最終話 元公爵令嬢ゲルダ、スパルタ農夫の妻になる。
平手が飛んできました。
左の頬がジンと痛みます。
「ゲルトルート! ただの庶民に反射魔法が使えるものか。村人に要らぬ知識まで植え付けて。お前が余計なことさえしなければ従順な飼い犬のままだったのに!」
「エンデ村のみんなは心を持った人間よ! 勉強したいと願っても叶わなかったのは、あなた達領主一族がやるべきことをしなかった結果じゃない!」
私も怒りに任せて叫ぶ。
クリストフが私の両肩を掴む。
痕がつきそうなほど強く、きつく。瞳に底しれない怒りが燃えているのを感じます。
「僕の妻になると言え、一生付き従うと! そうすれば数々の無礼は不問にしてやる。こいつらにも村に住む温情をくれてやろう。断るなら、全員ベルクマン領から追い出す」
私の言葉ひとつでみんなが家を失ってしまう。
みんながここで暮らし続けるために、私はクリストフの妻にならなきゃいけない。
逆に考えると、みんなに助けてもらった恩を、私がクリストフの妻になることで返せる?
「ゲルダちゃん駄目だよ、あたしたちのためにこんなやつの妻になるなんて!」
「そうだ! おれらはゲルダを不幸にしてまでここにいたいなんて思わねぇ!」
みんなが口々に声をあげてくれる。
それまで黙っていたレオンが低い声で言いました。
「ゲルダに触るな」
私を掴んでいたクリストフの手を叩き落として、私を抱き寄せます。
「この子は俺の妻のゲルダだ。まさか領主一族、貴族ともあろうものが領民の妻を横取りするのか? この国の女は重婚を禁止されていたと記憶している」
レオンは私を守るための嘘を堂々とつきます。
「妻? お前、農夫なんかの妻になったのか。僕という婚約者がいるのに、貴族の僕より、下等な農夫がいいと? 僕はそいつ以下だとでもいうのか?」
婚約破棄を宣言した張本人のくせに、何を言っているのでしょう。
クリストフは震える声で私を指差し、確かめるように聞いてきます。
だから私はレオンの腕に手を絡ませ、宣言しました。
「レオンは厳しくも立派な農夫です。下等ではないですよ。私はレオンの妻です。ベルクマン様のご意向に沿うことはできかねます」
常日ごろ人を見下すところのあったクリストフです。
私がレオンの妻になったという嘘を鵜呑みにして、顔面から色がなくなっていきます。
「嘘だ、僕が農民なんかに負けるわけない。僕は、伯爵家の人間なんだぞ。学年首席だし、学校に通ったことのない庶民に負ける要素がどこにある……。兄上にだって、負けないくらい勉強してきたのに、なんで、僕を一番に選ばないんだ、お前も、父上も!」
レオンの人となりを知らないで、農民というだけでよくそこまでレオンをこきおろせたものです。
きっとクリストフに婚約破棄されなかったとしても、私の方から婚約を解消したいと言い出していたと思います。
歪んだ形の、誰より上の立場にいたいという気持ち。
人を見下し続けるかぎり、クリストフは成長できない。
意気消沈のクリストフは、従者とともに馬車に乗り帰っていきました。
蹄の音が完全に聞こえなくなり、足から力が抜けてしまいます。
なんとか、切り抜けられたようです。
今更になって涙が出てきました。
私がエンデ村にいたから、私を束縛するために、村を取引材料にしようとしていたなんて。
実際は婚姻届なんて出していないので、書類を調べられたら嘘がバレてしまう。
「ごめんなさい、私の、せいで」
両手で顔をおおって、私はみんなに本当の事を話しました。
間違いなく私はゲルトルート・ハリエラだということ、
おそらくベルクマン家の策略で貴族位を失ったこと。
レティシアおばさまが、ゆっくりと私の背を撫でてくれます。
「あんたが元々は貴族だと、みんなわかっていたよ。ハリエラ家の子とは知らなかったけれど」
「料理ができない洗濯もしたことがない、そのくせ馬は見慣れている箱入りなんて、貴族しか考えられなかったからな」
レオンもおばさまの言葉を引き継いで言います。
「そう、よね。バレていて当然よね」
