8話 いつも全力で頑張りすぎるから。
翌日から、私は仕事のない昼間は文字の授業をするようになりました。
村の集会所を借りて、これまで使われていたなかった黒板を活用します。
みんなの手元には廃材で作った簡易黒板を配りました。
私たちの暮らすこのハイデルベルク王国は、どの領地においてもハイデル語を使っています。異国との取引をするのでないなら、ハイデル文字を学ぶだけで事足ります。
「まず自分の名前を書けるようになりましょう。ハイデル語の文章は三十の文字からなります。A、B、C……」
基本の文字を書き連ねて、みんなの名前のつづりを書きます。
「私ならGerdaでゲルダ、ロリーナおばあさまなら、Lorina」
「ふふふ、まさかこの年になって自分の名前を書けるようになるなんて思わなかったよ。学校ってこんな感じなのかねぇ」
ロリーナおばあさまはまなじりをさげて、何度も手元の板に自分の名前を書きます。
板はチョークで真っ白になっていく。
ロリーナおばあさまだけではなく、レティシアおばさまやウード村長、レオンや村の人たちも文字を覚えようと、真剣に板書しています。
「知識は身を守る武器になりますから、覚えておいて損はありません。文字を読めるようになれば、無茶な契約を持ちかけられたときも「断る!」って言えるんです」
三十分ほどの授業が終わったらお洗濯をして、夕方の仕事に備えて眠ります。
レオンが作ってくれたごはんを食べて牛の世話をして、翌朝また牛の世話をして授業をして。
空いた時間にはどうしたら文字を覚えやすいか授業内容を考えます。
毎日めまぐるしく過ぎていきます。
そして村に来て半月ほど経った朝。
私は熱を出してしまいました。
寒気と頭痛がひどくて起き上がることができません。
さすがにレオンも、この状態で無理に起きろとは言いませんでした。
「ごめんなさい……。お仕事、あるのに」
「謝らなくていいから大人しく寝てろ。起きられるようになってからでいいからこれも食べておけよ」
「……はい」
私たちの仕事は生き物相手。レオンは仕事を休むわけにはいかないのです。
枕元のローテーブルに小ぶりの器が置かれていて、すりおろしのりんごが入っています。
パンのようなかたいものを食べられそうにないから、ありがたいです。
家を出ようとするレオンの背中を見て、なんだか寂しくなってしまいます。
ひとりで留守番をすることなんて、初めてじゃないのに。
私はこんなに寂しがりやだったかしら。
うとうとしていると、ノックの音が聞こえてゆっくり扉が開かれました。
「体調はどうだね、ゲルダちゃん」
「おば、さま」
「レオンに看病を頼まれたからね。朝は何か食べたかい?」
横になったまま首を左右にふると、おばさまはやっぱり、と小さく言って持ってきたかごからりんごを取り出しました。
「食べやすいように小さく切ってあげようね。うちのりんごは栄養があるから、風邪だってすーぐ治っちゃうんだから」
りんごを回しながら、果物ナイフで器用に皮をむいていきます。切り分けたものをお皿に乗せて、小さなピックを刺してくれました。
上半身だけ起こして一切れいただきます。
蜜がたっぷりで甘くて、涙が出てきてしまう。
「おいしい、です」
「体が冷えないよう、ホットミルクもいれようね。キッチンを借りるよ」
こんなふうに甲斐甲斐しく世話を焼いてもらえるなんて、いいんでしょうか。
お給料が出るわけではないのに。
お優しいです。
「めいわく、かけて、ごめんなさい」
「迷惑だなんて思っちゃいないわよぉ。困ったときはお互い様なんだから。ゲルダちゃんはちょっと肩の力を抜くことを覚えたほうがいいわね」
おばさまはカップにホットミルクを入れてきてくれて、私の背中をゆっくり撫でます。
ハチミツが入っていて、ほんのり甘くて美味しいです。
「村に来てからずっと肩肘張って全力だったでしょ。仕事も、あたしらに文字を教えてくれるのも嬉しいけどさ、ちっとは休めって神さまが言ってんのさ」
「そうでしょうか」
村のみんなに比べたら、私は体力がないし、足を引っ張ることが多いと思います。
もっと、役に立ちたいのに。
一日でも早くきちんと仕事ができるようになりたいのに。
「あたしら農作業に慣れた大人だって常に全力でいたら疲れちまう。仕事するのが初めてのゲルダちゃんなら、なお疲れるだろうさ。だから、ちゃんと休めるときに休む方法も学んでおきなね」
「……はい」
りんごとホットミルクをいただいて、眠くなってきました。
「レオンが戻ってくるまでここにいてあげるから、ゆっくりおやすみ」
「ありがとう、ございます」
どれくらい眠っていたでしょう。目を覚ますと、窓の隙間から夕やけがさしていました。
「起きたか。調子はどうだ」
すぐ横でレオンの声がしました。
「朝よりは、いいわ」
ゆっくり寝たからか、痛かった頭もスッキリしています。
「食べられそうなら食え」
レオンが運んできてくれたのはパンのミルク粥です。
「前にも、出してくれたことがあったわね」
「俺が熱を出すといつもおふくろが作ってくれていたんだ。おふくろほどうまくは作れないけどな」
ぶっきらぼうな物言いですが、これがレオンです。
「ありがとう。レティシアおばさまに看病も、頼んでくれていたんでしょう」
「俺が留守の間に悪化されたら困るから。それだけだ。とっとと回復してもらわないと仕事がまわらない」
「ふーん」
言い訳を用意しているけど、レオンの顔はほんのり赤いです。
まったく。素直じゃない同居人ですね。
おかげさまで、翌朝にはすっかり元気になっていました。
おばさまにも言われましたし、無理しすぎないよう、息抜きを覚えながらがんばりましょう。
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