94話 もぬけの殻
明後日3月27日、阿部花次郎先生が描く本作コミック3巻が発売します!
目の前に迫ってくる丘上の街──ヴェルム。
このヴェルムからは、底知れない不気味さを感じた。
俺自身、怖い場所は慣れている。
アルスの廃墟や放棄された商館を探検しているし、多くのアンデッドと戦ってきた。
しかし、今回は別だ。
あの街は、どこかおかしい。
まず、防壁からして異常だ。
堅牢な防壁はまるで今でも整備されているかのように綺麗だった。破損箇所がほとんど見当たらない。
街の建物も外から見える限りだが、崩壊しているものはなかった。
そして街の各所に存在する無数の魔力。
どれも小さく丸い形をしているが、どれも微動だにしない。
極め付けは、街の各所から微かな煙が上がっていた。
俺は足を止めて言う。
「皆……不安にさせるようなことを言って悪いんだが」
言い終わる前に、皆が頷く。
「アレク様、分かります。あの街は、どこかおかしい」
エリシアがそう答えると、ユーリも道を見て言う。
「……道もなんでこんな綺麗なの? 絶対誰か修繕してるでしょ」
「ですが、生き物の気配や匂いはありません。これは一体」
ラーンも不思議そうな顔で言った。
そんな中、セレーナも神妙な面持ちで口を開く。
「この街は、生きているようにも死んでいるようにも感じられるな。亡霊の都市なのかもしれない」
「も、もう、怖いこと言わないでよ!」
怯えるユーリだが、セレーナはいたって真面目だ。
ふざけているのではなく、長らく鎧の亡霊として彷徨っていた経験から、何か感じたのだろう。
「アンデッドだけでなく、なにかしら罠のようなものが張り巡らされているかもしれませんね……」
エリシアの言う通り、明らかに今までの遺跡とは異色だ。
「一度引き返すか……しかし、もし誰か所有者がいるなら、話をつけておく必要もあるな」
「ここはアレク様のご領地ですからね」
「領主面をするつもりはないんだが、近場で暮らしている以上、互いに取り決めは必要だろう。向こうは、放っておいてほしいかもしれないし」
俺が呟くと、ユーリは顔を青ざめさせる。
「お化けの領主とか、怖……」
「お話しできる相手かどうかも分かりませんが……それでは、とりあえず中に入りますか?」
ラーンの問いに俺は頷く。
「そうしよう。何か異変があれば、すぐに撤退する」
俺の言葉に皆、首を縦に振った。ユーリだけ少し遅れてだが。
ともかく、俺たちはヴェルムへと再び歩き始めた。
【転移】は挟まず、堂々と歩いてだ。
こちらの存在を知らせるためでもある。
ようやく城門の前に着くと、遠目で見た違和感が間違っていなかったことに気が付いた。
付近は掃き清められ、ゴミや蜘蛛の巣の類も見えないほどだった。この城門だけでも明らかに手入れされている。
そして先程から見えていた魔力の反応の正体も判明した。
「あの銀色の、コインだよね?」
ユーリはそう言って、俺が見ていた魔力の反応を指さした。
一つだけでなく、いくつか周囲に転がっている。街の中の魔力の反応も同じ形なので、きっとコインなのだろう。
「魔力を感じる……ユーリ。これもミスリルか?」
「は、はい。この光沢、まず間違いなくミスリルじゃないかと。しかも、相当純度が高いです」
ユーリは恐る恐るコインを覗き込んで言った。
やがて他のコインも数えると、目を輝かせた。
「すごい、街の中まで落ちている……今となってはミスリルも見慣れたものだけど、こんなにたくさん落ちているなんて。一日拾ってるだけで億万長者になれそう」
「これだけあると価値が下がるだろうが、まあ一生遊んでも使えきれないほどの金にはなるな」
こんな貴重なものが手つかずで転がっているということは、やはり人間はずっとこの街には来てなかったと見て間違いない。
なら、誰がこの街に住んでいるのだろうか。
