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第4話   怪事

「いや~こりゃ参ったな~。虫刺されやね~」


 鬼渓村唯一の医者である笹岡(ささおか)は、左肩をポリポリと掻きながら診断結果を告げた。


 ――――千里は、ミトモモの異変に気付いてすぐ、真由美に医者の紹介を頼んだ。

 そして腹立たしいほど気持ち良さそうに眠るシガケンの洟提灯を叩き割り、急ぎミトモモを笹岡の元へと搬送させたのだ。


 笹岡は、自身で刈ったに違いない不揃いの坊主頭が印象的な、人の良さそうな男だった。

 実際、突然押しかけてきた見知らぬ顔ぶれにも、嫌な顔一つせず出迎えてくれた。

 彼も櫻子のことは知っていたらしく、帰ってきたことに驚いていたが「そうか~おかえりやな~櫻子ちゃん」と微笑みかけ、その後ミトモモの診察を急いだ。

 正直な所、こんな辺鄙な村でまともな治療が受けられるのだろうか、と千里とシガケンは不安を抱いていたが、笹岡の無駄のない手際の良さを目の当たりにすると、杞憂であったことに気付かされた。

 終始、頼りなさげにヘラヘラと笑うだけの男に見えたが、診察が始まった瞬間、目つきが鋭く変わったため、そのギャップが安心できる大きな材料になったのである。


「笹岡さん。大丈夫なんでしょうか……?」


 折り畳んだ脚の膝に両手の拳を乗せた千里は、目の前に横たわるミトモモを、心許なげに見詰めながら問う。


「まぁ大丈夫やな~。とりあえず鎮痛剤を飲んだから、ちっとはマシになるやろ~。でも三日か四日ぐらいはここで休んで行った方がええな~」


 相変わらず笹岡は、優しさ溢れる表情で千里らの不安を和らげる。

 

