第5話-1
この街には、有名な歓楽街がある。銀子の友達の職場は、そこにあった。町内に圧倒的な人脈を持つ範子さんは、ずいぶん前から知っていたそうだ。でもみんなには、あえて黙っていた。
銀子の友達一人目は、通称「アメリカン(僕たちがつけたあだ名だ)」。見事な金髪で、しかも顔立ちが明らかにハーフだった。鼻は高く、彫りは深く、日本人離れしていた。彼女はスタイルもよくて、僕たちの間で人気だった。
もう一人は、通称ブル(ブルドックのことだ)。彼女はずんぐりむっくりな体系で、熊みたいな顔をしていた。髪はピンクで、いつも派手なお化粧していた。典型的な、「アメリカン」の引き立て役だった。
僕と範子さん、郁美さんは、最寄りの駅に16時に待ち合わせた。昨日は雑木林で、今日は色と欲の世界だ。残念ながら、温子さんは17時からバイトだった。
学生服の僕、女子大生二人。歓楽街がまったく似合わないグループだ。そう思ったら、ホストクラブの前に100インチ近いモニターがあった。
「僕は、翼と言います。貴女の夢を、必ず叶えてみせます」。アイドル顔の男が、モニターの中で熱く語っていた。バカバカしいなと思ったら、女性陣はモニターに釘付けだった。
「翼くん、癒されるわー」範子さんも郁美さんも、しばらく目が❤️マークだった。なるほど。女性だって、この歓楽街に縁があるんだ。
「お兄さん、お風呂どう?」
学生服で女性連れの僕に、客引きが声をかけてきた。まったく、本気なのか、ふざけているのか。
「これこれ。このお店。この店名で間違いない」範子さんが立ち止まって言った。
目の前に、八階建のビルがあった。巨大な看板が道にせりだし、スナックと思われる店がたくさん書かれていた。でも、範子さんが指差した看板は、一風変わっていた。なぜなら、「ニューハーフ・バー」と書かれていたからだ。
「えっ!?」僕は、思わず固まった。
「銀子の友達はね、二人とも男なの。私と郁美は知ってたけど、男の人が『アメリカンが綺麗だ』とか言ってるから、ずっと黙ってたの」
僕は、確かに驚いた。驚いたけれど、気を沈めようと努めた。銀子の友達が、男だろうが女だろうが関係ないじゃないか。話ができればいいのだ。
「じゃ、行ってきて」と、範子さんが言った。
「えっ?」僕は、もっと驚いた。
「私と郁美は、ここで待ってるから」
「ええっ!?」
「この通り怖いからさ、早く帰ってきてね」範子さんは、テンポよくそう言った。
「・・・」僕はてっきり、範子さんが話を聞いて来てくれると思っていた。まさか、学生服の自分に出番が来るとは。
「大丈夫?」と、範子さんがちょっと不安そうに聞いた。
「まあ、なんとか・・・」僕は、肩を落として歩き出した
店は二階にあった。外の階段を上がり、入り口のドアの前に立った。店名は、“オネスティー”だった。
「失礼しまーす」二回ノックして、ドアを開けた。店内は広かったが、人でごった返していた。派手な衣装の女性(男性)陣が、ワアワア言いながら右往左往している。いかにも、開店準備の最中だった。真っ黒に壁に、クリスマスのような飾り付け。
「このくそガキ!何しにきたあ!」
黒いスーツを着た、いかにもボーイさんに怒鳴られた。僕は震え上がった。しかし、手ぶらでは帰れない。僕は、店内に突入した。
「すみません。あのー、や、山根樹里さん(銀子の本名)の件で、お話を、・・・」
「何ブツブツ言ってんだ。今すぐ消えろ!消えねえと、血い見るぞ」
ボーイさんに怒りは、さらに激しくなった。彼は背の高い人で、のっしのっしと僕に向かって歩いてきた。僕は目を閉じた。二、三発は覚悟した。
「坊やー!?」そう言いながら、店の奥から二人が現れた。アメリカンさんとブルさんだった。二人はお化粧前で、まだ男の顔だった。
「ごめん。許してー。行きつけの店のウェイターなの」アメリカンさんが、ボーイさんに謝った。
「ね、許して。ちょっと、話させて」と、ブルさんも言った。ボーイさんは意外なほど、あっさりと引き下がった。二人はこの店で、そこそこ発言力があるようだ。
「まだ開店まで、時間あるから。客席に座って」アメリカンさんがそう言って、席を進めた。ブルさんが、三人分のコーラを運んできた。
「ごめんね。樹里のことで、お店に迷惑かけて」席につくと、まずアメリカンさんがそう言った。
「いいえ、大丈夫です」と僕は答えた。
「売上ガタ落ちなんだってね。ホントごめん」と、ブルさんも言った。
「いえいえ」
「樹里の霊が出るって、噂になってるでしょ」と、アメリカンさんが言った。
「えっ?本当ですか?」僕はびっくりした。銀子の霊!??
