フェンリルに転生したんだが犬と間違われて拾われたので、ご主人様(お嬢様)に近づく男はパクッとすると思われる
俺はシロ。お嬢様からもらった名前を、今は使用している。
前世?思い出して得することでもあるのか?今は元人間だと覚えてさえいればいい。そう思っている。
以前はお嬢様とは違う世界の人間だったんだが、交通事故に遭って死亡。
その後、なんやかんやあってこの世界に転生したんだが、何の間違いか神の悪戯か、四足歩行の獣になってしまった。
気づいた時には、独りぼっちならぬ一匹ぼっちで何もない平原にいた俺。
目線の低さと四つ足に生えた白い毛並みから小動物に生まれたと判断した俺は、とりあえず人里を目指して歩いた。
歩いて歩いて歩いて、歩き疲れたころには雨が降ってきて、とうとう疲れ果てて小高い丘の上で倒れた。
腹も減っていたから休めば回復するってものでもない。雨のおかげで飲み水の心配がないのがせめてもの救いだ。
もう駄目だろうなと思った。
歩いている間に、時々見た小さい動物とか小鳥くらいがやけにうまそうに見えたので、食べてやろうと思って追いかけたが、余裕で逃げられた。多分、今の俺は子供なんだろう。
小動物だろうが子供だろうが、死ぬときは死ぬ。
ただまあ、第二の人生としては短すぎじゃね?と思わないでもなかった。
結論としては、早とちりだったわけだが。
「セバスチャン、やっぱり子犬だわ」
そう言いながら、服が濡れるのもかまわずに俺を抱き上げた小さな手。
それが、お嬢様との出会いだった。
以来俺は、お嬢様が暮らす小さな屋敷の庭にある犬小屋で暮らしている。
お嬢様の名前はフランシーナ。
なんでも王国の貴族の家らしいが、お嬢様は王都から遠く離れた領地のお屋敷で一人、老執事だけを相手に暮らしている。
どうも、両親との関係はうまくいっていないらしい。
まあ、そんなことは関係ない。大事なのは、お嬢様と俺の関係だ。
「シロはどんどん元気になるわね。それにとっても賢いわ」
当たり前です元人間ですから、という意味を込めてひと吠えする。もちろん、お嬢様には伝わらない。
それに、賢く思われているのは別の理由だ。
お嬢様に救われ、立派な犬小屋を庭に建ててもらい、人間が食べてもおかしくないよなエサを一日三回用意してもらえて、恩義を感じないはずがない。いやまあ、元人間相手にそれはどうなのかと思わないでもないが、それはそれ、これはこれだ。恩を受けたらちゃんと返す。仇じゃないぞ。奉仕でだ。
そんなわけで、元気になってからの俺はというと、田舎過ぎて無駄に広いお屋敷の庭の平和を自主的に守ることに決めた。
といっても、大したことじゃない。せいぜい、害虫や害鳥を追い払ったり、様々な木の実や果物が生る庭に侵入する近くの村の不届き者に吠えたりするくらいだ。
それでも、老執事のセバスチャンだけではお屋敷の管理で手一杯ということで、かなり貢献していると自己満足に浸っている。もちろん、セバスチャンもお嬢様も知らないが。
それはそうと、異世界の犬は元気になったら、睨んだ鳥を墜落させたり、100メートル3秒くらいのスピードで走れるものだろうか?
お屋敷の庭の犬小屋に住むようになってから、約半年。
最近、お嬢様がだんだん笑わなくなってきた。
その理由を、今知った。
「お嬢様。やはりこの縁談はお断りいたしましょう。いくら何でもあんまりでございます」
「いいのよセバスチャン。そうなれば王都のお父様やお母さまがお困りになるわ。それに、御家のために嫁ぐのは貴族の子女として当然の義務だわ」
お屋敷の開いた窓越しに洩れてきた、二人の話を総合すると、こうだ。
ずっとこのお屋敷に住んでいて、家族からすら忘れられているんじゃないかというお嬢様に、ある日降って湧いたように縁談が舞い込んだ。
お相手は王国の貴族の中でも頂点にいる存在というべき、公爵家のご当主様。
なんでも、お嬢様の両親が住む王都の屋敷を訪れた公爵が、たまたま飾ってあったお嬢様の姿絵に心を惹かれ、その場でぜひ嫁にとの猛烈なアタックが行われた結果、その日のうちに婚約が成立したらしい。
異世界の常識に引っ張られがちな俺から見てもかなり強引な展開だが、中世の貴族の婚姻は親が決めるものだって知っているし、ここまではまあいい。
よくないのは、お相手の公爵が齢六十を優に超えるクソジジイで、しかもお嬢様は二十三番目の妃だという事実だ。
「公爵様の噂は、世事に疎いこのセバスチャンも存じております。なんでも婚姻前から言葉にするのも汚らわしい所業を妻に繰り返し、飽きてしまわれたら即座に離婚するとか。半ば隠居のご趣味だとしても、あまりにむごい仕打ちです」
「それでも、私が行かないといけないのです。この婚姻を私が断れば、お父様は王都での御立場をなくされてしまいます。お母様や弟妹たちも貴族として暮らしていけなくなります」
「ですが!」
「ありがとうセバスチャン。私がいなくなったら、シロの世話を頼みますね」
後に聞こえるのは、セバスチャンの忍び泣く、押し殺したような嗚咽だけ。
そしてその思いは、俺も同じだ。
と、そこへ、
ギャース!! ギャース!!
