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最終話   新月

「君たちは……?」


 心電図が刻む冷ややかな律動が鳴り渡る部屋で、垂れ目で華奢な男が、息を切らした千里たちに尋ねた。


「櫻子と同じサークルのメンバーですけど……」


 ベッドに横たわり、瞑目している櫻子を一瞥し、千里が応じる。


「そうか。君が一条さんだね。それじゃあ後ろの二人は、水卜さんと志賀くん?」


 どこか居心地が悪そうに、男は三人の名を口にする。

 その後、千里たちの訝しむ眼差しに気付いたのか、彼はふと目を見開き、軽く肩を竦めるようにして笑みを浮かべた。


「あぁ、ごめんごめん。僕は涼風優輝(ゆうき)。櫻子の兄です。君たちのことは妹からよく聞いていたんだ」


「失礼しました! お兄さんがいらしたとはつゆ知らず……」


 小刻みに頭を下げながら、千里は態度を改めた。


「いえいえ。とりあえず櫻子は大丈夫。今は眠っているだけだから、談話室で少し話そうか」



 ――――昨夜、命を賭した逃走劇の果て、千里たちは荒れた息を抱えつつも、死に物狂いで駐車していたレンタカーまで辿り着いた。

 車体ごと闇に押し潰されそうな錯覚に陥りながらも、ただじっと、車内で櫻子を待った。

 しかし彼女はついに現れることなく、代わりに視界の遥か向こう、ひっそりと隠れているはずの村が、その場所をアピールするかのように、赤い光が瞬き始めた。

 やがてその光は輝きを増し、遠く夜空に燃え上がる炎の柱がぼんやりと浮かび上がった。


 千里たちは即座に通報した。

 山奥にサイレンが到着するまでの時間は、ひどく長く感じられた。

 その日は、近くのホテルに宿泊――――翌日、任意の取り調べを受け、村で起きたことを洗いざらい刑事に述べた。

 調書を作成する刑事は、終始、半信半疑の様相を浮かべていたが、千里が負った肩の傷を見せると、少しだけ態度が変わったのを覚えている。

 地図に載っていない村が存在するという時点で奇妙な話だ。

 そこでどんなことが起きたのかは、なかなか想像に及ばないのも仕方あるまい。


 一通り取り調べを終えた頃、櫻子が火災の被害にあったと知らされた。

 暴行を受けた痕跡や、炎に巻かれた際の火傷などがあるものの、命に別状は無いとのことだった。

 とはいえ、居ても立っても居られず、三人で見舞いに赴いたのである。


「虫が良過ぎるのは分かってる。でも、本当に申し訳ない」


 談話室に移動するや否や、優輝が深々と頭を下げた。

 無論、千里たちにはその意図が分からず、ただ面食らうばかり。


「ちょ、ちょっと何言ってんすか優輝さん! 頭上げてくださいよ!」


 シガケンが慌てて優輝の肩を軽く抱きかかえるようにして引き起こした。

 その後、空気の重みを払拭しようと、千里が促す。


「とりあえず座りましょ」


 黄昏時ということもあってか、談話室は静かだった。