「知らないの?みんな怖がってるよ。あなたの店、まもなく閉店するんだよね?」
「えっ?そう、なんですか?・・・」僕らの知らないところで、とんでもない話になっているようだ。
「とにかく、わざわざ店まで来てくれてありがとう。あれ以来、お店行けなくてさ。今日は、坊やに会えて嬉しいよ」ブルさんは僕の両手を握り、自分の頬に引き寄せながらしみじみと言った。
「でも、どうしたの、わざわざ?」アメリカンさんは、僕の目を覗きこんだ。
「樹里さんの事件を調べてるんです」と、僕は言った。「店の仲間も、協力してくれてます」
「ホントにー?!」
「すっごーい!」こんな話し方をすると、二人はまるっきり女性だった。
「そこで、お願いがあるんです」
「うん」二人は、同時にうなずいた。
「どうしても教えてほしいことがあって、お店まできちゃいました」と、僕は事情を説明した。「事件が起きたときのことを、もう一度話してくれませんか?」
「なるほど、そう言うことね」と、アメリカンさんは落ち着いて答えた。「いいよ」
「その話なら、散々警察にしたよ」と、ブルさんが疲れた様子で言った。長時間、事情聴取を受けたのかもしれない。
「それは、そうなんですけど」と、僕は宥めるように言った。「警察は所詮、普段の樹里さんを知らない。普段のお二人のことも知らない」
「ふうむ」アメリカンさんが、鼻を鳴らした。
「あの店のことも知らない。店を知ってるのは、僕たちです」と、僕は言った。
「坊や。あなた、宗教の勧誘員みたいだよ」と、ブルさんが少し呆れて言った。
「そうかもしれません」と、僕は言った。「ただ僕は、いや店の仲間たちは、樹里さんに親近感を持ってます。とても強く。こんなことになって、他人事とは思えないんです。何かしたいんです。店の仲間たちも、みんな同じ気持ちです」僕は顔を上げて、二人の目を交互に覗き込んだ。こんな話をするときは、相手の目を見つめなくちゃいけないと思ったからだ。
「そんなに・・・」アメリカンさんが、ちょっと驚いていた。「そんな・・・、信じられないくらい、ありがたい話だね」
「そこまで、言うなら・・・」とブルさんが言った。
「わかった。いいよ」と、アメリカンさんが言った。
「ちょっとずつ、確認していきたいんです。まず、あの夜店を出るときなんですが」
「うん」アメリカンさんは、身を乗り出して聞いてくれた。
「まず、樹里さんが先に店を出た。お二人は、期限切れのクーポンが使えないか、レジで聞きましたね」
「そうそう」と、ブルさん。
「ダメもとでね」と、アメリカンさん。
「一方樹里さんは、店を出て駐車場にいた。樹里さんは、お二人を待つつもりだったんですか?それとも、帰る予定でしたか?」
「樹里は、すぐ帰るはずだったの」と、ブルさんが言った。
「あのね、お父さんの弟さんがいてね。〇〇駅のそばに、住んでるんだけど」と、アメリカンさんが話し始めた。「その弟さん、樹里から見たらおじさんね、樹里が学校行ってないことを、すごく怒っててね」初めて聞く事実だった。〇〇駅なら、ここから二駅だ。
「そのおじさんはさ。樹里が、私たちと付き合ってるのも怒ってるんだ」と、ブルさんが説明した。
「おじさんが樹里に家に来ては、家族全員に説教するんだってさ。だから樹里は、当分の間は早く帰るって話だったの」と、アメリカンさんが言った。
「でも、店を出たのは2時でしたよね?」と、僕は聞いた。
「やっぱりさ。そうは言っても、帰りたくないじゃん。つい、遅くなったの」と、ブルさんが言い訳っぽく言った。
「だからね。坊やの質問に答えると、樹里はさっさと帰るはずだったの」と、アメリカンさん。
「でも私たちが店を出たら、樹里が車に連れ込まれるところだった」と言って、ブルさんがため息をついた。
「私たちはね、『おじさんが来たか』って思ったわけ。樹里がここに毎晩いることは、家族も知ってたから。おじさんが、迎えに来てもおかしくなかった。だから私たち、思い込んじゃったんだよね」と、アメリカンさんは説明した。
「犯人の顔は、見てないんですか?」
「全然!」と、二人声をそろえて答えた。「まったく!」
「私たちが見たのは、車に樹里が乗る瞬間だけ!車に乗ってた人は見てない」と、ブルさんが言った。
「うーん。そうですか・・・」僕は下を向いた。これでは、突破口が何もない。
「ごめんね。役に立たなくて」と、アメリカンさんがすまなそうに言った。
「でもね。私たちにとっても、一瞬だったの」と、ブルさんが付け加えた。
「あのー、車のことで、何か覚えてませんか?」ほんの思いつきで、僕はそう聞いてみた。
「ごめん。私、車もわかんないの」と、アメリカンさんが言った。
「私も。全然興味ない。どの会社のなんて車か、まったくわかんない」と、ブルさんも言った。
「・・・そうですか・・・」僕は、ほぼ諦めかけた。
「しいてあげれば・・・」と、アメリカンさんが言った。「坊や。ペンとノートある?」
「はい?」
僕はカバンから、ノートとシャープペンを出した。両方とも、アメリカンさんに渡した。それから、消しゴムも彼女に差し出した。
「うーん」うなりながら、アメリカンさんはノートに何か書き始めた。
「ああ」とブルさんが応じた。「それ、ライトだね」
「そう」
ほんの一、二分で、アメリカンさんは1ページいっぱいに絵を描いた。その絵は、平べったい“目”の字の中に、Sが斜め横になったような図だった。
「これが、犯人の車のライト」と、アメリカンさんが言った。「反対側は、こう」反対は、Sが逆に倒れていた。
「確かに、こんな感じだった」と、ブルさんも言った。
「このライトのことは、警察は知ってます?」
「話してないよ」と、アメリカンさん。「今、思い出したから」
「ありがとうございます」僕は、二人にお礼を言った。




