売運シュミレーター
この世はいつだって誰かを中心に回っているというのが私の感想だった。例えば、ある組織にはその人を中心にして動くリーダーのような存在が必ず居るし、物語の主人公はいつもご都合主義だ。
また、それに加えて、自分がそのような役回りを持つことは今後一生ないのだと思った。能力や好感度の問題ではない。それらの人々が必ず持っている特別な力、世間が呼ぶところの “流れを引き寄せる力” それが自分を主人公ではなく、エキストラ足らしめている原因であると考えていた。
そのように生きていたある日、テレビでは最近話題となっている新サービスに対してのニュースが流れていた。なんでも、そのニュースキャスターが言うには “運” を買うことができる時代が到来したらしい。
私は、「そのサービスを開発したのは自分です」とでも自慢したげな白衣を着た研究者が映し出された画面に注意を払う。その開発者が説明した内容としては、近年になって ”運” のメカニズムが解明されてきたということだ。
その研究者によると、”運” とはそれまでの偉い人たちが考えていた、「偉いことをした分だけ神がその人に分け与えるもの」や「ただ単にいいことが続いた人に対してそれを妬む人々が使う言葉」というものではなく、「時間によって強さが変わる特権のようなもの」であるというのが研究によって分かった運の正体であるらしい。
例えば、"運" が強い人、弱い人というものは実際には見えない特権同士を比べて、特権が強い人の方だけにその人にとって都合の良い出来事が起こっているだけであり、つまるところ、特権というよりも、軍隊の階級やら、身分の格差やらをイメージしたほうがわかりやすいのかもしれない。
とにかく、その特権の強さが強ければ強いほど、自分にとって都合のよい出来事が身の回りに起こるようになり、それを世間の人々は「運がいい人」と読んでいたのである。
研究者が続けた内容によると、それまではその特権の強さというものは時間の経過によって自然に変化していくものであったが、最新の研究はそれを人為的に操作することを可能にしたという。
私はその程度の説明で終わってしまったテレビを消し、すぐに自分のスマートフォンを手に取り、さらなる情報を求めた。
先程の研究者の名前で検索したときに一番出てきたサイトによると、彼が開発したサービスというのは運を日単位で購入するというものであるらしい。
また、運を購入した者と購入していない者の間で格差ができないようにするためか、技術力の問題かは分からないが、購入した運の効果が発揮されるのは購入後24時間とされていた。
そのサイトの下の方には実際に運を購入した人の感想や感謝の声が書かれていた。
運を購入する用途は人によって異なっており、某スポーツ選手は試合の日に運を買うようになってから勝率が上がったらしいし、ある株トレーダーは毎日運を買って株で儲け、更にそれで儲けた分のお金を使ってまた新たに運を買っている。
勝負事の世界など、どうしても自分の実力だけではなく、運も絡んでくるような世界で使用している人物が運を買うことによって成功しているのを見ると、「なるほどな」と思った。
しかし、運も万能ではなく、相手との間に運ではどうしても覆せないほどの実力差がついてしまっていては、勝負事に勝つことはできないし、せっかく運を買ったとしても、他人の運の強さが自分より勝っていた場合には自分に幸運が降り注いでくることはないということも説明されていた。
私はその魅力的な話に興味津々であったが、そのサイトに書かれていた料金を見ると幻滅し、すっかりその気もなくなってしまった。やがてその話も過去の話となってしまった頃、私はこの話の最初で述べたような感想を抱きながら、そのニュースのことなど忘れ、ありふれた一般人としての生活を送っていた。
*****
月日が立ち、そろそろ自分のスマホを買い替えようかと思った頃、私は自分が勤めていた会社の健康診断で眼の前が真っ暗になるようなことを聞かされた。
医者が言うには、自分は身体の細胞が分裂する際に起こるエラーによって引き起こされる大病を患っており、すぐに手術をしないと半年後の生活も危ういということだ。
私は自分の身体中を動き回っている歯車が一瞬ですべて崩れ落ちるような感覚に襲われた。
私の質問に対し、医者が続けた内容としては、手術をすぐに行ったとしても、非常に難しい手術であるため、成功するかどうか、ましてや、成功しても治るかどうかすら保証はできないというものだった。
医者は続けてこう言い放った。
「私達も最善は尽くしますが…あなたが治るかどうか、そしてもとの生活を取り戻せるかどうか、こればかりは ”運” ですね。」
私は、医者に「もしものときのために身の回りの整理をつけるように」と言われ、家に帰って押し入れにしまっていたものを見返してみたり、アルバムや写真フォルダの整理を始めた。
