第4話-1
銀子が連れ去られて、二週間が経った。警察と銀子のご家族は、公開捜査に踏み切った。その事実は、めぼしい手がかりが見つかっていないことを匂わせた。
僕は、落ち着かぬ毎日を送っていた。頭の中には、常に銀子がいた。けれど、僕は何も出来なかった。すべきことが、何ひとつ思いつかなかった。僕は入試に落ちた受験生みたいに、下を向いて日々を暮らした。だが、変化は確実に始まっていた。僕はそれに気がつかなかった。
学校から帰ると、僕は自分の部屋に飛び込む。大急ぎで私服に着替え、すぐに家を飛び出す。そんなに急がなくても、17時からのバイトには間に合った。でも僕は、この家が嫌だった。この家に、僕の味方はいなかった。一秒でも早く、家から立ち去りたかった。
高校を卒業したら、アメリカに渡るつもりだ。何かあてがあるわけじゃない。でもとにかく、姉のいない場所に行きたかった。この重苦しい、精神的な拷問のような家から脱出するんだ。そのために、働いて金を貯めていた。
隣は、姉の部屋だ。ピシャッとドアの締まった部屋からは、いつも音楽が流れていた。いつも洋楽で、結構なボリュームだった。姉が音楽で、僕の存在を消そうとしてるんだ。僕が生活の中で立てる、様々な物音。その全てを、姉は聴きたくないんだろう。
その夜、範子さんは23時上がりだった。彼女は深夜でも、自転車で家に帰る。帰り道の途中に、こんもりとした雑木林があった。そこは傾斜のきつい林で、木々は坂に斜めに生えていた。丘の上は整地された住宅地だった。プリンにたとえれば、住宅地はシロップの上に建ち、雑木林はプリンの斜面だった。
とはいえ、雑木林は結構な広さがあった。野球場で言えば、四つ分くらい。その林を上と下にに分ける、細い砂利道があった。古くからの道で、通る人はほとんどいなかった。
範子さんが雑木林に差し掛かったとき、珍しく軽トラックがその砂利道へ入っていった。範子さんは、なんとはなしに軽トラを見た。何か変だった。その理由はすぐにわかった。軽トラは、ライトを点けていなかった。
砂利道には、街灯なんて一本もなかった。文字通り暗闇の中を、軽トラは奥へと進んだ。やがて、見えなくなった。その夜は、月が出ていた。運転手は、月明かりを頼りに走っているようだ。そうとしか思えなかった。
範子さんは、自転車から降りた。消えた軽トラの方角を見つめた。気味悪さよりも、好奇心が勝った。軽トラは見えなくなったが、エンジン音は聞こえていた。しかし、やがてその音も止まった。軽トラは、雑木林を通過したのかもしれない。そう思ったとき、林の中に人影が動いた。影は、はっきりとは見えなかった。ただ、月光が林に差し込む中を、不自然にうごめいた。
こんな真夜中に、この雑木林の中を歩く人なんていない。歩いても、薄気味悪いだけのはずだ。でも人影は、チラチラと動き続けた。その人は、急いではいなかった。林のどこかに、目的地があるらしい。のっしのっしと、その人影は歩き続けた。
範子さんはだんだん、背筋が寒くなってきた。この世のものを見ている気がしなくなった。彼女は自転車に乗り、急いで家に帰った。家に着いたらすぐ風呂に入り、湯船に浸かった。寒気は、なかなか去らなかった。
「私、お化けを見たの!」
店に入るなり、範子さんはみんなに説明して回った。その日はウェイターが僕、ウェイトレスが範子さんと温子さん。厨房が、店長と郁美さんだった。通路には、下田さんと片野さんがいてゲームをしていた。片野さんは二浪なのに、勉強している雰囲気がほとんどない。
「お化けだとは、思わないけど・・・」と、温子さん。
「でも、あの道を無灯火で走るって、異常ですね」と、片野さんが言った。
「あそこの地主なんじゃない?」と、店長が言った。iPadで郁美さんにそう説明すると、彼女は笑ってうなずいた。郁美さんはすでに、範子さんから話を聞いていた。
「ほんっとに、怖かったんだから!あの怖さは、見ないとわからないよ!」と、強く訴える範子さん。
「範子が幻を見たんじゃないとすると、・・・」と下田さんが言った。
「幻じゃないっ!」吠える、範子さん。
「目的がわかんないよな。地主だとしても、昼間に用を済ませばいいわけだし」
「でしょ」
「真夜中に、人目を避けて、ですか」と、片野さんが言った。
「あ・・・」と、郁美さんが声を上げた。
「郁美ちゃん、どうした?」郁美さんに優しい、店長。
郁美さんが、iPadに意見を入力した。「えっ!?」と、短く驚く店長。
「どうしたんですか?」と、下田さんが聞いた。
「郁美ちゃんがさ、その人が犯人じゃないかって」と、店長が代弁した。
「犯人って?」おそらく、みんなが同時にそう聞いた。郁美さんが、iPadに入力して店長に見せた。
「犯人が、銀子をそこに埋めたんじゃないかって。バレてないか、真夜中に様子を見に来たんじゃないかって」と、店長が言った。声が少し震えていた。
「ええー・・・?!」
声を上げたのは、範子さんだけだった。他のみんなは、その恐ろしい可能性に言葉を失った。
「あ・・・」と、郁美さんが声を上げた。彼女は、とてもバツが悪そうだった。
「ただの思いつきだから、気にしないでって」と、店長がiPadを読み上げた。
僕は両目を閉じて、その場に立ち尽くした。僕はそのとき、雑木林を歩く人と同化していた。23時ならば、人目につかない。忍び足で、森の中を歩く。まもなく、自分が穴を掘って、人を埋めた場所に到着する。大丈夫だ。辺りの様子は変わりない。誰も、ここには来ていない・・・。
性欲のために、その人は罪を犯した。目的を果たしたあと、銀子は邪魔になった。犯行の夜か、後日に銀子を雑木林に埋める。確かにあそこなら、まず人は立ち入らない。急斜面で歩きづらいし、おまけに結構広い。遺体を隠すには、絶好の場所に思えた。
「あの、僕、明日行って来ます」僕は、居ても立っても居られなかった。なんでもいいから、やってみたかった。
「えっ!?」範子さんと温子さんが、同時に変な声を出した。
「どこへ?」と、片野さんが聞いた。
「もちろん、あの雑木林です。学校の帰りに、行ってきます」と、僕h続けた。
「あ・・・」店長から僕の宣言を聞いて、郁美さんが言った。
「郁美ちゃんが、『何も、そこまでしなくても』って言ってるよ」と、店長が言った。
「もちろん、可能性はほぼゼロかもしれません。でも、放っておけない気がするんです」と、僕はきっぱり言った。「明日、絶対に行きます」
「あなたさ、頑固だよね。前から気がついてたけど」と言って、温子さんが笑った。彼女の笑顔が、その場の緊張感を一気にほぐした。これが、温子さんの魅力だ。
償い。なぜか、そんな言葉が頭に浮かんだ。