99話 邪竜との戦い
空に現れたのは、黒い鱗のドラゴンだった。
トカゲに翼を生やしたようなシルエットのドラゴン。
ずっしりとした胴体は馬車を三台連ねたような大きさだった。背中には胴体の何倍もの大きさの翼が見える。
「ドラゴン!?」
エリシアの口からそんな言葉が漏れた。
ユーリが言う。
「……ドラゴンになれるってことはラーンと同族?」
「いえ……私たちとは違います。あのドラゴンからは」
ラーンは俺に目を向けた。
俺もあのドラゴンに闇の魔力が集まるのを感じる。
「闇の力を纏ったドラゴン……邪竜か」
帝国全土にどこからともなく現れては、街や村を一夜のうちに廃墟の山にする。
人々から恐れられる凶悪な存在だ。
ラーンたちの祖龍のように闇の力に溺れたドラゴンが邪竜と化すのかと思っていたが……まさか人が邪竜になるとは。
いや、あの子がただの人間とは考えにくいが──来るか。
ドラゴンの口に黒靄が宿るのを見て、俺はすぐに《転移》を念じる──しかし、使えなかった。
……ここでも駄目か。《闇壁》!
ヴェルム同様、また異空間の中に閉じ込められたのだろう。
《闇壁》の展開に切り替えると、黒いブレスがこちらに降りかかった。
「──《聖光》!」
エリシアは聖魔法を放ち、ブレスを打ち消す。
その光は周囲の亡霊騎士たちもを怯ませた。
俺が《闇壁》を展開する必要もなかった。
聖魔法は闇魔法より優位で、なおかつエリシアは【聖騎士】の紋章を持っている。
「アレク様、守備はお任せを!」
「ああ!」
邪竜は俺たちの上空を跳びまわりながらブレスを何度も吐いてくる。
しかしエリシアはそのブレスを聖魔法で打ち消してくれた。
こんな時にも動じない。
エリシアは頼りになる。
セレーナも剣を振るい、火魔法を放つ。
爆風で迫りくる亡霊騎士を吹き飛ばしてくれた。
「私もとりあえず、やつらを遠ざけます!! いつでもご指示を!!」
「アレク様の背中は私が守ります!」
ラーンが言うと、ユーリも慌ててメイスを構える。
「じゃ、じゃあ私は……ともかく、任せて!」
皆、冷静に対応してくれた。
今は防御しながら、どうするか考えよう。
まず、ここもヴェルム同様《転移》で外界に出られない異空間となっているようだ。
出るのに集中できれば出られるが……この状況では難しい。
となれば、やはり戦うしかない。
周囲の亡霊騎士は、ヴェルムのコインと同じように対処すればいい。
壊れた花細工から漏れ出た闇の魔力を吸収するのだ。
試しにセレーナの攻撃で溶けた花細工の魔力を奪い取る。
やはり倒せるな──うん?
魔力を奪い取った花細工だが、すぐに邪竜がその花細工に闇の魔力を供給する。
花細工は再び亡霊騎士となってしまった。
邪竜が闇の魔力を供給している──邪竜を倒さなければ永久に蘇りそうだ。
倒し方はやはり、エリシアの聖魔法を当てることだろう。
やり方は二つ。
一つは以前、アルスで天使と戦った時のように聖魔法と闇魔法を組み合わせること。あの時、俺は聖魔法で闇魔法を包み、天使にぶつけた。
今回はその逆。俺の闇魔法でエリシアの聖魔法を包み悪魔に放つ。
二つ目は、あえて亡霊騎士を倒し続けることだ。
邪竜に闇の魔力を供給させ、奴の使える闇の魔力を削ぐ。
エリシアの聖魔法が容易に届くようになるはずだ。
だからやり方はいくらでもある。
冷静に考えれば、以前戦った祖龍のほうがはるかに危険な相手だった。
そう、倒せる相手だ──
しかし、決心がつかない。
倒せるかではなく、倒していいかが問題だ。
あの邪竜は、先程の少女。
邪竜を倒せば少女に戻るとは限らない。
もとに戻ったとして、無事である保証もなかった。
──どうすればいい?
早く決断を下さなければならない。
今はエリシアが邪竜のブレスを防ぎ、セレーナが亡霊騎士を吹き飛ばしてくれている。
しかし、丘下を眺めると、続々と亡霊騎士たちが集まっているのが分かった。
先程の磔の下にあった花細工も、こちらに向かっているようだ。
詳しく数えていないが、千体はいそうだ。やつらも包囲に加われば、さすがにセレーナも持たない。
──だから、やっぱり倒すしかない。
しかし、それでも何とか少女を救うことはできないだろうか。
……うん? 祖龍と言えば、あの時。
邪龍と化した祖龍だが、弱らせていく過程で悪魔が外に出てきた。
あの中にも、悪魔やあるいは女の子がいるなら──
俺は、祖龍から物事を見極める力を得た。
透視の力……これで少女を探せないか?