 自動販売機の低いモーター音が断続的に響いている程度。


「で、なんで私たちに謝ったんですか?」


 丸いテーブルを囲み、優輝の対面に腰かけた千里が仕切り直す。

 彼女の右手にそっとミトモモが座り、左側ではシガケンがテーブルに片肘を乗せて席に着いた。

 当然、二人も気になるようで、優輝の顔に視線が集まる。


「怖がらずに聞いてほしいんだけど、実は、僕は櫻子と一緒に、君たちを村へ誘導する役を担ってたんだ」


 その一言が、部屋の空気を冷やした。

 今でこそ、櫻子は仲間だと信じられる存在だが、彼女以外の村人については根深い疑念が拭いきれない。

 目の前にいる男が敵かもしれないという先入観が、千里たちの心にじわじわと影を落とし、全員が無意識に身構えた。


 張り詰めた空気を感じ取ったのか、優輝は片手を胸の前で軽く振り、穏やかに弁解を始める。


「大丈夫。今さら君たちをどうこうしようなんて考えてないよ。三対一じゃ分が悪いしね」


 自嘲めいた笑みを浮かべながら、優輝はそっと後頭部を手で押さえた。

 その様子に、千里は肩の力を抜き、わずかに安堵の息を漏らすと、話の路線を戻すべく静かに口を開いた。


「そうですか。櫻子と一緒にって言いましたけど、私たち、お会いするのは今日が初めてですよね?」


「うん。僕は基本的にネットを通じてオカルトとか都市伝説が好きな人に接触する役目だったんだ。志賀くんには心当たりがあるんじゃないかな」


 やや思考を巡らせた後、シガケンは「あっ!」と口を開き、膝の裏で椅子を跳ね飛ばしながら立ち上がった。


「ユウキさん……! 知恵の泉の!?」


 口一文字のまま、優輝はコクリと頷いた。


「え? なに? 優輝さん?」

「どういうことぉ?」


 千里とミトモモは目を見合わせ、双方、首を傾けた。


「ほら、櫻子ちゃんのアカウント名。俺、質問者が女の人やって知らんかったやん?」


 シガケンは「あ、やべっ」と呟き、椅子を立て直しながら、千里とミトモモに共感を求める。


「あぁー! なんかユウキさんって声かけてかもぉ!」


「そうやったっけ……覚えてないわ私……」


「知恵の泉以外にも、色んな所でテナシを匂わせることを書き込んでたんだけど、最初に興味を持ってくれたのが君たちだったんだ」


「そういうことだったんすね……」


 後々、櫻子のような美人と連絡を取り合っていたと思っていただけに、シガケンは肩を落とした。

 そんな彼を尻目に、千里が鋭い問いを投げる。


「もしかして、櫻子が記憶喪失だってのも、優輝さんが考えたシナリオですか?」


「まぁ、そうなるね……櫻子はずっと苦しんでた…………」


 バツが悪そうな面持ちで、優輝は吐露する。


「こっちの誘導とはいえ、君たちはテナシに対する好奇心というより、櫻子の記憶を取り戻すことに重きを置いてくれてた。それが彼女にとって辛かったんだろうね。別の人を探そうって、よくお願いされてた。今さらだけど、妹には大変な役回りを背負わせてしまったと思ってる」


