ウール―語辞典
最後の三日間を前に一日だけ猶予が与えられた。
しかしそれは異世界・ザンチペンスタンでたった三人だけ。
実際には乗り移っただけなので一人の人間に与えられている。
それ以外の者は動きを止めてしまった。
だから魔女も動きを止める。お助けキャラとは言えこの世界の住人。
話しかけることも触ることさえできない。
今この世界で自由な者はノアとアーノ姫と魔王様のみ。
それ以外誰一人動くことはない。
アーノ姫のターン。
お付きがいなくなってからはずっと二人きりだった。
いつも放って勝手にどこかに行き留守番させるいい加減な魔女だったけど。
いいところもあったし随分お世話になった。
昨夜思い出にと一緒に寝た。そこで魔女とのことは諦めがついた。
でも起きたら魔女がまだいた。信じられないこと。
喜んで抱き着いても反応なし。
何だかもう可哀想で見ていられない。
「行ってきます! もう戻って来ることはないでしょう」
そう言って魔女を抱きしめる。
ありがとう。ありがとう。
最期の挨拶を済まして出発。
何だかんだ動かないのが一番堪える。今まで散々助けられてきた。
会話がなくて寂しいとかではなく動いてくれないと歩かなければならない。
移動手段にせめて馬車だけでも動かせるようにして欲しかった。
ああ女神様! もう何もいりません! ですから動く馬車をお願いします。
ただいくらお願いしても無駄。
せめてモンスターだけでも動かして欲しいな。
ちょうどいいクマルがいるんだからさ。利用しない手はない。
うーん。ダメみたい。
五分ほど粘ってみたけれど無駄だった。
ではそろそろ出発しましょうかね。
うーん。やっぱり歩くのは嫌。だってボクはお姫様だから。
ボク…… そうかもう誰にも自分を偽らなくていいんだ。
今までは怪しまれないように間違わないようにボクで統一した。
窮屈で正直慣れなかった。でも今となっては自然な感じで気に入ってさえいる。
ちなみに魔王様はボグ―。雄たけびとして恐れられた。
でもこれからはそんな無駄なことはしなくていい。
さあでは俺にでも…… それはさすがに名の通った姫様だから。
ここは普通に私としましょう。
おっと…… そんなことはどうでもいい。まずは移動手段を手に入れないと。
魔女の部屋を探ることに。
もしかしたら移動魔法が使えるかもしれない。
僅かばかりの期待を込めて魔女の秘密の部屋へ。
ガチャガチャ
ガチャガチャ
やっぱり鍵が掛かってる。まったく私以外いないのに不必要に警戒するんだから。
鍵を探すこっちの身にもなってよね。
鍵? 鍵ってどこ?
とりあえず魔女の体を探ってみる。
着古した茶っぽいズボンの左ポケットに鍵があった。
遠慮なく拝借。
ガチャっと音がする。これで部屋に入れる。
ではお部屋拝見と行きますか。
さあ移動魔法か何かを見つかるといいんですけど。
机に置いてある資料に一通り目を通す。
ダメ…… 私には理解することはおろか読むことさえできない。
これは一体何と読むのでしょう?
うん…… 辞書。
本棚の左端に使い古した辞書が。
『ウール―語辞典』
これでどうにか読めるかもしれない。
ただ今実験中のものは無視。
ここで一日を費やしても完成させられなければ意味がない。
これはお遊びではないのです。
青や赤に黒まで。
実験道具を使い混ぜている。これは何だろう?
でもやっぱりこれも未完成。さすがに手は出せない。
爆発する恐れだってある。実験が失敗するだけで済まないことも普通にある。
残念ですがこれは手が出せない。
おっと…… 日記がありました。
どうやら魔女の秘密の日記がウール―語で記されている。
どれどれまずは一行目を翻訳してみる。
『おかしな者を押し付けられた。しかも実験材料には向かない。
これではいい加減に扱うのがいいだろう』
ダメ…… 誰にも見せないからと私の悪口がぎっしり。これ以上は耐えられない。
うんこれは何?
日記の横の雪崩を起こしそうな大量の書物。
ああ懐かしい。現世を思い出す。
やはり魔女さんは整理整頓は苦手なんでしょうね。
偉そうなこと言ってこんなこともできないの……
おっと自分に帰って来そうなのでこれくらいで。
書物の山を一枚一枚確認。すべてウール―語だからいちいち調べないといけない。
秘密の部屋に来てもう一時間が経とうとしている。
もう限界かもしれない。これ以上何もなければ移動を開始するしかない。
もう嫌! ウール―語はこりごり。
大量の書物の山を床にぶちまける。
現世ではどうしてもできなかったことをやってみた。
意外にもすっきりしないものだ。もう少しだけでも楽しめると思ったのに。
元に戻すのも面倒なのでそのまま。魔女には悪いですが時間がありませんからね。
世界が平和になって再会したらきちんと謝ろうと思う。
よしもうこれくらいで充分でしょう。うん……
すべてをぶちまけたおかげで一番下に隠れるように置かれていた書物に目が行く。
どうせこれだってウール―語だから面倒なんだけどね。
それでも最後の悪あがきとしてやることに。
諦めずに見ることに。
それだけ歩きであんな遠くまで向かいたくない。
『ザンチペンスタンの異人』
どうやら今までこの世界に来た者たちのことが書かれているらしい。
とにかく詳しく見て行きたいがもう時間がない。
ここはひとまずこの書物とウール―語辞典を持って出発するとしましょう。
では行ってきます!
続く




