9話 ただの雇い主と従業員のまま
レオンと暮らすようになってもうすぐひと月。
初めてレオンよりも早起きできました。
今こそ、ここ数日レティシアおばさまに習っていた料理の成果を見せるとき。
魔法の小型保冷庫から牛乳を出して鍋に入れ、かまどに火を入れます。
焦げ付いてしまうから弱火で、と何回も練習させてもらいました。
牛乳を温めている間に、村長さんからおすそ分けでもらったたまごを焼きます。小さな器で溶いて牛乳とスパイスを少し混ぜておく。
フライパンを温めてバターをとかし、塩を少々振ります。
たまごを流し込んで、火加減をみつつかき混ぜます。
ちょっと焦げ目がついてしまったけど、初めて一人で作ったにしてはうまくできたと思います。
ひとかけ小皿にとって食べてみたら、ほどよい味。
牛乳も温まったので火からおろしてカップに注ぎます。
「ワンワン!」
「おはよう、ジョン。いい朝ね」
ジョンも起きてきました。私の足元をぐるぐるまわって、レオンのベッドに飛び乗っています。
「レオン、起きて。朝よ」
ジョンにベロベロと頬を舐められて、レオンが飛び起きました。
「わかった、起きる! 起きるからやめろジョン……って、ゲルダが俺より先に起きてる!?」
「おはようレオン」
おばけでも見たかのような驚きよう。目を大きく開いたまま私を見ています。
「きょ、今日は雪でも降るのか」
「朝食を作るために早起きしたの」
「ゲルダが、料理?」
レオンは呆然としたまま起きてきて、テーブルを見てまた固まりました。
いちいち反応が失礼よ。
ホットミルクを一口飲んで、スクランブルエッグをスプーンで一口すくって一言目の感想はこれ。
「食べられる。普通の料理だ」
「他に言うことはないの」
ええ、ここに来るまで洗濯もまともにできなかった私ですから、料理ができないと思われていたし、実際今日までずっとレオンが作っていました。
でもこの反応は失礼すぎない?
「パンは買ってあるものだけど、ホットミルクとスクランブルエッグは私が作ったのよ。食材の無駄だなんて言わせないんだから」
「悪かった」
と言っても作れるのはホットミルクとスクランブルエッグだけ。レパートリーを増やすには、おばさまたちに教えてもらわないと。
「さ、食べたらお仕事をがんばりましょう」
最近ではだいぶ体力がついてきて、わらを運ぶのにも余裕が出てきました。
レオンの仕事を観察して取り入れた結果、力加減や効率のいい運び方も身について来たんです。
メイちゃんたちも私に慣れてくれて、撫でると気持ちよさそうに啼きます。
朝の搾乳を終えて時間が余っていたので、レオンが言い出しました。
「そろそろ冬毛に生え変わるから、ブラッシングしてやろうか」
「犬や猫だけでなく、牛にも冬毛というのがあるのね」
一見大工が使う糸ノコギリですが、家畜用ブラシです。屋敷の厩務員が馬の手入れをするところを見学したことがあって、その時同じようなものを使っていました。
「よしよし。おとなしくしていてね」
「毛の流れにそって前から後ろにブラシをかけるんだ。逆立てると痛がるから気をつけろよ」
「はい」
レオンに言われるままメイちゃんたちの毛皮を撫で、古い毛を落としていきます。毛づやが良くなってみんな嬉しそう。
「ここまで牛たちが慣れてきたら、搾乳もできそうだな」
「本当?」
「そんなことで嘘ついてどうする」
そんなわけで、夕方は搾乳も教えてもらえることになりました。
洗濯をして服とシーツを干して、ひと仕事終えたら休憩です。
集会所で勉強会の支度をしていると、木彫りを生業としているマックスおじさまが瓶を一つくれました。
丸太みたいに太い腕で可愛らしい細工物を彫る、とても意外です。
「ゲルダちゃん、これ、山ブドウのジャム。うちの母ちゃんがたくさん作ったからレオンと一緒に食べな」
「ありがとうございます」
濃い紫色のジャムは、まだ瓶が温かいです。山ブドウって、山を彷徨っているときに食べました。あの日の、例えようのない苦味を思い出してしまいました。
「この前、山に成っているのを食べたら渋かったです。ジャムになるんですね」
「ガハハ。そりゃ、ノブドウの方を食ったな。見た目が似てるがありゃ不味くて食えたもんじゃない。素人はよく間違えるんだ」
「どうりで……」
いただいたジャムはちゃんと山ブドウで作られていたのでとっても美味しかったです。
ジャムを塗ったパンだと、レオンもいつもより食が進んでいるように見えます。
もしかしてジャムが好きなんでしょうか。今度レティシアおばさまに聞いてりんごジャムを作ってみましょう。
同じ家で暮らしているから、だんだんとレオンの食の好みも把握できるようになってきました。
けれど私たちは村の人たちが想像するような夫婦ではなく、ただの雇い主と従業員のまま。
同じ部屋で寝ているけれど恋仲になるわけでもなく、ただただ同居人です。
いつかレオンが本当に奥さんをもらう日がくるとき、私は出ていかなければなりません。
恋仲でない相手だとしても、夫が歳近い女と同居していたら嫌でしょう?
ただ、そんな日が来てほしくないような、そんな気持ちがわいてきます。
命を助けてくれたレオンには返しきれない恩があります。
レオンに幸せになってほしい。
牛たちを大切にしてくれるお嫁さんを迎えることがレオンの幸せなら、それを歓迎すべきです。
それに、心を込めて動物を育てるレオンです。夫としても父としても、家族を大切にするのは想像できました。
夫婦として隣にいるのが、私ならいいのに。なんて。一瞬考えてしまって、すぐその考えを振り払いました。