 その言葉に、千里は思わず呟いた。


「櫻子……」


 もっと早く彼女の心境に気付いてあげられれば良かったと、悔い、嘆いた。


「無責任だけど、櫻子と、君たちが無事で良かった。もし許してくれるなら、妹とは今後も仲良くしてやってほしい」


「そんなのは言われるまでもないですけど、櫻子は本当に大丈夫なんですか?」


 あまりにも忌憚の無い千里の振る舞いに驚いたらしく、優輝は口を丸くした後、その表情を綻ばせる。


「言われるまでもない、か。はは。余計なお世話だったね。櫻子なら大丈夫。昼間は普通に話してたくらいだから。心配してくれてありがとう」


「良かった……」


 千里は深く息を吐きながら、背もたれに体重を委ねた。

 ようやく肩の力が抜け、心の中で積もり積もった不安が一気に溶けていくのを感じる。

 隣のミトモモとシガケンも同様に胸を撫でおろし、安堵の息を漏らしていた。

 その後、せわしない性分の千里は、預けた背を起き上がらせ、テーブルに身を寄せる。


「……で、テナシの話、詳しく聞いてもいいですか?」


「もちろん。もう全て終わったからね。少し長くなるから何か飲もうか。奢らせてもらうよ」


 優しく微笑んだ優輝は、ポケットから二つ折の財布を取り出し、小銭のぶつかる音を鳴らした。

 本来、初対面の人間には一度か二度、断るのが世のマナーだが、千里たちは遠慮せず、欲するドリンクのボタンを順に押していった。

 そうして丸いテーブルに四本の缶が並べられ、一つ、また一つと飲み口を切り破る音が空気を揺する。


「どうして村の人は協力してまであんな酷いことをしてるんですか?」


「それはね、呪いだよ」


 テーブルの真ん中に、三人の顔を引き寄せるように、優輝は声色を変えた。

 談話室には千里たち以外に誰もいないが、何人たりとも聞かれてはならないような空気が漂い、皆肩を窄める。


「呪い……?」


 超常現象に最も懐疑的な考えを持つシガケンが聞き返した。


「あぁ。僕たちの先祖の呪い。奇形児って聞いたことある?」


「生まれた時から手や足が無かったり、頭が歪んでたり、体の外や中に異常が見られる赤ちゃんのことっすね」


 無論、シガケンは知り得ていた。

 その響きに不吉な重みがあることも。


「うん。数百年前、両腕の無い奇形児が村で生まれたんだ」


 ――――三人は優輝の語る昔話に聞き入った。


 加代(かよ)仁蔵(じんぞう)の間に三男として生を受けた伊八(いはち)

