96話 夜を拝む者
本日3月27日、阿部花次郎先生が描く本作コミック3巻発売です!
「これは……コインに封じ込められていた霊」
エリシアは天に昇っていく無数の光を見て言った。
どこか幻想的な光景にラーンも口を開く。
「安らかな雰囲気……やはり誰かに閉じ込められていたのですね」
「どうか安らかに……!」
ユーリはまだ怖いのか、目を瞑りながら言った。
セレーナは無言で、光の昇天を見守っていた。
救えた、と思っていいのだろうか。
しかしコインに魂を封じ込め、ずっと働かせるとは……
黒衣の女の恨みは相当なものだったのだろう。
俺は皆に向かって言う。
「まだ、この街には何か仕掛けがあるかもしれない。それに、相変わらずアルスには【転移】できないみたいだからな」
しかし、街の中ではできるようで、すぐ近くには【転移】できた。
エリシアが空から視線を戻して言う。
「どこか、壁を展開する装置があるのかもしれませんね。先日、ティール島にあった装置のような」
「可能性はあるな」
セレーナは屋敷を見て言う。
「となると、街の中央部に置かれている可能性が高い。屋敷の中かもしれませんね」
俺は頷き、屋敷の魔力を探る。
「そうだな……だが、屋敷の中に魔力の反応はない。全部、コインのゴーストだったんだろう。魔力を頼りに探すのは難しそうだ」
「屋敷……建物の中か……」
ユーリは不安そうに呟いた。
「どのみち退くことはできない。皆、いつも以上に気を引き締めてくれ」
そうして俺は屋敷へと再び歩き出した。
新たなコインのゴーストの増援が現れるわけでもなく、屋敷までは難なく到着する。
コインの霊はまだ昇天しており、周囲も明るかった。
そして扉のない入り口から屋敷へと入る。
目の前には、アルスの政庁に似た大広間が広がっていた。
「お化けの鎧は……」
ユーリは薄暗い大広間を見渡す。
エリシアは聖魔法で光を浮かび上がらせ、大広間を照らした。
「スライムも鼠もいませんね。またもや、不気味なほど綺麗ですが」
屋敷の中も綺麗に清掃が行き届いていた。蜘蛛の巣どころか、ほこりが積もっている場所もない。
セレーナは大広間の奥の入り口を指して言う。
「あれが執務室かと。何か情報が残っているかもしれません」
「ああ。皆で一部屋ずつ調べよう」
そうして俺たちは屋敷を調べることにした。
一時間は経っただろうか。
結果は──何も見つからず。
文書の類はもちろん、道具の類も見当たらない。
隠し扉がないかとか、家具や調度品、絨毯の裏なども調べたが、まったく情報と言えるものは残っていなかった。
ユーリが愕然とした様子で言う。
「ここまできて、何も見つからないなんて……!」
「装置はおろか、本の一冊もない。この屋敷ではなく、他の場所にあるのでしょうか?」
ラーンが呟くと、エリシアがセレーナに問う。
「他にあてはありますか?」
「そ、そうだな。裕福な街なら図書館があったはずだ。本はそこに集められているかもしれない。装置は兵舎のような頑丈な場所にあってもおかしくないだろう。ただ」
俺はセレーナの言葉に頷く。
「ここまで綺麗に情報を残していないとなると、他の場所も徹底しているはずだな」
「じゃ、じゃあ、結局アルスと一緒ってこと?」
ユーリの言葉にエリシアが首を横に振る。
「【転移】できないことも考えると、状況はさらに悪いかもしれません」
「そ、そうだった……ど、どうしよう」
ユーリは顔を曇らせた。
俺も現時点では、解決法が見つからない。
「まあ、まだ本当に何もないと決まったわけじゃない。怪しい建物を調べていこう」
「そうですね。では、とりあえず屋敷を出ましょう」
エリシアは深く頷く。
そうして俺たちは屋敷を後にした。
暗い場所から出たからでも、快晴だからというわけでもない。
まだ、コインの亡霊たちがそこら中にうごめいていたのだ。
ユーリは空を見上げて驚愕する。
「まだ、いたの!?」
