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第5話「妻へのサプライズ、三十年目の空振り」

コユカシ集めも中盤戦。私、葵は、おじさんたちの日常に潜む「コユカシの原石」を見つけるプロになりつつある(自称)。今日の舞台は、平日の昼下がりだというのに、若い女性たちでごった返しているデパートの地下食品フロア。特に、キラキラと宝石のようなケーキが並ぶパティスリーコーナーは、戦場さながらの熱気だ。


そんな華やかな場所に、明らかに場違いな雰囲気を醸し出しているおじさんを一人、発見した。奥田誠さん、と手帳が教えてくれる。作業着姿に、額にはうっすら汗。どうやら仕事の合間に抜け出してきたらしい。彼はショーケースの前で腕を組み、ものすごく真剣な顔で、色とりどりのケーキたちと睨めっこしている。その表情は、まるで国家機密でも扱うスパイのようだ。


(あのおじさん、一体誰にケーキを買うんだろう…?あんなに悩んで…)


奥田さんはしばらく唸った後、意を決したように店員さんに声をかけた。そして彼が指さしたのは、ショーケースの中でもひときわ派手で、クリームとフルーツがこれでもかと盛り付けられた、見るからにヘビー級のホールケーキだった。「若者に大人気!SNS映え確実!」というポップが踊っている。ふむ、流行り物は押さえているらしい。


店員さんから大きなケーキの箱を受け取った奥田さんは、なんだか誇らしげだ。足取りも心なしか軽く、鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気でデパートを後にしていく。私もふわりと後を追った。


奥田さんの自宅らしき一軒家に到着。玄関には「結婚三十周年おめでとう!」と書かれた、子供たちが作ったであろう可愛らしいリースが飾られている。なるほど、今日は結婚記念日か。だからあんなに張り切ってケーキを…。


奥田さんは、奥様に見つからないようにそーっとケーキを冷蔵庫にしまい、夕食の準備をする奥様の周りを、なんだかソワソワと落ち着きなくうろついている。その姿は、まるで大きなプレゼントを隠し持っている子供のようだ。


そして夕食後。奥田さんは、いよいよといった表情で冷蔵庫からケーキの箱を取り出した。

「じゃじゃーん!君のために、特別に買ってきたんだよ!」

得意満面の笑顔で、奥様の前で箱をオープン!中から現れたのは、昼間私が見たあの、カラフルでボリューム満点のSNS映えケーキだ。


奥様は一瞬、「わぁ、綺麗!」と顔を輝かせた。しかし、ケーキ全体をまじまじと見つめ、そのデコレーションの激しさとクリームの量を確認すると、少しだけ表情が曇った。

「…誠さん、ありがとう。すごく…豪華ね。でも…ごめんなさい、私、この間の健康診断の結果があまり良くなくて…お医者様から、甘いもの、特にこういうクリームがたっぷりなのは、しばらく控えるようにって言われちゃったのよ…」

奥様は、本当に申し訳なさそうに眉を下げて言った。

「気持ちは、本当に嬉しいの。三十年目の記念日に、こんな素敵なケーキを用意してくれるなんて…」


奥田さんの得意げだった顔が、みるみるうちにしゅるしゅると萎んでいくのが分かった。期待で膨らんでいた風船が、一気に割れてしまったみたいに。

「…そうか。いや、俺こそ悪かったな。ちゃんと確認すればよかった…」

明らかにしょんぼりしている。さっきまでのウキウキ感はどこへやら。


結局、その巨大なケーキは、奥田さんが一人で食べることになった。

「じゃあ…俺が、味見だけでも…いや、せっかくだから全部いただくか…!」

最初は意気込んでいたものの、一口、また一口と進めるうちに、その見た目通りの甘さとボリュームに、彼の顔はだんだんと険しくなっていく。フォークを持つ手も重そうだ。

「…うまい…のになぁ…これが今の若い子の流行りかぁ…。俺たちの頃は、もっとこう、シンプルなのが良かったんだけどな…」

奥田さんはそう呟きながら、リビングの飾り棚の隅に置かれた、一枚の色褪せた写真に目をやった。そこには、新婚旅行先で、小さなチョコレートケーキを前に寄り添って微笑む、若き日の奥田さんと奥様の姿が写っていた。


その時だった。

「誠さん、無理して全部食べなくてもいいのよ」

キッチンから戻ってきた奥様が、優しい声で言った。手には、湯気の立つコーヒーカップが二つ。

彼女は奥田さんの隣にそっと座り、コーヒーカップを一つ、彼の前に置いた。

「私も、コーヒーなら一緒に付き合えるわ。せっかくの三十周年ですもの。ね?」

「…ああ。すまないな、ありがとう」

奥田さんは、少し驚いたように顔を上げ、照れくさそうにコーヒーカップを受け取った。

二人は並んで、静かにコーヒーを飲む。奥田さんは、時折フォークでケーキを小さく切り分けて口に運び、奥様はそんな彼を穏やかな目で見守っている。部屋には、コーヒーの香りと、ほんのり甘いケーキの香りが混じり合っていた。

「ふふっ、あの写真のケーキも、素朴だけど美味しかったわねぇ」

奥様が、棚の写真を指さして、懐かしそうに微笑んだ。

「…ああ、そうだな。お前、あの時、本当に嬉しそうに、あっという間に食べちまったもんな」

奥田さんは、少し照れたように、でも本当に嬉しそうにそう言って、コーヒーを一口すすった。その顔は、さっきまでのしょんぼり感が嘘のように、少しだけ晴れやかだった。


(そっか…三十年経っても、奥さんを喜ばせたい気持ちは、ずっと変わってないんだ。そして、その気持ちは、ちゃんと伝わってるんだ)


流行りのケーキは、今の奥様の好みとは少しズレてしまったけれど。そのズレっぷりも、空回りしたサプライズも、こうして二人で過ごす時間の中では、三十年という歴史を彩る愛おしいひとコマに変わっていくのかもしれない。


その穏やかで、どこか甘酸っぱくて、そして何よりも温かい空気感から、優しいコユカシがふわりと立ち上った。

『ピコン♪ コユカシを抽出しました』

手帳には、コーヒーカップを手に少し照れたように笑い合う奥田さんと奥様の似顔絵と、「三十年目のコーヒーブレイク(ケーキはちょっぴりヘビー)」という文字、そして寄り添う二つの温かい星マークが記録された。


形はちょっぴり空振りだったかもしれないけど、おじさんの愛情は、ちゃんと最高の形で奥さんに届いて、そしてこんなにも素敵なコユカシになった。

うん、やっぱりおじさんって、かわいいかもしれないな。

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