指先で涙を拭って、私は立ち上がります。
「私のせいで村を危険にさらしてごめんなさい。私、村を出ていくわ。みんながいろんなことを教えてくれたから、きっと、別の土地に行っても一人で生きていけるわ」
なにより、レオンに迷惑がかかるのは嫌。
「これまでありがとう、レオン、みんな。すぐに荷物をまとめるから」
せめてお別れは笑顔でしたい。
歩きだそうとした私を、レオンが止めました。あまり強くない力で手首を掴んでいるだけなのに、振り払うことができない。
「出ていかなくていい。お前は、ゲルダは俺の妻だろう」
「それは、クリストフを追い返すための嘘じゃない。レオン、助けてくれてありがとう。あなたならちゃんと気立てのいいお嫁さんが見つかるわ」
「嘘じゃなく、ちゃんと届けも出して夫婦になるんだ。俺はゲルダにここにいてほしい」
不器用な言葉で、まっすぐ私の目を見て言いました。
私は、元公爵令嬢。
自分の身一つしか持っていない。
私と結婚してもメリットは何もない。
それでも、レオンは私がいいと言ってくれる。
迷惑にならないよう、出ていこうと、思っていたのに。
「私も、レオンと一緒にいたいわ。あなたが、望んでくれるなら」
レオンに抱きしめられ、村のみんなから温かい拍手がおくられました。
手作りの婚礼衣装でささやかな結婚式をあげてもらい、私たちはほんとうの夫婦になったのです。
それからすぐ、村人みんなで国の監査機関に行き、ベルクマン家のしたことを告げました。
クリストフが村長宅に残していった別荘建築のため立ち退けという書面と、村人たちが文字を読めないと知った上で判をおさせようとしたこと。
これまで村の設備を整えるために三度増税をしたになんの還元もされていないこと。
ベルクマン家は王国直属の機関にきつい取り調べを受け、他家と結託して偽証拠をつくりハリエラ家を陥れたことも明るみになりました。
当主と長子、クリストフは当然失脚。
ベルクマン家はなくなりました。
お父様は無実であったことが証明され、釈放。
ハリエラ家は再興されることとなりました。
エンデ村は王家の領地として組み込まれることになり、最近は道の舗装工事や水道工事が入って生活が楽になってきました。
お父様との再会が叶ったのは、私がレオンに拾われてから一年が経っていました。
村を訪れたお父様は、昔と変わらず穏やかで優しい笑顔を浮かべています。
「レオンくん。娘を助けてくれてありがとう。これからも仲良くしてやっておくれ」
「いえ……こちらこそ、いつも世話になって、おります?」
ガチゴチに固まってまともに言葉が出てこないレオン。敬語を使うべきなのか普段の言葉使いにすべきなのか悩んだ結果、喋り方がおかしいです。
「緊張しすぎよ、レオン」
「笑うなゲルダ」
私たちを見てお父様もなんだか楽しそう。
「たまには遊びに帰ってくるんだよ、ゲルトルート。ロディも会いたがっていた」
「はい、お父様」
いとこに私より五つ年下の男の子ロディがいて、ロディがハリエラ家を継ぐことになっています。
勤勉で洞察力に長けた子なので、ロディに任せればハリエラ家は安定して成長すると思います。
お父様を見送って、私とレオンは紅葉の降ってくる帰り道を並んで歩きます。
「レオン、もう山道に置いてくるなんて言わないでね。私の居場所はここなんだから」
「まだあのときのこと根に持ってるのか……。よ、嫁を山に置いてくるわけ無いだろう」
レオンはぶっきらぼうに言ってそっぽを向きます。
今ではそれが照れゆえの反応だとわかります。
二人で歩けば、おばさまたちが笑いかけてくれる。
「さぁ、私たちの家に帰りましょう。レオン。おばさまからシチューの作り方を教わったの。レティシアおばさまのひいお祖母様の代から続く伝説のシチューなんですって」
レオンの手を引っ張ると、レオンは困ったように眉を下げ、柔らかく微笑む。
「そうだな。帰ろう、ゲルダ」
おしまい
これにて本編完結、読んでいただきありがとうございました!
閑話で二人の初デート話やファーストキスはいつだった? など小話をツッコミます。