「この世界にまだ未練があるのでしょうか……?」
ラーンもそう言って首を傾げた。
エリシアは霊の動きを観察して言う。
「違う……街から出られないのかもしれません」
「ええ? 霊も出れないってこと?」
驚く様に言うユーリだが、エリシアの推測は当たってそうだ。
霊はある高さ以下で止まってしまっている。
中には諦めるように広場へと戻ってくる霊もあった。
彼らからは、出られないという絶望するような声が聞こえてきた。
エリシアはその様子を見て言う。
「彼らも途方に暮れているようですね……」
「でも、これは彼らと話すチャンスでは?」
ラーンの言う通り、霊と会話するまたとない機会だ。
普通であれば霊と話すことなどできないのだから。
ユーリは信じられないといった顔で言う。
「れ、霊と話す? 本気?」
「今更ですよ、ユーリさん。アレク様、一応お気をつけて」
エリシアの声に頷き、俺は霊に歩み寄る。
まず、俯く霊に声をかけてみた。
「すまない。話せるか?」
「出られない……何をやっても……ずっと出られない。その日まで、出られないんだ」
表情は分からないが、この状況に絶望しているのは伝わってきた。
ずっと出られないと繰り返すだけで、この霊とは会話できそうにない。
その日、というのは気になるな……
ならばと、他の霊に声をかけるが、こちらを認識できない者や、何をしゃべっているかも分からない者たちばかりだった。
しかし、一体の霊がこちらを見ているのに気が付く。
あの霊は俺たちに気付いている──
俺は歩み寄って声をかけた。
「俺たちが分かるか?」
「ああ、分かるぞ。お前は一体誰なんだ?」
「俺はアレクという男だ。お前は?」
「俺は……俺は……? ……誰だ? 俺は、誰なんだ? 名前は……?」
その霊はそう言うと自分の頭を抱え、俺は誰だと延々と繰り返した。
「駄目か……」
「あ、アレク様、ごめんなさい……私もう、ちびりそうです」
そう口にするユーリは魂が抜けたかのようにげっそりした顔だった。
セレーナはそんなユーリを見て、心配そうに言う。
「さっきの屋敷に一応、使える手洗いはあったが……」
「あとでセレーナ、一緒に来て……」
エリシアは困ったような顔で呟く。
「これは……何世紀もずっと同じ日々を過ごしてきて、記憶や人格が歪んでしまったのでしょうね」
「私も記憶が欠落していたからな……」
セレーナは頷くと、悲しそうに霊たちを見た。
これでは全く情報が集まらない。
だが、一つだけ分かったことがある。
その日だとか約束の日だとか、彼らの役目が終わる日があるようだ。
ティール島にいたメルベルたちも、来る日なんて口にしていたよな……
何か関連性があるかもしれないが、今のところそれ以上のことは分からない。
そんな中、ラーンが口を開く。
「皆さん。あの方の声が聞こえますか?」
ラーンが指をさした方向には、天を仰ぐ霊がいた。
「神々よ……我らはたしかに罪深いおこないをしました。傲慢で強欲で、罰を受けるのは当然でしょう……ですが、いつまで罰を受けなければならないのです? どうか、我らを解き放ってください」
祈るように言う霊。
その霊は他の霊と体のシルエットが違っていた。
他の者は裸のように見えるが、彼は神官のような衣服を着ているようだった。
声も姿もはっきりしている。これは会話ができるかもしれない。
エリシアが言う。
「神官の霊でしょうね」
「話してみよう」
俺は神官の霊に近づき、声をかける。
「お祈り中にすまない。少し話ができるか?」
「あなた方は──それは!?」
神官は俺の手のほうを見て、驚愕した。
「闇の紋……あ、ああ、お許しを……我らは愚かでした、どうかお許しを!!」
頭を下げる神官。
闇の紋章を恐れているようだった。
「危害は加えないから安心してくれ。俺はアレクだ。あなたは?」
「私は……レヴィンと申します。生まれてからずっと神々にお仕えしております」
