表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀子と僕と自己肯定  作者: まきりょうま
第2話 姉
4/20

第2話 姉−1

 僕が生まれたころ、両親は別れた。僕に記憶は一切ない。母は、僕より二才年上の姉を連れて、家を出て行ったそうだ。僕が物心ついても、父は母と姉の話を全くしなかった。だから僕は、自分は最初から父と二人暮らしなのだと信じた。幼い僕には、父を疑う理由がなかった。僕は、母と姉の存在を知らぬまま成長した。

 小学生に上がり、授業参観や運動会で「おかしい」と気づいた。友達の家には、お母さんがいた。でも、僕にはいない。父と二人の生活を、僕は受け入れてきた。けれど、友だちの母親と接するたびに、居心地の悪さを感じた。

 友達の中には、母子家庭の子もいた。そんな友だちを見ると、僕の考えは振り出しに戻った。僕と父は二人暮らしだ。母親はいない。なぜかはわからないけど、おかしいわけじゃない。

 父は、ごく平凡なサラリーマンだった。父の会社は、アルミを扱う金属メーカーだった。父が転勤をして、僕は小学三年から五年までジャカルタで暮らした。父の仕事は、順調なようだった。でも、いつも家にいなかった。僕が目覚める前に出勤し、帰宅は深夜だった。

 ジャカルタでは、僕は家に閉じこもって過ごした。日本人は周りはたくさんいたけれど、僕は友だちを作らないようにした。成長するにつれて、他人の家庭を見るのが愉快でなくなってきた。身の回りのことは、華僑の家政婦が見てくれた。僕の性格は、ジャカルタでの静かな生活によって形成された。


 僕の自宅は、東京都西部の平凡な家だった、二階建で、一階にダイニング・ルームがあり、奥に父の書斎と寝室があった。二階は二部屋、明らかに子供部屋だった。後から考えればおかしな話だ。父と僕に、この家は広すぎた。父が会社に出かけると、早朝から真夜中まで僕がこの家を独占した。チャンネル争いも、メインディッシュの取り合いも、お風呂の順番も、トイレに困ることもなかった。

 僕は小学一年から、自分で朝食を作った。パンを焼いて、マーガリンを塗り、ジャムを塗り、サラダやハムを挟み、サンドウィッチにした。一人で作って、一人で食べた。ジャカルタから日本に戻ると、僕はカレーやスープを自分で作るようになった。日本では家政婦がいなかったから、僕はそれなりに自活した。昼食は、蕎麦かうどん。冬になると、スーパーで売っている小さな鍋セットをよく食べた。

 僕は、漫画少年だった。自分で作品を考え、厚紙にインクで絵を描いて仕上げた。単に絵柄だけでなく、コマ割りや1ページごとの完成度にこだわった。僕の夢は、「週刊少年ジャンプ」で連載を持つことだった。ジャンプが募集する、懸賞に何度も応募した。中学では漫画クラブに入って、作品を作り続けた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