第1話 銀子 - 2
ファミレスの深夜は、暇だと思うだろう。残念ながら、それは間違いだ。24時間営業のファミレスは、深夜にありとあらゆる食材が届く。冷凍食品から、肉類、野菜、フルーツ、パン類、各種ジュース、各種アルコール類、・・・。要するに、夜中のうちに補給しておくわけだ。補給して、明日の営業に備える。
深夜勤務のアルバイトは、通常の業務をこなしながら大量の納品に対応する。
「フライドポテト、xx袋、冷凍牛肉、vvKG、・・・」といったいった調子だ。
店内にある厨房は、お客さんから見えない。わずかに見えるのは、厨房の端にあるアルコールの各ボンベだけだ。その厨房から壁を隔てた奥に通路があり、そこに巨大な冷凍庫、冷蔵庫がズラリと並んでいる。食材納品の際は、主にこの通路で働くことになる。
この店では、深夜勤務はウェイターひとり、厨房ひとりである。二人で食材の納品対応はつらい。それでいつのまにか、勤務を終えたアルバイトが店に残るようになった。無償で、納品の手伝いをしてあげるのだ。24時に、深夜勤務者が出勤してくる。大竹さんか斉藤さんか、僕が店に残る。
大竹さんも斉藤さんも、自分が深夜勤務のとき誰かに手伝ってもらっている。だから、その恩返しをする。僕は僕で、家に帰らずに済む。こうして、この店は上手く回っていた。
無償の手伝いには、大きな理由があった。冷蔵庫・冷凍庫前の通路が、若者の溜まり場となっていたのだ。勤務の予定がない者が、昼間深夜問わず店に顔を出す。通路に小さな丸椅子を並べ、朝も晩も若者らしいバカ話をしていた。この通路にいると、僕らは孤独感を忘れることができた。この店の存在は、僕らにとってとても大きかった。
「ねえ。銀子、また痩せたよね?」範子さんが、僕にそう言った。
「そうですか?」
「痩せたよ」範子さんは、力を込めた。
銀子は、もともと痩せていた。おかっぱ頭に面長の顔、一重の目、小さな口。鼻筋はすらっとしていたが、全体的にとても地味だった。彼女はいつも、グレーのスウェット地の上着を着ていた。胸には、黄色いひよこがプリントされていた。着古して、あちこちがほつれていた。下はたいてい、ベージュのフレアスカート。彼女はあまり裕福ではないようだ。
「俺も、痩せたと思う」と、斎藤さんが同意した。
「そうでしょ!」範子さんは、賛同者が現れて目をキラキラさせた。
「ヤリすぎだな、多分」と、斎藤さんは続けた。彼は、ニヤニヤしていた。
「バカッ」範子さんが、ティッシュの箱を投げつけた。でも、斎藤さんは余裕で避けた。
斎藤さんは、皮肉屋だった。下ネタを混ぜて、範子さんをからかうのが好きらしい。二人は店内で、いつもケンカしていた。
「いつもの話に戻るけど、銀子は学校行ってないね」と、大竹さんが醒めた調子で言った。
「あの髪じゃ、学校は許しませんよね」と、僕は同意した。
「昼間、働いてんのかな?」大竹さん。
「あの髪で、許してくれる職場だよね。かなり、限られるよね」と、範子さんは言った。
僕たちは今、お客さんから見えない場所にいた。僕と範子さんはアルコールのボンベの前に立ち、厨房を向いていた。大竹さんと斎藤さんは、厨房のコンロやレンジから離れて、僕たちのそばに立っていた。四人は額を合わせて、小声で話し合った。
呼び出しブザーが鳴れば、出て行けばいい。それに厨房には、店内を四方から撮影するモニターがあった。不審者は、それでチェックすればいい。僕らはこうして、店をほったらかしにしてダベっていた。新たな仲間が来れば、冷凍庫・冷蔵庫前の通路に移動する。丸椅子に座って、際限なく話し合う。もちろん、食材の納品をこなしながら。
「おはよう」と言って、裏口のドアから下田さんが入ってきた。
「おはようございます!」みんなが丁寧に、下田さんに挨拶した。24時間営業の店は、深夜も「おはよう」と挨拶するルールになっている。
下田さんは今年の春、電話会社最大手に就職した。今は就職氷河期だけれど、下田さんは超難関国立大生だった。だから、引く手数多だったそうだ。彼は、コロコロと太っていた。それから、とても優しい目をしていた。同じ巨漢でも、ラグビー選手の斎藤さんとは大違いだった。斎藤さんの目は、いつも冷ややかな光を放っていた。
下田さんは典型的なゲーマーで、休日はトイレ以外モニターの前から動くことはないそうだ。冷蔵庫、電子レンジ、コーヒー・メイカー、空気清浄機、・・・。みんな、手の届くところにあると言う。それから灰皿も。彼は、最近珍しくなったヘビー・スモーカーだった。
下田さんが来たので、僕らは冷凍庫・冷蔵庫前の通路に移動した。本格的な夜の始まりだ。もう、誰も店内を見ていない。椅子を並べて、おしゃべりを始める。23時30分を過ぎたけど、範子さんはウェイトレスの格好のままだった。
下田さんは入社してすぐ、電話会社の子会社に出向していた。電話業務に関係なく、あらゆる分野のシステムの仕事を受けいている。業務は激務だそうだ。彼はひとしきり、仕事内容と会社と先輩の悪口を話したところだった。それから彼は、大ニュースについて語り始めた。