俺はドラゴンをじっと見つめた。
すると、ドラゴンの胸の中に囚われた少女がいた。
「いた……」
目を瞑ってはいるが必死に手足をじたばたさせて、邪竜に抵抗しているようにも見えた。
場所が分かれば、救出できる──
「皆、聞いてくれ……まず、セレーナは一度最高位の《炎獄》で、できる限り多くの亡霊騎士を倒してほしい。その後、俺が破損した花細工から闇の魔力を抜き取る。そうすれば、邪竜のブレスが弱くなるはずだ。そこで、エリシアには邪竜の翼を聖魔法で攻撃してもらう」
エリシアは頷いて答える。
「地上に落とすわけですね」
「そうだ。そして落ちたら、俺が胸に印をつけるから、そこを斬ってほしい。そこに少女がいるから、救い出せるかもしれない。ラーンは、救出した少女にすぐに回復魔法をかけてほしい」
皆、はいと深く頷いてくれた。
ユーリは皆に頑張れと声を送る。
「よし、作戦開始だ!」
俺の言葉に皆、おうと返事を響かせた。
「まずは、私から!! 《炎獄》!!」
セレーナが剣を大きく振るうと、天にも上がるような火炎の嵐が巻き起こる。
「うおっ!? こんなにすごかったか!?」
セレーナは久々に全力で炎魔法を使ったのか、自分でもその威力に驚いているようだ。
炎の嵐は次々と亡霊騎士を巻き込むと、花細工を熱したバターのように溶かした。
百以上の花細工から闇の魔力が漏れる。
それを俺が引き寄せ、自分の魔力とする。
手をかざし、闇の魔力を吸うように集めた。
すると、今度は邪竜が溶けた花細工に魔力を送り始める。
俺はその魔力すらも吸い寄せようとした。
すべては吸いきれないが、妨害になるはず。
「エリシア、今だ!!」
「はい!!」
エリシアは両手を邪竜に向け、眩い光を周囲に放つ。
あまりの眩しさに目を細めながら空を見上げると、エリシアの放った光弾が邪竜のブレスを容易く打ち消し右翼に直撃するのが見えた。
邪竜は短く呻くと、体を大きく揺らす。
エリシアはさらにもう片方の左翼へと聖魔法を放った。
邪竜は耳をつんざくような悲鳴を上げ、地上へと落下する。
「よくやった、エリシア!」
「ありがとうございます! 今度は印を!」
「ああ!」
俺は地面に横たわる邪竜の胸に、聖魔法を放つ。
微弱だがそれでいい。
聖魔法を受けた場所に薄い傷跡が残る。
「あれの外側を!」
「はい!! 堅そうな鱗ですが、この刀なら!!」
エリシアはそう言って、以前俺が預けた祖龍の角の刀を振りかぶる。
ラーンがユーリに鍛えさせた、優美な曲線の刀身を持つ刀だ。
刀は邪竜の鱗をものともせず、皮と肉を断つ。
そのままエリシアは刀を右に左に、上に下にと振るい、邪竜の肉を削ぎ落していった。
邪竜は体をじたばたとさせ、ブレスをエリシアに放つ。
しかし俺が《闇壁》でそれを防いだ。
すぐに、もう少しで少女に届くところまで邪竜の胸を抉ってくれた。
「エリシア、もう少しで女の子がいる!」
「承知しました!」
エリシアはそう言うと、刀を少女に当たらないよう、その周囲に斬り込みを入れていく。
これで少女を救える──そう確信した時、突如周囲の亡霊騎士が一斉に消えた。
落ちた花細工に宿っていた闇の魔力が、風のように邪竜に吸い込まれる。
邪竜のブレスはさらに強力となり、俺の 《闇壁》も押され始めた。
「くっ! もう少しでもたなくなる!」
「急ぎます!!」
「私もやる!!」
亡霊騎士が消えたことで、セレーナも少女の救出に加わった。
「私だって!!」
ユーリは少し離れた場所に陣取ると、邪竜の頭に微弱ながらも雷魔法を放ってくれた。
そんな中、エリシアの声が響く。
「──いた!!」
「私が抱える!!」
セレーナは少女を抱えると、外へと飛び出した。
エリシアも続くと、胸に空いた穴に振り返りそこに光を放つ。
「──《聖光》!!」
周囲をまばゆい光が照らすと、邪竜の断末魔が響くのだった。