ラーンはコインを見て何かに気が付いたようだ。
「しかし、いつの時代のコインでしょうか。うん? なにやら文字が書かれてますね」
俺も別のコインを見ると、確かに文字のようなものが記されていた。そして人の横顔のようなものが刻印されている。
「古代の帝国の様式だな。当時の皇帝の顔かなんかじゃないか? しかし、ずいぶんと種類があるな」
何枚かコインを確認したが、どれも顔と文字が異なっていた。
しかし大きさは、どれも同じ。
発行された当時は、ころころと統治者が変わった時代だったのだろうか。
「セレーナ、昔の硬貨はこんなに種類が豊富だったのか? ……セレーナ?」
俺はセレーナがコインを見て、顔を青ざめさせていることに気が付いた。
セレーナは悔しそうに目をぎゅっと瞑ると、少しして俺に顔を向ける。
「アレク様……ここにあるコインの文字は、人名です。どのコインの人名も異なっています。それも皇帝や領主ではなく、民衆の」
「え? じゃあ、この顔ももしかして」
ユーリの言葉にセレーナは深く頷く。
「おそらくだが、名前の者たちの顔だ。つまり……」
「へえー。昔の人って、自分の記念コインを作るの流行ってたの? 自分コインとは斬新な……」
「そんな流行り、私は知らない……私が言いたいのは」
顔を曇らせるセレーナに、エリシアが言う。
「……セレーナの魂は鎧と結び付けられていた。他の人が、コインに閉じ込められてもおかしくない」
「う、嘘でしょ……じゃあ、このコインは──ひっ!」
ユーリはラーンの後ろに隠れて肩を震わせた。
俺が代わって、コインの正体を結論付ける。
「人の魂が封じ込められている、というわけか」
ラーンは首を傾げる。
「しかし、どうしてコインに……」
「ミスリル製のコインがたくさんあったんだろう。ティアルスは魔鉱石が豊富に採れたからな」
「なるほど。でも、何故閉じ込めたのでしょうか? セレーナさんは鎧だから動けたのですよね? 彼らは動けないんじゃ」
ラーンの新たな疑問にセレーナが答える。
「一般にアンデッドは暗い場所や夜を好みます。例えば、夜だけアンデッドとして動けるのかもしれません」
「そうして夜に活動して、この都市を綺麗に保っている。現世への未練からか?」
俺はそう口にしたが、セレーナの例を見ればそれは考えにくい。
──誰かに、そう命じられたのだろう。
命じたのは、コインに魂を閉じ込めた者。
セレーナの言う、黒衣の女か。
では、この街は黒衣の女が支配しているのか。
もしそうなら、厄介なことになった。
王朝が代わっているとはいえ、俺は帝国の皇子。
アルスに攻めてくる可能性がある。
でも、支配しているならすでに俺がアルスを解放したことを知っていてもおかしくないと思うが……
何にしろ、このまま放置しておくわけにはいかないな。
「もっと街を調べてみよう。セレーナ、お前は帰ってもいい。だが、庁舎がだいたいどこにあるかだけ教えてくれ」
「アレク様、ご心配なく。私も同行いたします。自慢ではありませんが、私も一軍団の長。それなりに死線を超えてきました」
「そう、か。では、案内を頼む」
「はい、お任せを!」
セレーナは力強く頷くと、城門の向こうの道に目を向けた。
「丘の上の都市ということで、やはり庁舎などは一番高い場所にあるでしょう。この門から続く大通りを進めば着くはずです」
エリシアが周囲を見て言う。
「いつ襲われてもおかしくない。慎重にいきましょう。ユーリは帰らなくて大丈夫です?」
「こ、ここまできて留守番なんて嫌よ。セレーナには負けたくないし」
その言葉にセレーナは笑みを浮かべる。
「よく言った、ユーリ! それでは私と頂上まで競争だ!」
「慎重にいくってエリシアの話、聞いてなかったの? って、ちょっと」
セレーナは臆することなく、ヴェルムの門をくぐった。
俺たちもその後を追い、ヴェルムの中心を目指すのだった。