 その幼子は、腕を持たぬ身でありながらも、健やかで無邪気な笑みを絶やさず、両親の深い愛情を一身に受けていた。

 最初は不気味がっていた村人たちも、接するうちにその無垢さに気付き、徐々に心を改めていった。

 しかし、伊八の誕生から僅かひと月が経った頃、突如として不幸が重なり始める。


 ある夜、焚き火の不始末により、三軒が灰燼と化した。

 その数日後、村を大地の怒りが襲い、凄まじい震動と共に多くの家屋と命が容赦無く打ち砕かれた。

 さらに数日が経ち、追い討ちをかけるように台風が襲来。

 狂乱の雨風が村を呑み込み、多くの家々が浸水し、損壊の憂き目を見た。

 これらの災厄と伊八の間に因果関係は何一つ無い。

 だが、偶然の重なりが村人の心に恐怖と疑念の種を植え付けた。

 伊八がその厄災を呼び込んだのではないかと、まことしやかに囁かれるようになったのだ。

 加代と仁蔵は我が子を守ろうと必死に村人たちの非難に抗っていた。

 しかしある夜、伊八は忽然と姿を消してしまう。

 生まれて間もない彼が一人で動けるはずがないため、村人の仕業であることは明らかだった。


 翌日、今や禁足地となった森の奥深くで、巨木に縛り付けられ冷たく息絶えた幼子の遺体を発見した。

 村人たちは無関係を装い、誰一人として真実を語ろうとはしなかった。

 その悲劇から、加代は次第に狂気の淵に引き込まれてゆく。

 夜ごと家を飛び出し、暗闇に包まれた森へと駆け込む姿が目撃されるようになった。

 そして不吉にも、村の子供が一人、不審な失踪を遂げる。


 ほどなくして、失踪者の姿は〝テナシ〟として禁足地で姿を現すようになり、村人は恐怖に凍りついた。

 彼らはそれを伊八の呪いとし、森に足を踏み入れることを避けるようになった。


 日々、廃れてゆく妻を見かねた仁蔵は、ついに問い質した。

 すると加代は、夢の中で伊八が囁きかけると語る。

 ――――三年に一度、新月の夜に村の子を一人拐い、腕を切り落とし、巨木に貼り付け、その腕を、左右分けて夫婦滝へと投げ込むようにと。

 怠れば呪いによって、自身や夫、残る二人の息子までもが死を迎えるのだとか。


 仁蔵は信じることを拒み、加代を止めようと試みた。

 やがて彼女も落ち着きを取り戻し、夫の助言を受け入れることを決断した。

 しかし、儀式を行わなかった翌年、仁蔵は森で野生の熊に襲われ、まるで天罰が下ったかの如く、両腕を食い千切られた無惨な姿で発見された。

 それ以降、加代は再び狂気を帯び、その異常性は加速。

 半ば強引に、洗脳じみた教育を施し、長男と次男にもその儀式を引き継がせ、連綿と続いていった。


 いずれ、村人は加代と仁蔵の血脈29世帯と、我が子が失踪し、取り残された親のみとなってしまう。

 儀式の意義は加代の復讐であり、その目的は血縁以外の子供たちを、一人残らずこの世から葬り去るにすることだと考えられていた。

 つまりこの時点で復讐は達せられたことになり、儀式の存続に意味は無くなる。

 斯くして、おぞましい儀式は途絶え、伊八の呪いは終結したかに思えた。

 しかしそう単純な話ではなかった。


 儀式を行わなかった翌年、加代と仁蔵の末裔である親子三人が突如失踪――――夫婦滝付近の川で溺死体として見つかった。

 発見が遅れたこともあり、遺体の状態は凄惨だったらしい。

 水死体は腐敗が著しいと、生前の姿を保てないことはよくある話だが、その親子の遺体には、偶然とは思えない共通点があった。

 まるで凶刃に引き裂かれたかのように、両腕が千切れていたのである。

 もはや伊八の呪いは村だけには留まらないという解釈に至り、大至急、村外から子供を見繕うという方針になったという――――。


「ってことは、儀式が行われないと、櫻子や優輝さんの命も伊八さんの呪いで、危ないんじゃないんですか……?」


 呪いなどという曖昧な現象に一切の疑念を抱かず、千里は二人を憂いた。


「もし呪いが本当なら死んじゃうかもね」


 まるで他人事のように、優輝はさっぱりと返答する。

 存外、彼は飄々とした性格らしい。


「もしって……」


「僕は呪いを信じてないんだ」


「なら優輝さんはなぜ儀式の手伝いをしてたんですか?」


「逆らえば殺されるからだよ」


「いや、だから呪いに殺されるんですよね?」


「そうじゃなくて、父さんに殺されるんだ。村の外から人を連れてくるなんて僕は反対だった。その意思を父さんに伝えたら、地下室で殴ったり蹴ったり、それはもうボコボコにされたよ。父さんだけじゃない。他の村人も怖い。口止めのためなら平気で人を殺すくらいだからね」


 鼻を鳴らしながらも、優輝は憂色を浮かべる。


「正直、僕は誰かを儀式の生け贄にするくらいなら、自分が死んでもいいと思ってた。でも櫻子は……妹は誰よりも優しい子だから、放っておけなかった。彼女を守るためには僕が必ず儀式を遂行させなくちゃいけなかったんだ。でももう大丈夫」


「なんでですか?」


「君たちを取り逃がしたことで、村に警察機関が介入するのは時間の問題。だから全てを焼き尽くして、父さんも母さんも、他の村人と一緒に心中したんだと思う。今はもう父さんとも連絡が取れてないから間違いない。村も儀式も葬り去る。元々それくらいの覚悟はみんなしてたし」


「そうだったんですね……」


「残念だけど、君たちを助けたっていうテナシも、火事に巻き込まれただろうね。今まで生きてたってことは、四年前の儀式でテナシにされた子か……たしか西崎さんの息子さんだったかな」