最近じゃすっかり近寄らなくなった、庭の実りを狙う害鳥。
耳障りな鳴き声の主であるカラスの化け物みたいな鳥も、蒼く澄み切った空に豆粒くらいに小さく見えるだけだから、こっちに来る心配はない。
――だが、タイミングが悪かったな。
俺の思考の邪魔をした罰として、カラスの化け物を一睨み。
その瞬間、青いカンバスを横方向に動いていた黒い豆粒が、重力にひかれて墜落する。
それを確認してから、広大な庭と王国が管理する街道の境界線近くまで来ていた体を、すっかり馴染んだ犬小屋に向ける。
大人しくお嬢様を見送るためじゃなく、俺が王都へと向かう準備のために。
クソジジイが元気すぎるなら、とっとと隠居してもらえばいいんじゃないか?
街道を横目に、草原の中を王都へとひた走る。
今や俺の走る速度は100メートル1秒を軽く超え、全速力なら音を置き去りにできるほどだ。
一応、犬小屋の前に枝を置いて、一晩不在にしますというメッセージを込めておいた。通じるかどうかは半々だが。できれば明日の夕方までには帰っておきたい。
拾われてから一度も外泊ならぬ野宿をしたことがないので、お嬢様が心配したらと思うと胸が張り裂けそうになる。思わず引き返したくなってしまうが、そこをぐっとこらえて四つ足に力を込める。
王都の正確な位置は分からないが、人が多そうな方向から匂いがしてくるし、お嬢様が何度か遠い目をした方角とも一致するので、多分間違いない。
やがて、王都を証明する無数の明かりが見えて来始めたところで、周りを見渡して一望できそうな丘を見つけ、初めての休息を摂る。
弾む息を整えながら、丘に登った目的である王都から聞こえる無数の声に耳を傾ける。
走るスピードと比例して、俺の聴覚はお屋敷の庭を軽くカバーし、周辺の集落一帯ならひそひそ話まで聞き分けられるようになった。
だが、さすがにこれだけの数の人間の声を判別するのは難しい。それでも、変に人間に見つかって追い立てられるよりはと、ひたすら集中する。
その成果が表れたのは、王都のほとんどが寝静まり、酒に酔った歓声が際立ち始めたころだった。
「それで、フランシーナとかいう貧乏貴族の娘が来るのは、いつになるのですかな?」
「まったく、同好の士としてお羨ましい限りです。おこぼれを頂くのはいつの日になるのかと考えると、夜も眠れませんでな」
「やっと段取りが付いたところなのだ。焦らずとも、婚儀が整った後なら、貴殿らにいくらでも味見をさせてやるでな」
貴族の屋敷と思える場所といい、談笑する男共の声の齢具合といい、なによりいやらしい響きでお嬢様の名を口にする、ガラス張りのホール越しに見えるクソジジイの派手な衣装といい。間違いない。
あれが王女様の敵だ。敵は殲滅しなければ。
――間違いだったら?まあ、冤罪は良くないと思う。思うだけだ。
大丈夫。栄養的な意味では無駄はならないから。
翌日。なんとか夕方にはお屋敷の犬小屋に滑り込み、俺の帰還に気づいて涙ながらに抱きついてきたお嬢様のなすがままになり、その夜はしっかりと体を洗われた後にお嬢様の寝室のベッドの脇で寝かされた。
その翌日の翌日。つまり三日後。王都から驚愕の知らせが舞い込んだ。
「ねえ、セバスチャン、この知らせは本当なのかしら?」
「間違いなく御父君の印章が押されていますし、筆跡も見間違い様がございません。確かに、王都の本邸から送られてきた手紙です」
「でも、魔物の王と呼ばれるフェンリルが公爵様のお屋敷に侵入して、その場にいた公爵様とご友人を亡き者にしたって、信じてもいいのかしら?」
「ひとまず、こちらからも確認の手紙を送ってはみますが……」
それ、本当です。
と言いたいところだが、真実は少し違う。
公爵様とそのご友人は亡き者になったんじゃない。
いや、死んだのは間違いないというか、俺が命を奪った。人違いでなくて何よりだ。
ただ、人間たちが公爵の死亡を断定できたとは思えない。
前の世界でもそうだが、死体またはその一部が発見されなければ、確実に死んだとは決めつけられないからだ。
なにしろ、公爵様とご友人一行は、俺の王都往復のエネルギー補給に活用されたんだからな。
全員を一睨みして身動きが取れなくなったところで、パクッといきました。
ごちそうさまでした。
まあ、人間だった頃の常識で言えば、あっさりと食糧にしてしまったことで頭がおかしくなったと思ってしまうだろうし、ひょっとしたらすでにそうなっているのかもしれない。
だが、今の俺は至って冷静だと、少なくとも自己分析ではそう結論付けられている。
あの時の俺の頭の中にあったのは、クソジジイ公爵への天を衝くような怒りと、お嬢様を守らなければという海よりも深い使命感だけだった。
今?……うーん、たぶん無理だな。あの時は、一種のトランス状態になっていたからとしか、異常な精神構造の説明がつかない。
フェンリル?なにそれおいしいの?あれ、三日前って満月だったっけか?
疑問が次々と湧いてきて、頭を捻るついでに唸り声が出てしまったんだろう、
「シロ、おいで」
俺の存在に気づいて庭に出てきたお嬢様に呼ばれて、一も二もなく駆け寄る。
――あー、頭を撫でられると、全部がどうでもよくなる。もうクソジジイのこととかどうでもいいや。
「シロは本当に賢いわね。例えお嫁に行くことになっても、ちゃんとセバスチャンとシロを連れて行くから、嫁入り先でも大人しくしているのよ」
それだけは約束できないかな。
お嬢様を悲しませる男はみんなパクッといってしまうと思われるので。
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