第7話-2
銀子は、とんでもなく明るい女の子だった。
「あなたのことね、みんなで『銀子』って呼んでるんだよ」と、範子さんが説明した。
「ゲゲー。何それー、ヤバイって。さいあくー。イタ過ぎー!」そう言って、銀子はカラカラと笑った。「お姉さんたち、わたしのセンスがわかんないでしょ?」
「ごめん。わかんない」と、温子さんが吹き出しながら答えた。
「待ってて!そのうち、わたしの時代が来るから。わたしのヘアーカラーの時代が来るから。カラカラカラ(笑)」
「いや、それはねーだろ」と、斉藤さんが口を挟んだ。
「普通の人はね。でも、流行の最先端は、わたしのセンスになるの!」
今の銀子は、髪を真っ黒に染めている。中学校に復帰したからだ。彼女はあんなに怖い思いをしたのに、僕たちに笑顔を振りまいてくれた。すごいことだと思う。彼女は意外にも、すごく強い女の子だった。
銀子はみんなと同じように、冷蔵庫と冷凍庫の前に座った。朝学校に行くために、銀子は夜遅くまでいられなくなった。アメリカンさんとブルさんは、店に来なくなった。だがら、店のみんなが彼女の話し相手を務めた。部外者が店の裏に入るのを、店長は許してくれた。銀子はほぼ毎日店に来て、21時くらいに家に帰った。
「わたし、高校に入ったら、ここでバイトするね」と、銀子は言った。
「その前に、高校に受かんないと。大丈夫?」と僕は聞いた。
「それ、言わないでー!」と叫んで、銀子はカラカラカラと笑った。
「進が、勉強教えてあげなよ」と、範子さんが僕に振った。
「えええーっ!?」
「いいじゃん。私はもう無理。中学の数学とか理科とか忘れたし」と、範子さん。
「ええーっ!?」僕は、正直言って呆れた。
「私も、忘れた」と、優しい温子さんが共犯になった。
バイトに入っていない日は、僕が銀子を家まで送った。帰り道、自転車で並んで走りながら、僕らはいろんな話をした。僕は自分の秘密を、銀子に明かした。
「僕もさ、母親と上手くいってないんだ。母親は僕が生まれたときに出て行って、二年前に家に帰ってきた。実の母親なんだけど、他人にしか思えないんだよ。だから、口も聞かない関係になってる」と、僕は説明した。
「ふーん」と、銀子があいづちを打った。彼女は、何か考えている様子だった。
僕は思い切って、あのことを打ち明けた。実の姉を好きになり、お風呂を覗いたことを。父に見つかって、それ以来家族全員と話せなくなったことを。銀子は驚いていたけど、黙って話を聞いてくれた。
なぜ僕は、自分の罪を銀子に話せたのだろう?それは、銀子への特別な想いのせいかもしれない。愛情ではないけれど、銀子には家族よりも親密さを抱いていた。僕の勝手な願いだけれど、彼女なら僕のつらさをわかってくれると思った。その通りだった。僕と銀子は、とても親しくなった。
銀子の住む団地に到着する。団地内は自転車通行禁止なので、僕らは自転車を降りる。銀子と並んで、自転車を押しながらゆっくり歩く。
「なんかさあ」と、銀子が言った。
「うん。なあに?」
「悲しいことって、どうしようもないよね?」
「そうだね」僕は、姉のことを考えた。
「でもね。悲しいことばかりじゃないと思う」と、銀子はきっぱり言った。
「えっ!?」僕は、隣にいる少女が中学生だと思えなくなった。
「だってさ。本当に悪い人っていないんだよ?」
「ええ?」僕は、銀子の言葉がよくわからなかった。
「誘拐されたときね」と、銀子はゆっくりしゃべった。
「うん」
「最初はね、毎日取っ組み合いのケンカだったの」
「犯人と戦ったの?」僕は、たまげた。