「西崎さんって……あの?」


 千里はそう呟き、記憶を擦り合わせるようにシガケンとミトモモに目線を合わせた。


「もしかして、会ったの?」


「はい。確か40歳くらいの女の人でした」


 村に足を踏み入れ、最初に遭遇した女が西崎という名だった。

 ずいぶん窶れた装いは、息子が失踪したことによる情緒の乱れが表面化したものだったらしい。


「驚いた。あの人、息子さんを失ってから外に出なくなったんだけど。失踪したとされる櫻子がいてビックリしたのかな」


 失踪した息子と櫻子。

 その二人の間に、西崎は何かしら共鳴するものを見出していたのかもしれない。

 しかし今となっては、その真相を確かめることはできない。


「あの人の息子さんに助けてもらったんだ……私たち……」


「そうみたいだな……」


「西崎さんは伊八さんの呪いとかぁ、息子がテナシにされちゃったことを知ってるんですかぁ?」


 テナシの伝承を聞き、しばらく黙っていたミトモモが口を開いた。

 確かに、言われてみれば加代と仁蔵の血脈以外の、子供を失った親たちはどう考えているのか、気になるところだ。


「いや、テナシの儀式については知らないはずだよ。テナシの真実を悟られないように、禁忌なんて不気味なルールを広めたんだから」


「そうなんだぁ……じゃあ西崎さんは、息子が禁足地にいることを知らなかったんだぁ……」


 心根の優しいミトモモは、眉を寄せ、その瞳に哀しみの影を宿らせた。


「ところで、テナシが人間ってことは、何を食べて生きてたんですかね?」


 ふと、初歩的な疑問が生まれた千里は、思いのまま問いかけた。


「虫や小動物を食べていたんだと思うけど、ハッキリとは僕にも分からないかな」


「手がないのに四年も生きられるもんなんかな……」


 納得のいく回答が得られず、疑問が重なるばかりの千里。

 知らないものは仕方ないと、シガケンが次なる質問を投げる。


「あと、俺たちが初めてテナシに会った時、禁足地の出口付近で追って来なくなったんすけど、あれは何か理由があるんすか?」


「それは…………」


 これまでテンポよく質疑に応答していた優輝は、初めて口ごもった。

 やや間を空けて、大きく息をつき、開口する。


「禁足地から出ないよう躾けてるんだ」


「躾ける……?」


 千里は躊躇いがちに声を震わせながら問いを返した。


「僕はやったことないけど、禁足地から出ようとするテナシを、おじさんたちが鎌や包丁とかで、切りつけて奥に追いやってたんだ。村に現れると失踪した子供だってバレちゃうからね」


 誰もが苦渋に満ちた表情を浮かべ、沈黙が談話室を支配した。

 無垢な子供が両腕を奪われ、さらに孤独の深淵へと突き落とされる。

 その残虐さがどれほどのものかは、体験した者だけが知り得るものだ。

 それを承知のうえで、千里たちは自身の胸に刻み込もうと噛み締めたのだろう。


「禁足地の禁足って意味、知ってる?」


 重い空気の中、優輝が語彙のテストを出題した。


「進入禁止的なことじゃないんすか?」


 考える素振りも見せずに、シガケンがストレートに回答する。


「確かに〝禁足地〟だとそういう意味だけど〝禁足〟って言葉自体は、一定の場所から出ることを禁ずるって意味になる。テナシは、あの場所から出ることを許されていなかったってことだね。だから君たちを助けるために禁足地を出てただけでもビックリなのに、刃物を持つ村人と闘ったって聞いた時はさすがに信じられなかったよ」