「レヴィン。お前たちはどうして、ここに閉じ込められている?」
「命じられたからです、黒衣の女に」
「黒衣の女か」
俺はセレーナと顔を合わせる。
アルス同様、ここも黒衣の女にやられたようだ。
「罰と言っていたな? その黒衣の女に、罰としてここに囚われたのか?」
「罰、とは口にしませんでした。その日まで、この場に留まり街を維持せよと命じられました」
「では、ここはただの監獄、ということか?」
「いえ……適当な仕事は許さないと言っておりました。ここはその日に黒衣の女たちが用いる砦ですから」
「砦……」
これもティール島で聞いた言葉だ。
彼らは聖獣で神々から命じられたと語っていたが。
「その日、とはなんなんだ?」
「分かりません。私はあるとも信じていなかった。ですが、黒衣の女が言うのだから、その日は確実にやってくるのでしょう。生と死に意味がなくなる……私は、生きる者も死んでいる者も消滅するのだと考えています」
大災害のようなものがやってくるということだろうか。
黒衣の女の信仰に、そういう教えがあるのかもしれない。
「分かった。それで黒衣の女はどこにいるか分かるか?」
「どこへやら。我らを封じた後、一度も戻っておりません」
「そうか……そもそも何者なんだ?」
「それははっきりしております。彼女は、我ら帝国人が来る前よりこの地に君臨していた王の血族。拝夜教の巫女です」
「拝夜教……初めて聞く名の信仰だ」
「私も、この地に来るまでは詳しく知りませんでした。その日が来ることを信じており、その日に戦う闇の紋章を持つ者の血筋を敬い保護する……ただ、それだけの教えです。この地の王族は崇敬を集めており、誰もが闇の紋を持っておりました」
俺は開いた口がふさがらなかった。
まさか、闇の紋章を持つ者を敬う信仰があったとは……
現在権勢を誇る至聖教団とは真逆の信仰だ。
レヴィンはそのまま話を聞かせてくれた。
「私はそんな拝夜教徒を異教として非難し、改宗させるべきと訴えた」
「そんなに異教が許せなかったのか?」
「少なくとも私はそうでした。神殿の教えだけが絶対に正しい……それ以外は、全て根絶されなければならない」
「そう、神殿で説いたんだな?」
レヴィンはこくりと頷く。
「ええ。皆、拝夜教を弾圧しようと同調してくれました。総督も領主も、反抗的な彼らに手を焼いていましたから、その動きを咎めることもなかった」
レヴィンは霊たちを見て続ける。
「しかし、ほとんどの者たちは実のところ、拝夜教徒の持つ魔鉱石の品々に惹かれたのです。掘るよりも盗んだほうが早い……我が信徒らは拝夜教の街や村を収奪し破壊して回った。私はただ、哀れな異教徒を正しき教えに導きたかっただけなのに」
俺たちが最初に見た都市の遺構……あれはその拝夜教の街だったのだろう。
「信仰を押し付けようとし、起きたことは盗みと殺人。なんとも傲慢で愚かな話だ……」
「ええ、確かに愚かでした。巫女は姿を変えると我らを一瞬のうちに葬り去った。我らの魂を所有し、拝夜教のための道具としたのです」
「その日のため、にか」
「はい……私も罪は認識しております。殺されても文句は言えません。ですが、ほとんどの者は、収奪や破壊とは無関係。この場には、むしろ拝夜教徒と仲良くしようとしていた者もおります。帝国人だからと、全員を永遠にとどめるとはあまりに罰が重すぎる」
レヴィンは俺に頭を下げる。
「どうか、どうかお許しくだされ。あなたは、黒衣の女と同じく、闇の紋章を持っている。彼女のように姿を変えれば、この壁を打ち破れるはずです」
「姿を変える……」
つまり、俺に悪魔になってくれというわけだ。
「それはできない……しかし、少しやり方を考えてみよう」
「ほ、本当ですか!?」
「ああ。だが、もう少し詳しく聞かせてほしい。壁についても情報が少なすぎる」
「知っていることならなんでもお話ししましょう」
俺はさらにレヴィンから話を聞くのだった。