第2話 探求
「櫻子……本当にこの辺りなんだよね……」
ファミレスで櫻子の話を聞いてから一週間後、早速、都市探メンバーで鬼渓村を目指していた。
予め、林道を歩くと聞かされていた千里らは、服装はいつもと変わらないものの、歩きやすい靴だけは各々準備してきたのだが、想定以上に道が険しい。
「うん……たぶん…………」
そんな櫻子の頼りない回答に、一同の不安が募る。
彼女には村を出た時の記憶が無く、鬼渓村までの道のりはあやふなため、最悪辿りつけないという結末もありえる。
とはいえ、それを承知のうえで村へ向かうことを決意しているため、それならそれでいい運動になったとでも考えればいいだけの話。
――――鬼渓村は、和歌山県田辺市の山奥、奈良の県境の近くに位置するとのことで、シガケンに運転を任せ、レンタカーを走らせた。
大阪からは阪神高速道路に乗り、なんやかんや二時間ほどかけて南紀田辺ICを降り、一般道から山路へ入る。
しばらく背もたれに身を委ねながら進むと、路肩に〝夫婦滝〟と書かれた小さな看板が設置されており、その近くには駐車スペースが認められる。
鬼渓村へ向かう際、目安となるのがその滝なのだ。
もちろん先客などいるわけもなく、五台ほど駐車できるスペースのど真ん中に車を停めた。
そして足の脛ほどの高さしかない案内板を頼りに、林道へ足を踏み入れ、無事に夫婦滝に到着したものの、そこから進みあぐねているのが現状。
「チーちゃんん……もぉ限界ぃ……」
林道を歩くと言われたにもかかわらず、太ももから足首までを露出しているミトモモが、両膝に手をついて息を切らしている。
意外にもまだ体力が残っている千里は、彼女に駆け寄ってミネラルウォーターを差し出す。
「ミトモモ、ファイト。これ飲み」
「ありが……とぉ…………」
「これ以上は厳しそうですね……」
櫻子は口角を下げながら、ミトモモの背中に手を添えた。
すると三人から少し離れた場所を詮索していたダサいファッションのシガケンが叫ぶ。
「おーい! こっち! あった!」
皆シガケンの元へ吸い寄せられるように集まった。
「ほら! 櫻子ちゃん! これだろ?」
シガケンが指し示したのは、木の幹に巻かれた桃色のビニールテープ。
おそらく元々は赤色だったようだが、雨や風に晒されるうちに劣化したのだろう。
「これです!」
櫻子は飛び跳ね、ワンピースをひらりと揺らす。
実は千里らは夫婦滝の周辺にあるはずのビニールテープを一時間以上探して回っていた。
そのビニールテープさえ見つければ、もう迷うことが無いと櫻子は記憶していたからだ。
一つ目のビニールテープが巻かれた大木から見渡し、次にテープを探す。
それを見つければ、そのテープの大木まで進み、次のテープを探す。
この作業を繰り返すことにより、自ずと鬼渓村に辿り着くのだという。
◇
櫻子の記憶は正しく、何十本とビニールテープを着飾った木を伝い、無事に村へ到着。
「おぉ……雰囲気あるな…………」
やはりと言うべきか、最も体力があるシガケンが先頭に立ち、鬼渓村という文字が彫られた巨石の看板に、感嘆の声を漏らした。
均された道が奥へと伸びているが、背の高い木々が日光を遮っているせいか、薄暗さが不安を煽る。
木漏れ日という言葉を聞けば、心地よい風景を想像するかもしれないが、この場においては少し違った印象を持ってしまう。
「しかし我々都市探サークル。ここで怖気付いていては世界の陰謀には迫れまい!」
両腕を通すリュックのベルトをギュッと握りしめ、千里は風を切るように踏み出した。
他の三人も彼女に続き、その足を村へ踏み入れる。
古びた木造の家々がポツリポツリと立ち並んでいる間の、石畳を進んでいくが、誰にも遭遇しない。
一見廃村のようにも思えたが、家のすぐ近くに洗濯物が干されているため、人が住んでいることは間違いないだろう。
そうしておずおずと周辺を見回しながら潜っていくと、簡素な広場にさしかかる。
「櫻子……?」
唐突に、背後から声をかけられた。
最も勇敢に突き進んでいた千里が、いの一番に体をビクつかせ、凄まじい勢いで振り向いた。
「あんた。櫻子やな……!?」