「もう、殴り合い」と言って、銀子はカラカラと笑った。「そのときにね、身体中傷だらけ、アザだらけになっちゃった。でも意外に、暴力は振るわれてないんだよ」
「そうだったの?」
「二人とも、実は優しくてね。あーちゃんってね、あのゴツい人だけど。みんなが来てくれた日、松本の餃子を買って来てくれる約束だったの。前の晩、あーちゃんが松本の餃子の美味しい店の話をしてくれてね。『じゃあ、明日買って来てよ』って頼んだの、わたしが。餃子、食べれなかったな・・・」
「そうだったんだ・・・」
「あの、誤解しないでね。みんなが助けに来てくれたのは、ものすごく感謝してるよ。でもね。わたしが言いたいのは、悲しいことばかりじゃないってこと」
「うん・・・」
「マツキチくん。あ、わたしを誘拐した松木さんね。毎週、都内の有名店のデザートを何個も買って来るの。『美味しいけど、太るから要らない!』って、断ってた」
「うーん」
「みんなね、あーちゃんとマツキチくんを悪く言うけど、そればっかりじゃないの。もちろんヤラシイけど」
「うん」
「美味しい食べ物の話をするとき、あの二人は本当に楽しそうに話すの。しかもね、話した後に本物を買ってくるの。それでね。私がさ、『美味しい!』って言って食べるとさ、さらに幸せそうな顔するの」
「そうだったんだ」
「わたしは思うの。あの二人は、女の子と仲良くしたかっただけだって。でも女の子に相手にされなくて、わたしをさらったんだって。だって、二人ともブサイクだからね」
「うん」
「ヤラシイ目的だけで、誘拐したんじゃないの。誰か女の子が、自分のそばにいてほしかっただけ。寂しかっただけ」
「・・・」
「だからさ。本当に悪い人なんていないの。ただ、ヤラシイだけ」
僕は、思わず立ち止まった。そうか、僕は、僕は姉に近づきたかったんだ・・・。本当の目的は、それだけだったんだ。姉は同じ家にいる。でも、近づくことは困難だった。近づいちゃ、行けない人だった・・・。
「樹里ちゃん」僕はハッとして、銀子に話しかけた。足を止めて、彼女をまじまじと見た。
「なに?」銀子は、なぜかニコニコ笑っていた。僕は、自分が見透かされてる気がした。
「樹里ちゃんさ。僕を、必死に慰めようとしてるでしょ?」
「えっ!?。まっさか〜」
「本当に?」
「できないよ、そんなの。慰めるとか・・・。ムリムリ」と、銀子は言った。嘘ではないようだった。
でも、銀子は僕を慰めた。彼女は、本音で話しただけだ。でも、彼女の本音は、僕や犯人たちや、その他多くの人を慰めてくれた。あなたは、悪い人じゃないよ。ヤラシイだけだよ・・。
「君って実は、ものすごく大人だよね?」
「えっへー。そんなことないじゃん」と答えたが、銀子は得意そうな顔で僕を見た。「進ちゃんに、そう言われるのは嬉しいな」
「ホント?」と、僕は聞いた。
「ホント」と、銀子は答えた。「なんかさ、進ちゃんと話してると楽しいよ」
「僕と!?」驚いて、僕は聞いた。
「そうだよ」と、銀子は堂々と答えた。「よく言われない?」
「ないよ、全然ない」と僕は少しうろたえて答えた。でもそのうち、銀子の作戦がわかって来た。くっそー。やられた。僕は一人で、笑ってしまった。
「どうしたの?」と、銀子が聞いた。
「今度は僕をおだててるでしょ?」
「まっさか〜」彼女は、いつもこの調子なのだ。
銀子の家に着いた。玄関のドアの前で、銀子が振り返った。
「じゃあね。また、明日」と、銀子は言って手を振った。
「じゃあね。また、明日」と、僕も手を振った。
親しい人と、「また、明日」と言えることほど幸せなことはない。