「どうしてテナシは私たちを……」


 川岸で村人に囲まれたあの絶体絶命の窮地に、抜群のタイミングでテナシが現れた。

 その意図は未だ霧の中だ。

 彼は明らかに千里たちを無視し、川上に控える村人たちへと矛先を向けた。

 気まぐれだと言われればそれまでだが、あの瞬間、命を拾われたことは確かだ。

 すれ違いざま、テナシと目線を交えたことが、そう思わせるのかもしれない。


「テナシは幽霊じゃなくてれっきとした人間だよ。何か君たちに恩があったんじゃないかな? 受けた恩は返したくなるのが人間だからね」


 ミトモモを探し、白昼堂々、禁足地に入った時の記憶がよぎった千里は、胸が締め付けられる思いだった。

 脛の傷を手当てされたテナシが溢した涙。

 それはあの少年が、紛うことなき人間である何よりの証拠だと言えよう。


 思わず隣を見ると、シガケンもまた黙して天井を仰いでいた。

 その顔には、形容し難いやるせなさが滲んでおり、言葉にせずとも彼の思いが伝わってくる。


「そもそもぉ、テナシはなんで奇声を上げて襲ってくるんですかぁ?」


 千里とシガケンが言葉を紡げずにいるとはいざ知らず、ミトモモが純粋なクエスチョンを投じた。


「いいや、テナシは人を襲わないよ」


「え!? でも俺ら追いかけられましたよ?」


「それは遊びたかっただけだろうね。僕と櫻子は小さい頃、親に内緒で禁足地に行って、よくテナシと遊んでた」


 千里はテナシと初めて対面した時の記憶を呼び覚ます。

 禁忌その四、即時引き返し、振り返らぬこと。

 それを厳守しようと努めたあの時、背後に忍び寄るテナシを見ようとはしなかった。

 いや、そんな余裕は無かったと言う方が正しい。

 だが、闇に包まれた静寂の中で、鼓膜が鋭敏に捉えた音を辿れば、今となっても追随する恐怖の輪郭が自ずと浮かび上がる。


「確かに、本気で走ってない感じがしたかも。私とミトモモの真後ろにピッタリついてきてたけど、小走りやったっていうか、ちょっとふざけてると思えんこともないわ」


 名推理を披露するかの如く、千里は顎を摘まみながら言う。


「襲ってこない人には恐がらないから、君たちも遊んでくれると思ったんだよ。きっと」


「そうだったんだ……」


「まんまと禁忌に乗せられたってわけっすね」


「だね。それにしても、僕が言うのもなんだけど、君たちは運が良かったよ」


「何がですか?」


「儀式が行われるのは新月の夜。実は僕、新月の日にちを勘違いしちゃって、予定より一日早く村へ向かうよう櫻子に伝えてしまったんだ。だから儀式を行うまでに猶予ができて、櫻子の裏切りもあって君たちは逃げられた」


「ゾッとすること言わないでくださいよ」


 我慢ならず、千里がツッコミを入れた。


「ごめんごめん。何せ村の外から人を連れてくるなんて今回が初めてだったからさ。そう簡単にはいかないもんだね」


 彼は冗談交じりに言うが、千里たちにとってはあまり笑える話ではなかった。

 口角を緩めていた優輝は、さすがに気まずさを感じたのか、キュッと表情筋を引き締める。

 