そこには、目を見開いた40代くらいの女が立っていた。
上下ともにくすんだ服を纏い、髪の手入れもされていない。
目元には深いクマが彫られており、失礼ながら千里は不気味であると感じざるを得なかった。
「だれ……ですか……?」
櫻子に面識は無い様子。
しかし女が彼女の名前を知っているということは、やはり櫻子はこの村で生まれ育ったのだと窺える。
「あの! すみません! 彼女は記憶を失っているんです!」
先頭に立っていた千里は踵を返し、櫻子の傍に駆け寄った。
「そうだったのかい……とにかく、よう帰ってきたね。お友達のみんなも大変やったやろ」
櫻子の記憶喪失を知った女は、憐れみの表情を浮かべた後に四人を労った。
その時、千里は深くため息をついて、胸を撫でおろしていた。
実のところ彼女は、今回の旅で不安に思っていることが一つあった。
それは、櫻子が村を出た理由についてだ。
彼女が自発的に村を出たのであれば無問題。
しかし逆に、村から追い出されたのであれば櫻子はもちろんのこと、部外者である千里らが村人に快く迎え入れられるはずがない。
優しさあふれる目の前の女の様相から、少なくとも村に入ることは拒絶されていないと察し、千里は安堵したのである。
――――女は西崎という名だった。
話を聞いたところ、彼女は櫻子のことを幼い頃から知っているという。
村を出た理由までは知らないようだったが、両親のいる場所への案内はできるとのことで、早速向かうこととなった。
といっても、村は狭く、さほど距離は無い。
西崎に声をかけられた広場を通り過ぎ、再び現れた家々を左右に眺めながら、石畳を踏みしめる。
石畳の終着点は、村の中で最も立派な家屋で、西崎曰く、村長の住まう家なのだとか。
その手前、右側に位置するのが櫻子の実家。
自分が帰る場所を見て、何か想うことがあったようで、櫻子は立ち尽くしていた。
いきなり彼女が玄関口からひょっこり顔を出しては、両親も腰を抜かすかもしれないと、西崎が代わりに扉を叩く。
「すずさん。西崎ですー」
格子状にデザインされた引き違い戸。
磨りガラスの向こう側は暗い。
西崎は何度か扉を揺らすように叩き、シャンシャンという掠れた音をインターホンの代わりとした。
しかしガラスの前に人影は浮かび上がらない。
「何か御用ですか」
立ち往生していた五人の背後から、やけに低い女声が鳴る。
最後尾に立っていたミトモモだけでなく、千里とシガケンも、全身の毛を弥立たせ、反射的に振り返った。
そこには、七分袖のグレーTシャツを着た、小綺麗な女が眉根を寄せて立っていた。
何かの作業をしていたのか、年季の入った薄黄色のタオルを肩にかけている。
すると、先頭から最後尾に順位を落とした西崎が、都市探メンバーの間を掻き分けて女の前に立つ。
「すずさん。この子、あなたの娘さんよね……?」
「まさか……櫻子……なの?」
女はタオルを肩から降ろし、目を丸くした。
「お母さん……?」
思い出せないせいか、櫻子は千里やシガケンの陰から出ようとしない。
すかさず千里が事の経緯を説明する。
「あの! 櫻子は記憶喪失なんです! 私たちは彼女が記憶を取り戻すのを、手伝うためにここへ来ました!」
とにかく端的に、無駄を省き、伝えるべきことを言葉にした。
すると櫻子の母親らしき女は、気の毒そうな表情を浮かべた後に、安堵の面持ちに切り替える。
「そうだったのかい……お帰りなさい。櫻子」
「うん……お母さんっ……!」
櫻子は母親の胸に飛び込んだ。
◇
「この人たちはテナシについて知りたがってるの。お母さん何か知ってる?」
家族水入らずの時間を経て、桜子の母親、涼風真由美の家にお邪魔した千里らは、早速、本題に入る。
ちなみに、真由美の厚意で、西崎はお茶を一杯勧められたが、彼女は腰を低くしてそれを拒み、そそくさと去っていったため、今は五人でテーブルを囲んでいる。
「櫻子はテナシのこと、覚えていないの?」
「うん。私はあまり覚えてないの。幽霊っていうくらい」
「そう……分かったわ。櫻子の友達だから特別に。テナシと言うのは――――」
椅子に浅く座り直した真由美は、まるで怪談話の導入のように声を潜めた。