そして、自分が以前録画していた番組などを見返していた頃、私はふとあのニュースのことを思い出した。
そして、私が治るかどうかは ”運” であると医者が言っていたことから、運を買えば私が助かる確率も上がるのではないかと考えた。
翌日の診察で医者にそのことを話すと、医者は近年、自分のように手術の前に運を買う人が増えてきており、政府もその事情を鑑みて、 “運” を買うことに対して保険が下りるようにしたということを説明してくれた。
医者は自分たちの腕が信用されていないのかと怪訝そうな顔をしていたが、私が手術のために運を購入したい旨を伝えると、そのために必要な手続きを教えてくれた。
そこで提示された金額を見て、私は目を見開いた。技術が進歩したからか、保険が適用されたからかは分からないが、私がかつて見たものからは考えられないほど安くなっていたからだ。
*****
そして、手術本番の日がやってきた。
後から聞いた話によると、手術前の医者の不安そうな顔が嘘であるのではないかと言うほど、手術はスムーズに進み、自分の病気も完治したらしい。
医者が言うには、腹の中を除いてみると、病期の進行は奇跡ではないのかと言うほど停滞しており、その病気にかかった不運がすべてひっくり返ったような幸運が自分の身に起こっていたということだ。
その日、私は初めて自分で運を買うことによってその効果を実感し、それは本物であったと結論付けた。
そして、数日の経過観察のための入院の後、自分の命を救ってくれたであろうテレビの中の研究者に感謝しながらスキップ気味に病院から退院し、これからも運を買っていこうと決めた。
それからというもの、私の人生は運を買うことによって好転していった。
私がいつもストレスを受けていた世の中の理不尽さも、運を買うことによって逃れることができ、落ち込んでいた私をいつも励ましていた日常の小さなラッキーも自分で作り出せ、仕事では重要な案件を取ることができるようになり、運を買うことによって失ったお金でさえも、運を買ったついでに宝くじや馬券を買うことによって取り返すことができた。
やがて、それまで小さな不幸に対してくよくよしていた自分が恥ずかしくなり、運を買わない生活など自分の中では考えられなくなっていった。
その時、世の中ではその運のことを危ないお薬に例える風潮があったらしいが、今思ってみると、まさにそのとおりであったと思う。何事も過剰に摂取するとそれが当たり前に感じてしまい、24時間の魔法が切れた後はいつも憂鬱な気分になってしまうのだ。
だがしかし、いくら運を買うことが底なし沼に身を委ねるようなことだとしても、それが世の中の当たり前となってしまっているのであるから、今更誰も人々がそれを買うのを咎めることはできなくなってしまっていた。
その頃は、運を買う人が増えたことにより、運を買っていない人にだけ不幸が降り注ぐようになってしまったため、誰も彼もが運を買わずにはいられない状況になってしまっていた。
そのような状況では、金を持っている人にだけ幸運が降り注ぐことになってしまう。結果、運の売り買いが開発される前よりも貧富の差が拡大してしまった。
***
誰もが配られた手札で勝負しなくなってしまった社会の中で、私は世界が歪んできているようなことを感じている。例えば、以前と比べ、私の身の回りにいる人々の性格が変わってしまったように感じられ、時間の進み方が毎日17時だけ明らかにゆっくりに感じられる。また、酸味というものを私は最近感じなくなり、梅干しを食べても何も思わなくなってしまった。
挙げだしたらキリが無いが、このような微細な変化を私は最近毎日感じている。
嘘だと思うかもしれないが、SNSでも同じようなことを言っている人達がいるのだ。
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「明日の天気は晴れのち雨、予想最高気温は……プツン」
ある日、私がテレビを見ていると、突然画面が切り替わり、あのときの研究者が映し出される。
画面の中で口を開いた彼が説明した内容としては
・運を買うということは、本来進むべき世界線ではなく、新しく作り出された世界線に身を委ねるということ。
・新しい世界線を作り出すときには古い世界線をコピーする必要がある。
・世界線をコピーする際にコピーのバグが起こる事があり、このまま運が買われ続けるとバグによって世界が壊れてしまう。
・それを止めるためにこの放送を行っている
ということであった。
私はそれを聴いて、世界が守られて嬉しいような、運を買える生活がなくなってさみしいような複雑な感情に襲われた。
研究者が説明を続ける
「これから運を買うことが行われないようにするために皆さんに協力してほしい内容が……ザザ…ザッ」
幸か不幸か訴えも虚しく通信障害によって放送は遮られてしまった。
運のインフレーション。
蟹 卓球です。3作目です。