「笑えないよね。ごめんごめん」


 拝むように両手を眼前で合掌した優輝は、熱いブラックコーヒーを啜った。

 それを真似るように、他の三人も、それぞれが喉を潤わせる。


「じゃあ儀式の手伝いをしなくてよくなったし、お二人はもう自由ってことですね」


 千里は陰鬱な雲を吹き飛ばすように、明るい希望を込めて話を進めようとした。


「いや、僕はもう――――」


「みんな……」


 いつしか、談話室の入り口には、病衣を纏った容姿端麗な女性が佇んでいた。

 柔らかな淡い水色の衣服さえ似合ってしまう彼女を見て、千里たちは目を白黒させる。


「櫻子!」

「櫻子ちゃん!」

「サーちゃん!」


 至るところに包帯を巻き付けているが、整った顔立ちは健在。

 突如シガケンが立ち上がり、別のテーブルから椅子を引っ張ってきて、スマートに優輝の隣へ櫻子を誘った。

 基本的に気が利かない彼だが、今日はずいぶん冴えているらしい。


「ありがと、シガケンさん」


 垂れた髪を耳にかけながら、軽く会釈した櫻子に対して、シガケンは顎をクイッと落として「うっす」と童貞感丸出しの反応を示した。


「お見舞い来てくれたんだね。ありがと」


「当たり前やん。櫻子まだ罰受けてへんのやで」


「あはっ。そうだったね」


 口角を上げた櫻子は、無言で優輝の缶コーヒーを横取り、飲むわけでもなく両手でそれを包み込んだ。


「てか櫻子、体は大丈夫なん?」


「うん、平気だよ。それより一条さん、罰を受けたら私はサークル引退?」


 寂しげな面持ちで、櫻子が囁いた。

 すると千里は持ち上げていたアイスココアを叩き付けるようにテーブルに置き、熱弁する。


「馬鹿野郎! 都市伝説なんて一生追い続けるもんや! うちの()ークルは入れても抜けられへんでえ!」


 片手を膝に乗せ、肘を吊り上げるその様は、さながら酔っぱらいの江戸っ子。

 あとは掌で鼻下をゴシッと擦るだけ。


「……うん!」


 櫻子の瞳は涙の輝きで満たされ、その頬に溌剌な笑みが浮かんだ。

 陽の光を浴びた朝露のように、儚くも美しいその笑顔は、彼女の心情を繊細に映し出す。


「じゃあとりあえず、回復したらシガケンと服選びデートな」


「さ、櫻子、まさかお前、志賀くんと付き合ってるのか……?」


 終始、優しい兄のような穏やかな印象を漂わせていた優輝は、シガケンの服装に視線を落としながら額に汗を滲ませる。


「いやいやそんな――――」


「お兄さん! 俺、櫻子ちゃんを絶対に幸せにします!」


 すかさず櫻子が激しく首を横に振るも、シガケンが被せて宣誓した。


「なーに調子乗っちゃってんのシガケン。あなたが乗らなあかんのはファッショントレンドやろがいっ!」


 千里はいつもより力を込め、シガケンの胸元を手の甲で叩くと、彼は「だはぁっ」という間抜けな声を上げ、コンビ芸を締め括るのであった。



『厚労省は今後、審議会などで議論し、年内に取りまとめ、来年の通常国会に法案を提出したい考えです』


 テレビの向こう側で、ニュースキャスターが淡々と小難しい言葉を連ねる。

 普段はヨーチューブをBGMとしている千里だが、今日は珍しくテレビを流していた。


『続いてのニュースです』


 テレビを点灯させつつも、スマホでSNSをチェックする千里。

 現代では一般家庭でもよく見られる光景だ。

 櫻子が入院している和歌山の病院を後にし、レンタカーで大阪へと帰った彼女は、ようやく我が家の温もりを堪能できていた。


『警察や消防によりますと、昨夜、和歌山県田辺市、奈良県との県境付近の山林で、大規模な火災が発生しました』


 スマホに向けていた視線が、24V型の小ぶりなテレビに吸い寄せられる。


『昨日の消火活動では鎮火に至らず、今朝は県の消防防災ヘリと、自衛隊のヘリ、合わせて5機が出動し、消火活動を実施。火は概ね消し止められている模様です』


「消火ってそんなに時間かかるんや」


 ピンポーン――――呼び鈴が鳴り渡る。

 反射的に掛け時計を見やると、針は午後九時を指していた。


「ん、いいとこやのに。てか何こんな時間に」


 重い腰を上げ、千里は玄関へ足を向けた。

 人気の無くなったリビングでは、絶えずニュース原稿が淀みなく読み進められる。


『焼け跡からは、小学生と見られる身元不明の男児が遺体で発見されています。その他、火事に巻き込まれた女子大学生が火傷を負い、病院に搬送されましたが、命に別状はありませんでした。火災現場には、複数の人骨が見つかったとのことですが、そのほとんどは風化が著しく、火災に巻き込まれたものではないと見られています。現場には小規模な村があったものの、遺体は見つかっておりません。警察や消防は、詳しい出火原因を調べています』





――――終。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!

【★★★★★】や感想、お待ちしております(∩´∀`)∩

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