90話 湖の島
都市の遺跡を発見した俺たちは、再び北東を目指して街道を進んでいた。
すっかり魔物も襲ってこなくなったのか、ユーリは鼻歌を響かせ陽気に喋る。
「魔物がいなくて快適快適! そういえばさ、ここって大陸の東岸になるわけだよね。このまま北東に行くとどうなるの?」
俺は地図を思い出しながら答える。
「ティアルス州に接するのは北のローブリア伯領だけ。しかしそのローブリアも山脈に守られた西側の海岸と周辺地域にしか支配が及んでいない。だから今は人間は誰も住んでいないだろうな」
「なるほど。じゃあ、私たちの領地にしちゃってもいいわけですね」
「そういうことになるな。まあティアルスでもこれだけの土地があるから、そこまで開拓できるとは思わないけど……っとまた街道の先が」
緩やかな坂を少し登るとまた下り坂になるらしい。景色が開けてくるはずだ。
ラーンが言う。
「先ほどのようにまた何か遺跡が見えてくるかもしれませんね」
「今度こそは何か使えるものがあるかも!」
目を輝かせるユーリにエリシアは落ち着いた様子で答える。
「油断してはダメですよ。巨大な芋虫が出てくるかもしれません」
「もう怖がらせても無駄よ。さっ、行きましょう」
ユーリはそう言って先頭を歩いていった。
魔物がいなくなってユーリにも余裕ができたのかもしれない。
だが、どこか意識して明るく振る舞っているような……そんな気もした。
考えられる理由は一つ。
先ほどから物憂げな顔をするセレーナのせいだろう。いつもより明らかに口数が少ない。
底抜けに明るいセレーナに代わって、ユーリは明るく振る舞っているのだ。
調子が悪いか、悪い物でも食べたか……
いや、先ほどの遺構を見るまでセレーナは元気だった。
何かを思い出したか。あるいは色々と遺構について推察しているのか、だな。
セレーナと会った当初、彼女は今と同じような顔を見せたことがある。アルス島地下で元住民の遺体を見た時も、あんな顔をしていた。
はるか昔、黒衣の女にアルス島の人々は殺された。建物と彼らの遺骸を別として、都市は破壊され尽くした。
黒衣の女が人間かそうでないかは分からない。
しかし軍隊を打ち倒すだけでなく市民すらも殺した……帝国かアルスに相当な恨みがあったのだろう。
仮定の話に過ぎないが、先ほどの遺構がもし帝国の手によって滅ぼされていたとしたら……その都市の生き残りは、帝国とアルスを許さないはず。
黒衣の女もあの遺構の生き残りだったとしたら……
と、本当に推測の域を出ないな。
ただセレーナもそんなことを考えているのかもしれない。
俺はセレーナに声をかける。
「セレーナ」
「うん? ……あ、アレク様! すいません、考え事を」
セレーナは歩みを止め、慌てて頭を下げてきた。
「いや、いいんだ。ただ、セレーナは今、俺たちの仲間だ。それを忘れるな」
「アレク、様……」
セレーナはハッとしたような顔をする。
「ありがとうございます。アレク様はお察しかもしれませんが、私はもはや知りようもないことに頭を悩ませていました」
「そうか。だが推理は俺も好きだ。もしよかったら一緒に推理させてくれ」
「ははは。私は頭が悪いのでアレク様のお知恵を借りられるなら助かります。今度はぜひそうさせてください!」
俺が頷くと、セレーナは笑顔を返してくれた。
ユーリはニヤニヤとセレーナを見る。
「おやおや、一人だけアレク様と仲良くしちゃって」
「仲良くなどしていない! そんなことよりユーリ、登りきるまで競争だ!」
セレーナはいつもの元気な調子で坂を走っていった。
どうやら元気を取り戻してくれたようだ。
セレーナはこうじゃないとな。
俺たちもその後を追い、坂を上がっていく。
だが自然と足が遅くなってきた。
坂道がきついからではない。
……魔力の反応?
坂の向こうから無数の魔力の反応を感じとった。
どれも丸みを帯びた魔力の形でその場で静止している。
身を丸めているデススネークだろうか。
「皆、気をつけろ。少し様子がおかしい」
俺の言葉に皆こくりと頷く。セレーナも走るのをやめ、こちらと歩調を合わせた。
それから俺たちは恐る恐る坂道を上った。
「これは……」
目の前には言葉を失う光景があった。
海と見紛うような巨大な湖。ゆらゆらと揺れる水面が金色の輝きを放っている。
ユーリが声を上げる…
「おお、絶景!!」
セレーナもこくりと頷く。
「海と勘違いするほど大きいな!」
「本当に……でも、魔物は見当たりませんね」
エリシアは湖と周辺を見渡しながら言った。
「地上じゃない……これは皆湖にいるな」
「地中ではなく水中ですか。ついにデススネークとアロークロウ以外の魔物が」
ラーンがそう言うと、ユーリは顔を曇らせる。
「せっかく水浴びできると思ったのに……となると、近づかない方が良さそうね」
「だが……よく見てみろ、湖の中央に島が見えるぞ」
セレーナのいう通り、湖に小さな島がポツンと浮かんでいた。
その島の上には、これまた小ぶりな林があった。
「うわあ……絶対何かありそうな雰囲気」
ユーリの言う通り、いかにも何かが眠ってそうな場所だ。
「でも湖を渡るのは……って別に湖の上を渡る必要はないんだ」
ユーリは俺を見てそう言い直した。
目に見える場所に俺は転移できる。
このまま一気に転移すれば、船を作る必要はない。
俺は頷いて答える。
「ああ。転移すればいい。そうすれば湖の魔力とも無縁だ……皆、いくぞ!」
そうして俺は湖の上に浮かぶ島へと転移した。
「と、着いたぞ」
「さすがです、アレク様」
エリシアはそう言って俺を讃えてくれた。
ラーンは周囲を見ながら続ける。
「林自体は、どこにでもある感じですね」
「遺構のようなものも見えないな」
セレーナも周りを確認しながら言った。
「ああ。だが、中央に気になる魔力の反応がある」
とても小さな反応。しかしあまりにも濃くはっきりしている。
魔力を宿した何かがある……貴重なものに違いない。
「よし、行こう……いや、待て」
俺は突然水中の魔力が高速で動き出したことに気がつく。
四方八方から、俺たち目掛け接近してきた。
「まずい。水中の奴らが俺たちに気がついたようだ。対岸に戻るか」
「アレク様、一度、どんな者たちか潜んでいるか確認してもよろしいかと」
エリシアのいう通り、確かにこの丸い反応は気になる。
「分かった、一度様子を窺おう。皆、一応、応戦の準備を」
俺の言葉に皆頷く。
それから間も無く、湖に無数の水柱が立つのだった。