ルシファーと色欲:存在と非存在の講義
いやいや、色欲さんにそんな悩みがあるとは!
場末のバー。煤けたカウンターの中で、男とも女ともつかない妖艶なバーテンダー、ルシファーが静かにグラスを磨いている。カウンターの端では、物理学には欠片も興味を示さないが、男たちを惑わせるには十分すぎる扇情的な魅力を放つ女が、ため息混じりに煙草の煙を吐き出した。
「まったく、どいつもこいつも…求めるのは私の身体か、せいぜい私を通して得られる見栄やモノばかり。もっとこう、深いところ…魂の繋がりとか、そういうのを求めてくる男はいないのかしらねぇ」
女の愚痴に、ルシファーは磨いていたグラスから目を上げ、挑戦的な笑みを浮かべた。
「ほう、深いところ、か。お前が言う『即物的な欲』、それはな、この宇宙で言うところの『存在』の側面に過ぎん。わかりやすく観測でき、手に入れやすい『物』としての現れだ。男たちがそれに群がるのは、ある意味当然かもしれんな。だがな、お嬢さん、宇宙はそれだけじゃない」
「…はぁ? 何よ急に。神学の次は宇宙論?」女は眉をひそめる。
「神学も宇宙論も、突き詰めれば同じことだ。いいか? この宇宙は『存在』だけでできているわけじゃない。むしろ、その背後、あるいは隙間に広がっている『非存在』こそが重要だ」
ルシファーは指でカウンターに図を描くような仕草をする。
「『存在』とは、お前たちが認識できる粒子、フェルミオンやボソンといったエンティティだ。分離独立していたり、それを繋いだりする属性を持ち、観測にかかりやすい。お前たちの五感、物理的な感覚クオリアで捉えられる世界だな。男たちがお前に求める『身体』もここに含まれる」
「ふーん。で、『非存在』ってのは何なのよ。ただの『無い』ってこと?」
「違うな。そこが凡百の知性の限界だ。『非存在』は単なる『無』ではない。それはな、力が『存在』同士を結びつけ、この世界の構造を保つために『泳ぐ』ための媒体なんだ。直接観測はできんが、『共鳴』として感じられる。お前たちが『直観』とか『概念』とか呼ぶもの、あるいは魂の繋がりとやらは、むしろこちらの領域に近い。そして何より、この『非存在』には、宇宙が始まった時(特にインフレーション開始以降だな)に切り捨てられた、ありとあらゆる『可能性』が詰まっている」
「可能性…?」
「そうだ。実現しなかった宇宙、別の法則、別の進化。その全てが、この『非存在』という名のポテンシャルの海に満ちている。男たちが求める『存在』は有限だ。それこそ、お前が言うように、地球上のカネを集めれば、地球すら買えておつりがくるかもしれん。だが、『非存在』に満ちる可能性は無限だ。そして、力や空間といったこの世界の根幹すら、その『非存在』の満ちた中で『存在』を安定化させるための無限の試行錯誤の末に、宇宙自身が『発明』したようなものなのだ」
ルシファーは、女の目をじっと見つめる。
「男たちが『存在』の表面的な輝きに目を奪われ、有限なものを奪い合っている間に、お前たち『感情』に近い存在は、本来、この無限の『非存在』の海、可能性の場と共鳴しやすいはずだ。だが、今の世では、お前たちも『存在』の側に毒され、本能的な自己保存に走り、その力を歪めて使っているようにも見えるがな」
女はしばらく黙って煙草をふかし、やがて艶然と笑った。
「…なるほどね。つまり、男たちが欲しがる『存在』としての私の身体や魅力を餌にして、本当は『非存在』の可能性の海…例えば、彼らが思いもよらないような感情の深淵とか、新しい関係性の創造とか、そっちの方へ引きずり込んで翻弄するってのはどうかしら? 私の『色欲』は、そのための通路や呼び水になるかもしれないわね。それが私の『発展形態』ってわけ」
ルシファーは、面白そうに口角を上げた。
「……さあな? それがお前の見つけた『力の使い方』だというなら、試してみるがいい。結果がどうなるか、この俺も少しは楽しませてもらおうか」
女はくすくすと笑い、新たな煙草に火をつけた。バーの空気には、退廃的な甘い香りと共に、語られざる宇宙の可能性の匂いが、微かに混じり合った気がした。
とつぜん、宇宙論だよ?
でも、非存在の話をするなら男性性と女性性の対比は必要かなと。
で、本日のルシファーさんは男性モードです。
え? R指定必要になった?