――――まず、テナシとは、Q&Aサイトに寄せられた回答の通り、両腕を失くした幽霊の名称とのこと。
ただし、子供と言うより、未成年という表現が近いという。
小さい子供から、高校生や大学生くらいの体躯のテナシもいるのだそうだ。
その話を聞き、てっきりテナシは一体しかいないと思っていた千里らは、背筋に悪寒が駆けるのを感じた。
テナシが出没するのは、村長の家をさらに奥へ進んだ林道で、昔から禁足地と言われ、注意を促す看板が目印とされている。
遭遇するのは深夜であることがほとんどで、櫻子の記憶は正しく、夜な夜な鉢合わせたテナシは、奇声を上げながら周辺を走り回るらしい。
反対に、日中の時間帯に出会ってしまった場合、問答無用で襲いかかってくるという。
そのため、真由美は「そもそも行かないに越したことはないけれど」と前置き、せめて禁足地に行くのなら夜の方が安全だと言っていた。
遠路遙々、大阪から期待に胸を膨らませて来た屈託の無い少年少女たちから、目の輝きを奪いたくなかったのだろう。
ただ、櫻子だけは禁足地に行くことを許されなかった。
記憶を失っているとはいえ、長期間の家出をした前科があるため、そこは仕方あるまい。
最後に、テナシと遭遇した時のルールもとい、禁忌の教示を受けた。
禁忌その一、話しかけぬこと。
二、目を合わせぬこと。
三、光を当てぬこと。
四、即時引き返し、振り返らぬこと。
触らぬ神に祟りなし。
とにかくテナシには関わらない方が良しとされているということだ。
◇
櫻子の実家に宿泊する許しを得た千里らは、真由美の助言に従い、夜が更けるのを待った。
そしてようやく、時計は長針短針共にてっぺんを指し示したため、注意看板をスルーし、禁足地へと足を踏み入れた。
無論、陽は沈んでおり、身長の高い木々のせいで、地上に届く月明かりすら乏しい。
持参したLEDライトの光線が三本、それぞれが異なる向きを照らし、草木の影が舞踏会を演じ始める。
しかし優雅なワルツは奏でられておらず、スピリットボックスの〝ザッザッザッザッ……〟という耳障りな雑音が一定のリズムで鼓膜にストレスをかけ続けていた。
「それホントに意味あんのかよ」
千里が印籠を突き付けるように握るオカルトアイテムを見て、シガケンは胡散臭そうに目を細めた。
彼は三人の中で唯一、幽霊を信じていない派だ。
「あんたまだスピリットボックス疑ってるん」
スピリットボックス。
幾多数多の心霊番組やヨーチューブ動画で活躍する、幽霊とコミュニケーションを図るための機材。
「そりゃ疑うやろそんなもん」
オカルトマニアの厨二心を掻き立てる名称だが、その実、チャンネルを高速で回すことができるただのラジオ。
ネットでは、オートサーチ機能を備えたラジオを、それっぽい商品名に変えて高額販売しているだけという声もしばしば上がっている。
実際、同じ機能のラジオなら三千円ほどで手に入るが、千里が買ったのは、あくまでもスピリットボックスで、値段は二万五千円。
シガケンが懐疑的なのも仕方ないことなのである。
「ヤバイかもぉ。桃やっぱ無理かもぉ……」
ミトモモが吹き消えそうな声を零した。
彼女は今、千里の腰に双手を回し、全身を密着させている。
後ろに続くシガケンから見れば、一体化寸前のシルエットは、もはや二人とは思えない。
「大丈夫。私がついてる」
と虚勢を張る千里だが、体は正直で、スピリットボックスを持つ手があまりにも震えているせいか、アンテナが左右に揺れており、音も相まって200BPMを超えるメトロノームのよう。
そうして女子二人が怯えながらも進んでいると、その声は唐突に響き渡った。
「――ィィ……」
スピリットボックスがついに、その力を発揮したのだ。
時間が停止したかのように、三人はピタリと静止し、自分の聞き間違いではなかったことを理解する。
少し高めの男声だった。
例えるなら、まだ声変りをしていない小学校高学年の男児。
「イイィ……」
再び声が鳴り、三人は阿吽の呼吸で肩を窄めた。
そして三人ともが気付く。
その不気味な声が、スピリットボックスを経由して聞こえたのではなく、自らの聴覚がダイレクトに拾ったものであると。