった。場所は?」
リリナが倒れた、それだけで彼の心中を理解するには充分だった。応じる姿勢を見せた私に、キーリィは一瞬目を見開いた。
「貴女は……いえ。
案内します、付いてきてください」
直ぐに切り替えたらしい彼の隣を歩く。
「急がなくて良いの?」
「大事には出来ないでしょう」
二人にしか聞こえないくらい小さな声で話す。確かにまだ学院の敷地内である。犬猿の中である私達が並んで歩いているだけでも目を引くのに、走っていたらより目立つ。
……王女が倒れたなど、誰かの耳に入れば確実に混乱を招くだろう。
「……何故、聖女が生まれるのか。聖女の存在とは何か――知っていますか」
唐突な問いかけに、一体それが現状に何の関係があるのかと聞きたくなった。
(キーリィは思い込みこそ激しいが、愚かではない……)
――ここは素直に答えよう。
「世界を豊かにする為に、天が遣わす者。その時一番助けが必要な国に生まれる……って教典にはあったけど」
「少しは学んだようで何より。
しかし、それは表向きの話です。
この先は馬車の中で――……乗って下さい」
校門の前にはハルト家のエンブレムが装飾された馬車が停められていた。
飛んで来た嫌味を返す暇もなく、さあ。と、手を取られ中へ乗り込んだ。
「……」
静かに走り出した馬車。向かい合って座る私達の間にしばらく会話はなかった。
(聖女の使命――……か)
ゲームでは、どうだっただろうか。実際にプレイしているわけではなかったし、後輩は何と言っていただろうか。
『悪の王女に立ち向かい、平和な世界に導く恋愛ゲーム!』
そうとだけ聞いていた。
調べたこともなかったし、頼りはキャンバスに向かって絵筆を走らせる私の横で、実況の様にプレイしていた後輩の記憶だけ。
『悪の王女なら、国一つだけの問題じゃない?』
『聖女は世界の為に遣わされるんです!
だから、悪役である王女との和解エンドはなくて全部のルートで死んじゃう。放っといたらありとあらゆる方法で破滅に導きますからね、世界を』
『へえ、そんなに強いんだ』
『強いというか、簡単に言うと悪いものが取り憑いて……って感じ?』
『何それ、邪神?』
『ううん。色んな人の無念とか、そういうものの集合体ってファンブックには書いてありましたね。世界が犠牲にしてきたもの?みたいなやつだったかな』
『世界が犠牲にしたものって、なんとまあ……』
『一つ一つは小さくても、集まれば大きいですからね』
――だんだん思い出して来た。
それに基づいて考える。
特に取り憑かれた様子もない、良き王女であろうとするリリナ。
立ち向かう悪が居なかった状態で、問題が起きても農作物の不作とか瘴気で塞がれた航路くらい。解決しなくてはならない問題には違いないが、破滅への決定打には至らないものばかりだ。
「……聖女が生まれる理由ってさ」
世界が犠牲にしてきたものが、明確に何を指すかは分からない。
ただ、魔法はあるのにモンスターや魔王の存在しないこの世界に瘴気が発生する理由が“誰かの無念”だとして、聖女が祈ることで浄化されるのなら――それは。
「世界に対する贖罪……で合ってる?」
「……ええ」
目を伏せて、キーリィは私の導き出した解を肯定する。
「幾度となく争いが繰り返され、ここ数百年で今の平和な世が訪れたのは習ったでしょう。その争いがどのようなものだったかも」
確かに前世の記憶にあるような、凄惨な争いの歴史が教科書には記されていた。
頷く私に、彼は一呼吸置いて、覚悟を決めたように続きを紡ぐ。
「これは高位の神官と王家のみに受け継がれる秘匿です。
……実際は、表向きに語られているものより残酷な行為が蔓延る時代だった。
理不尽に意味もなく命は奪われ続け、大地は血と汚泥の海と化し、一部の人間だけが私腹を肥やす。そんな日々が続いたある時、一人の少女が現れた」
「それが聖女?」
「後の、ね。
魔力が異常な程高く、才能に恵まれた魔術師だった彼女は大地の浄化を試みました。動機はただ自分の家族を守る為――健気なものでした。研究を続け、試して周るうちに草花が息を吹き返し、いつしか争っていた人々も武器を置いた。
……では、何故それが贖罪に繋がるのでしょうか?寓話ならこれでおしまいす」
聖女の貴女なら分かるでしょう。
キーリィの言葉に、私はまた頷いた。
「高い魔力を有するものは、死者も生者も関係なく、見えるし聞こえる。勿論程度はある……けど、初代聖女は全てが視えてしまった」
「戦で犠牲になった人に限らず、あらゆる無念や怨みが、あらゆる場所に瘴気として存在していることに気付いた彼女は、その人生を鎮魂の為に費やしました。
……人々が武器を取り、血を求める獣のように徘徊する。それが例え瘴気にあてられたからだとしても、きっかけは誰かが始めた――いえ、世界が始めた小さな争いです」
「……理解してしまったからこその、贖罪か」
「知り得るのは彼女しかいなかった――ですが、彼女の助けとなろうと集まった人々も存在したのです」
「神殿の成り立ち――か」
「ええ。魔術師であった少女を聖女として、祀り、信仰を集め……少しずつ世界をあるべき姿に戻して行った」
彼の話は正直に言えば難解だったが、聖女である私は感覚的に理解出来てしまう。
今でこそ認識阻害や、遮断の魔法を覚えたから軽減されたが、昔は見たくないものや聞きたくないもので世界が溢れかえっていたからだ。
『色んな人の無念とか、そういうものの集合体ってファンブックには書いてありましたね』
それが今、リリナに集まって倒れたというのなら――……?
「貴女が今思い至ったもので、合っているかと思います――殿下は、今」
――死の淵にいる。
読んで頂きありがとうございます〜!!!
ちょっと!シリアス回が!つづきます!