「ただ、何の菌が体に入ったか分からんから、お前さんらはここにおったら危ない」


「でも――――」


「あかん」


 突如、千里の眼前に顔を寄せた笹岡が、低い声でそう告げた瞬間、室内の空気が重く淀んだ。

 深く刻まれた眉間の皺が陰影を生み、骨張った頬が不気味さを際立たせる。

 先ほどまでの穏やかで親しげな表情は消え去り、仄かな狂気さえ感じられるその眼が、千里を捉えて放さない。


「感染してもうたらどないすんの。村全体に広がるかもしれへんやろ?」


「は、はい……」


 ぐうの音も出ず、千里は首を縦に振るしかなかった。


「なんてな。まぁ安心してや~。おじさんこう見えて、村の人らを何十人と救ってきてるからな~」


 ようやく千里から離れ、口角を緩めた笹岡は、姿勢と表情を元に戻した。


 ――――結局、彼の忠告に準じ、千里とシガケンは渋々ながらも櫻子の家に戻ることとなった。

 心情としてはミトモモの看病を続けたいところだが、感染がこの小さな村で広がることは、致命的な打撃に繋がりねない。

 笹岡が指摘した通り、虫に刺され、菌が体内に侵入したことは、おそらく間違いない。

 千里も自身の目で、ミトモモの太ももの外側に赤い刺し跡が残っているのを確認した。

 山に登るというのに、無防備に美しい脚を露出していた彼女にも少なからず非があるのだろう。

 テナシと目を合わせてしまったことで呪われてしまったのではないか、という考えがよぎった瞬間もあったが、それが曖昧な迷信に過ぎないと分かった。

 都市伝説を探求する者として、このように現実を突き付けられる感覚は、物悲しいものの、光栄なことでもあるのだ。


 禁足地には行かないと決断した手前、テナシの正体を探るわけにもいかず、千里は大阪での堕落した生活とさして変わらない時間を、ただ漫然と消費していた。

 時折、櫻子が部屋に顔を覗かせるが、何やら色々と忙しいらしく、ほとんどの時間をシガケンと共にした。



「えぇ!? ミトモモがいなくなった!?」


 翌日、ミトモモの容態を確認すべく、笹岡の元へ赴いた千里とシガケンは、衝撃の事態を知らされた。


「どういうことですか!? あなたが看病してたんじゃないんですか!?」


 怒り気味で、シガケンは笹岡の肩を揺らした。

 彼も、自身への感染を防ぐために別室で就寝したのだが、その間にミトモモが姿を消したというのだ。

 腹痛や眩暈を伴っているため、外を出歩くのは非常に危険。

 一刻も早く探し出さなくては、何かあってからでは遅い。

 もし万が一、禁足地にでも行った暁には、結末は言うまでもないだろう。

 やはり付きっ切りで看病すべきだったと後悔しながらも、千里はシガケンと共に周辺の捜索を開始した。



 ミトモモが姿を消したことが判明してから、約二時間が経過した。

 千里とシガケンは、円を描くように村の周辺を虱潰しに探したが、一向に見つからない。

 長らく雨が降っていないせいか、土は乾いており、足跡を探すことも困難。

 斯くして、畏怖の記憶を想起させる場所に行き着く。


「行くしかないよね……」


〝禁足地〟と刻まれた看板を見据え、千里は深く息をついた。


「だな。まぁ夜に比べりゃ逃げやすいやろ。とりあえず無理せんとこ」


 やはり彼は頼もしい。

 米粒ほどの肝しか持ち合わせていない千里とミトモモだけでは、心霊スポットなどに行きたくても行けない。

 しかし、シガケンがいたからこそ、これまで何とかなっていた。


 ――――捜索開始。

 とりあえず、一昨日に通った道を進む。

 昼と夜では、まるで景色が異なり、かつてテナシに追われた林道とは思えないほど空気が澄んでいる。

 木々の囁きと、肌を優しく撫でるそよ風も、心地好い。

 そうしてしばらく斜め上を向き進んでいると、千里は嬉しい誤算が転がっていることに気付く。


「はぁあ……! 私の大事な二万五千円……!」


 傷だらけになったスピリットボックスが、寂しそうに草に埋もれていた。

 絶妙な汚れ具合が、どこかヴィンテージ感を演出しており、千里は密かにテンションを上げていた。

 ただ、電池が切れているのか、或いは故障しているのか、電源が入らない。

 致し方なく、電池を交換すれば息を吹き返すと祈りながら、ポケットに仕舞った。

 その時、シガケンが姿勢を低くして、千里の元へ駆け寄る。


「おい千里! あれ!」


 声ではなく、ほぼ息だけでそう言ったシガケンは、とある方向を指差した。

 彼を真似て中腰になりつつ、千里は木の隙間から指し示された場所に目をやる。


「え……!? テナシ……?」


 彼女もまた声を殺し、可能な限り喉を絞ると、シガケンは無言で頷いた。

 二人が覗き込む先には、地面に腰を下ろし、双脚を前に投げ出しているテナシがいた。

 木の幹に背を預け、伏し目がちに座り込むその様は、幽霊とは程遠く、むしろ血肉を備えた生身の人間そのもの。

 年若い体躯を鑑みると、快活に外を駆け周り、休憩がてら木陰に身を寄せ、心地好い涼を味わっているようにしか見えない。


「一昨日見たのと一緒……?」


 千里も膝を折り、目の前で背を丸めるシガケンの耳元で囁いた。

 すると彼は、テナシから目を離さず、ゆっくりと首を傾げる。


 一見すれば、ただ迷い込んだ村の子供のようにも思えた。

 しかし、剥き出しになった眼球と、吊り上がった口角は、一昨日に遭遇したテナシを、まざまざと思い起こさせる。

 真由美からテナシが複数いる可能性を聞かされていたため確信は持てないが、おそらく同じ個体なのだろう。


 程なくして、同じ体勢を保つことがむず痒くなった千里は、僅かばかり足を踏み直した。


 パキッ――――。


 乾いた音の波が、草木の間を縫い広がった。

 瞬間、オーケストラの指揮者が掌を握り、ピタリと音色を止めたかのように、周囲の音が消え去る。

 もちろん実際は消えていない。

 ただ、二人がそう錯覚してしまうほど、空気が張り詰め、どっしりとした重みを帯びたのである。


 音が鳴り、肩を震わせたシガケンは、思わず振り返った。

 そして彼の怯える目が、千里の足元へ向けられる。

 そこには、数秒前までひと繋ぎだったであろう枯れ枝が、虚しく二本に別れ、横たわっていた。


 この瞬間、図らずして、二人の目線がテナシから外れ、枯れ枝に集ってしまう。

 その後すぐ、足元からテナシの方へ、おずおずと視線を引き戻した。


 ――――おぞましい眼球は、こちらを凝視していた。


 まるで、ずっと観察していたかのように。

 俯いていたはずのテナシは、何の前触れもなく、満面の笑みを、こちらに向けていた。

 顔の皮膚が引き裂かれるのではないかと思うほどに、大きく歪んでいる。

 結膜に浮かぶ無数の血管は、緋色のインクを溢したかのよう。


 千里はテナシと目が合った刹那、爪を立てて心臓を握り潰されるような感覚が全身を貫き、背筋に冷え冷えとした汗が滲んだ。 

 同時に、脚には本能的な力が漲り、体が勝手に逃走の準備を始める。

 彼女よりも一足先に、シガケンは踵を返し、来た道へ足を向けていた。

 命を賭した逃走劇を、またもや演じなければならないのか、と不本意ながらも踏み出そうとしたが、千里が違和に気付く。


「ちょっと待ってシガケン……!」


 先に駆け出していた彼を、出来る限り小声で呼び止める。

 シガケンは、ザザーッという擦れる音を鳴らしながら、地面にスリップ痕を残し、振り返った。


 いつでも走り出せる体勢を維持しながらも、千里は顎を使って「見て」と合図を送った。

 彼女の導きに従い、シガケンの視線は再びテナシの方へ。


「なんでだ……?」


「分からん……」


 二人は目を見合わせ、首を傾けた。

 千里が覚えた違和感とは、テナシが追ってくる素振りを全く見せないことにあった。

 先刻、一瞬とは言え視線が絡んでいたはずのテナシは、今はもうすでに俯いており、こちらへの興味をすっかり失っていたのだ。

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