第3話−2
店の裏は、お通夜みたいな雰囲気だった。椅子に力なく座る者。立ったまま、冷凍庫や冷蔵庫に寄りかかる者。みんな判を押したように、下を向いていた。パトカーが駐車場に停まっているから、お客さんは一人も入ってこなかった。みんなが押し黙る中、空っぽの店内には害のない映画音楽が流れていた。
「あ・・・」静寂を破ったのは、郁美さんだった。
「何?郁美」すぐさま、範子さんが彼女に駆け寄った。二人は大の親友だった。
「郁美が、下向いてたらダメだって」と、範子さんが郁美さんのメッセージを伝えた。
「まあ、それはわかるけどさ・・・」と、大竹さんが似合わない気弱な調子で答えた。
「最後に、銀子を見たのは自分だからな」と、片野さんは悲しげに言った。
「ねえ、最後って言い方やめようよ」と、温子さんが抗議した。
「いや、最後だろう」と、斉藤さんが醒め切った口ぶりで言った。「この手の犯罪は、獲物を捕えたら即レイプ。終わったら、殺害だ」
「バカ!縁起でもない!」範子さんが、本気で怒った。
「銀子が生きてるとしても、・・・」と、斎藤さんが言いかけた。
「生かしていたら、絶対に人目につくよな」と、大竹さんがため息混じりに言った。
「犯人が、銀子を生かして連れ回してたらいいけど。足手まといになるんじゃねえか」斉藤は、常に現実的だった。
「あ・・・」郁美さんが、手を上げた。範子さんが、彼女を代弁した。
「私たちはさ、思っていた以上に、銀子を可愛がっていたんだと思う。だから、こんなことになってみんな参ってるんだよ。事件解決は、警察に任せるしかない。だけど、できることは、みんなで協力しようよ」
「そうだな。俺たちが落ち込んでたって、事件が解決するわけじゃない」と、店長がやっと口を開いた。
「そりゃ、そうっすね」醒めた斉藤さんも認めた。
「俺、何か手がかりがないか、考えてみるよ」と、片野さんが言った。
「そうだ。みんなそれぞれ、小さなことでもいいから。手がかり、探してみようぜ」と、大竹さんが場をまとめるように言った。
こうして僕たちは、今夜は解散することにした。みんな家に帰り、仕事の人は残った。でも僕は、家に帰れなかった。自分は汚れていて、家に入る資格がないと思った。なぜなら、銀子をさらった犯人は、風呂を覗いた僕と同じだからだ。
僕は家ではなく、多摩川に向かった。川沿いの遊歩道に自転車を停め、土手に下りた。あえて外灯の光が届かない場所を選んで、腰を下ろした。膝を抱え、顔を押しつけた。落ち着こう、と考えた。いや、落ち着くな、と考えた。
僕は、銀子が好きだったわけではない。見知らぬ誰かは、銀子を好きだった。いや、好きですらなかったかもしれない。
好きならば、「好きです。付き合ってください」と、頼めばいい。一か八か、賭けてみればいい。好きならば、真夜中に車に乗せてさらったりしない。ご家族も知らないところへ、連れ去ったりしない。
つまり、性欲のせいなのだ。自分勝手な性欲が、罪を犯すのだ。僕が覗きをしたとき、期待と喜びが罪悪感を軽く上回った。悪いことだけど、我慢出来なかった。そういうことなんだ。僕や犯人の中に住む、性欲。これが罪の源泉なんだ。たまたま、銀子が犠牲になった。姉も犠牲になった・・・。
僕は、下唇を強く噛んだ。そしてさらに、自分の右手で、自分の顎を思い切り殴った。
ゴリッ!
口の中で、不気味な肉の音がした。間髪入れず、下唇に激痛が走った。とんでもない痛みだった。勢いあまって、下唇を噛み切ったかと思った。右手でおそるおそる口触れると、下唇は幸い繋がっていた。血がポタポタとこぼれ落ち、受け止めた手にベットリとついた。傷の痛みに慣れると、僕は手を退けた。口元から顎へ流れる血の感触を味わった。血は顎の先端に集まり、ジーンズの膝に落ちて大きな染みを作った。
これでいい、と僕は思った。あの夜と同じだ。償いには、血が必要だ。