第12話「最後のコユカシ」
コユカシ手帳が、これまでで一番優しく、力強い光を放っている。まるで、私をどこかへ導こうとするかのように。私はその光に吸い寄せられるように、フワフワと、でも確かな足取りで歩き始めた。もう、コユカシ案内人の芝居がかったナビゲートは必要なかった。私の魂が、最後のコユカシのありかをはっきりと知っていたから。
(お父さん…)
たどり着いたのは、見慣れた我が家の玄関前だった。男手一つで私を育ててくれたお父さんと、たくさんの思い出を刻んだ、少し古びた一軒家。霊体の私にはドアを開けることはできないけれど、まるで招き入れられるように、私はするりと家の中へ入ることができた。
リビングには、お父さんがいつも座っていたソファ。少しへたって、お父さんの体の形に馴染んでいる。ダイニングテーブルの上には、私が最後に使ったままのマグカップが、なぜかまだ置かれていた。キッチンからは、お父さんが作る少し味の濃いカレーライスの匂いがしてくるような気さえした。
部屋の中は、時間が止まったかのようだった。そして、そこかしこに、お父さんの「コユカシ」が溢れていた。私が気づかなかった、気づこうとしなかった、お父さんの不器用な愛情の欠片たち。
ソファのそばのサイドテーブルに、一冊の古いアルバムが置かれているのが見えた。そっと手を伸ばす(ような感覚になる)。アルバムの表紙には、私のへたくそな字で「おとうさん と わたし の たからもの」と書かれていた。それは、私が小さい頃、お父さんと一緒に作った手作りのアルバムだった。
ページをめくると、そこにはたくさんの私がいた。七五三で着物を着て緊張している私。小学校の運動会で、一等賞を取ってはしゃいでいる私。中学生になって、少しだけ大人びた顔で友達と写っている私。そして、どの写真の隅にも、必ず、少し照れくさそうに、でも本当に嬉しそうに微笑むお父さんの姿があった。
(お父さん、いつも私のこと、こんな顔で見ててくれたんだ…)
最後のページには、一枚の写真と、一枚の折りたたまれた便箋が挟まっていた。
写真は、大学の入学式の日に、満開の桜の下で撮った、お父さんと私のツーショット。私は少し不機嫌そうな顔をしていて、お父さんはやっぱり、少し潤んだ目で笑っている。あの時、私は照れくさくて、お父さんの隣に並ぶのさえ嫌がっていたんだった。
便箋を開くと、そこには、お父さんの不器用だけど、心のこもった文字が並んでいた。
「葵へ
大学入学、本当におめでとう。
お前が生まれてから今日まで、あっという間だったような、ものすごく長かったような、不思議な気持ちだ。
お母さんがいなくなってから、俺一人でちゃんと育てられるのか、毎日不安だった。
お前に寂しい思いをさせてないか、不自由な思いをさせてないか、そればかり考えていた気がする。
口下手で、頑固で、お前にとっては面倒くさい父親だったかもしれないな。
もっとうまいやり方があったのかもしれないと、今でも思う。
でも、お前がまっすぐに、優しい子に育ってくれたことが、俺の何よりの誇りだ。
これからは、自分の好きなこと、やりたいことを見つけて、思いっきり羽ばたいていけ。
どんなお前でも、俺はずっとお前の味方だ。
本当は、もっとたくさん伝えたいことがあるんだけど、うまく言葉にできない。
だから、これだけは言わせてくれ。
生まれてきてくれて、ありがとう。俺の娘でいてくれて、ありがとう。
父より」
読み終えた時、私の頬を何かが伝う感覚があった。霊体だから涙なんて流せないはずなのに。でも、確かにそれは、温かい涙だった。
お父さん…。私が気づかなかっただけで、お父さんはこんなにもたくさんの愛情を、私に注いでくれていたんだ。不器用で、言葉足らずで、でも、誰よりも深く、私を愛してくれていた。
猫を助けて死んでしまった私を、お父さんはどれだけ心配しただろう。どれだけ悲しんだだろう。でも、きっと、私の「優しさ」を誇りに思ってくれたと、今なら信じられる。
その瞬間、お父さんの想いが、これまでで最も強く、温かく、そして優しい、黄金色のコユカシとなって、私を包み込んだ。
それは、私が生前ずっと見過ごしてきた、すぐそばにあった、かけがえのない愛おしさそのものだった。
『ピィィィィン………!!! 全てのコユカシが集まりました。葵様、あなたの旅は、これにて…』
コユカシ手帳が、眩いばかりの光を放ち、その光は私の体全体を優しく包み込んでいく。
体が、ふわりと軽くなるのを感じた。
もう、後悔も、悲しみも、寂しさもない。心の中は、お父さんへの感謝と、そして、これまで出会ってきた全てのおじさんたちへの愛おしい気持ちで満たされていた。
「葵様、お見事にございました」
いつの間にか隣にいたコユカシ案内人が、初めて見るような、本当に優しい笑顔で言った。
「あなたの集めたコユカシは、きっと多くの魂を癒し、導くことでしょう。そして、あなた自身も…」
私は、穏やかな光に包まれながら、そっと目を閉じた。
(お父さん、ありがとう。私も、お父さんの娘で、本当に幸せだったよ)
(そして、おじさんって、やっぱり、最高にかわいいかもしれないな)
私の意識は、温かい光の中に、ゆっくりと溶けていった。