80話 順風満帆
クラーケンを倒した俺たちは、先ほど沈んだ至聖教団の艦隊の救援を行っていた。
教団の者たちは青髪族によってボートに引き上げられ、俺たちのマーレアス号ではなく近くの商船へと連れていかれた。
ユーリがその様子を確認して言う。
「よしよし。これで全員のようですね。もともと商船に移乗させるつもりだったとはいえ……誰も私たちの船には乗りたがりませんでしたねえ」
「俺の船だからだろう。それに……別にこっちだって会いたくない」
至聖教団のやつらにとって、闇の紋章を持つ俺は悪魔に等しい存在。そんな男とその仲間の力は借りたくないのだ。
とはいえボートで助けられてる時点で、俺たちに助けられているようなものだ。少しは恩義を感じてくれるといいが。
「まあ、これに懲りてこんな馬鹿なこと辞めてくれるのを願うばかりだ……」
俺の声にユーリが頷く。
「さすがに生きた心地しなかったでしょうからね……海に出るの怖くなるかも。おっ」
そんな中、すっと黒装束の二人が船上の転移柱から現れた。今一度帝都のビュリオスを探らせていたティカとネイトだ。
「遅れて申し訳ありません、アレク様」
「申し訳ありません、アレク様」
「おお、二人とも悪いな。それでどうだった?」
俺の声にティカがこくりと頷く。
「帝都のビュリオス、ルイベル殿下、どちらもいつもと変わりない様子でした。ビュリオスに関してはちょうど伝書鳩でこの艦隊が沈んだことを知ったようで」
「何をやっているんだばっかもーん、って机をどんどん叩いてました」
ネイトはいつもの抑揚のない声を発しながら、机を叩く仕草をした。
ビュリオスの憤慨した顔が頭に浮かぶ。
前のルイベルを置き去りにした失態に加え、教団が五隻の戦列艦を喪失した……戦列艦一隻の造船に必要な木材は森林一つとも言われているし、相当な痛手だ。
俺は、海を漂う無数の本……至聖典を見ながら言う。
至聖教団だからといって殺生はしたくないが、奴らの資産や兵器を削いでいけば勢力を弱めることができるかもしれない。
エリシアもどこか安心したような顔で微笑む。
「これで安心してミレスに行けますね! むしろ、ビュリオスはもっと状況が悪くなったでしょう」
「ああ、そうだな。それに」
俺は甲板から海を眺める。
海中には影輪で身を隠した龍人たちが、クラーケンの触手を切り分けて回収してくれている。
すでに船上には龍人たちが運んできたクラーケンの肉が大量に積まれていた。それをスライムや鼠人が転移柱を通じて、アルスの冷凍庫へと運んでいく。
「あれだけでも当分食料は困らないな……少し売ってもいいぐらいだ。高値で売れるし」
そんな中、回収作業に参加していたラーンが戻ってくる。
「回収のほう、順調です。あと三十分もいただければ全て回収できるかと」
「そ、そんなに早く?」
驚いた。龍人たちの、クラーケンを解体する速度はたしかに凄まじい。もともと漁には慣れているからだな。
それにドラゴンの姿となった龍人たちは力持ちで、大量に肉を運べていた。
「ユーリ様や青髪族の方々が、よく切れるナイフを作ってくださいましたからね!」
「どういたしまして! 龍人たちも色々すごいけど……アレク様の魔法もすごかったですね」
セレーナもうんうんと頷く。
「船からもばっちり見えてました! いやあ日を追うごとにアレク様の魔法は強くなっていきますね!」
龍人を仲間にしてから、たしかに俺の魔法は威力を増したように思える。
エリシアが去っていく商船を見ながら呟く。
「ええ。至聖教団の者たちも驚いたでしょう……それでは、せっかくですから今日の夕食は取れたてのクラーケンの肉といたしましょうか?」
「賛成!」
ユーリが言うと皆もうんと頷いた。
それからクラーケンを回収し眷属たちが帰還すると、俺たちはミレスへの航海を再開した。
夜になると、マーレアス号の船上にはテーブルと椅子が並べられていた。
卓上には今日倒したクラーケンの肉を使った料理が所狭しと並べられている。海風を浴びながらの夕食だ。
「いただきます! おお、美味い!」
眷属たちの評判は上々のようだ。
エリシアが俺の隣で料理を説明してくれる。
「こちらがステーキ、こちらはパスタにリゾット、ビネガー漬け。全てクラーケンの肉が使われています。あと、これはちょっと驚いたのですが……」
エリシアは不安そうな顔のラーンに顔を向ける。
「無理はなさらないでください。ただこれは生でも、とても美味しく食べられまして! そちらの魚醤につけて召し上がってください」
「……ぎょ、魚介を生で食べるのか?」
セレーナはそう言って、フォークに突き刺したクラーケンの肉を恐る恐る見つめる。
薄く切られた白い身だ。見ためだけならぷりぷりとしていて、美味しそうだ。
「はい。私たちはよく生で食べて、刺身などと呼んでおります。もちろん、生で食べられない魚と食べられる魚がございますが、こちらは生でも問題ございません。腹を下す原因になる虫が全く見当たりませんでした」
ラーンが言うように、多くの龍人たちが生のクラーケンの肉を美味しそうに食べている。青髪族や鼠族たちもそれを見て食べ始めるが、皆なかなか気に入っているようだ。
エリシアも頷いて言う。
「私も味見をしましたが特に問題はないかと……それに本当に美味しくて」
「二人がそう言うんだ。俺も食べてみよう」
フォークでクラーケンの肉を口に運ぶ。
「……おお!」
ぷりっとした食感と程よい弾力。口の中で溶ける脂が魚醤とよく合う……
やがてセレーナや他の眷属たちも刺身を食べた。
「……美味いな」
セレーナはそう言うと、ぱくぱくと刺身を口に運んでいく。他の者たちも同様に。
それを見たエリシアがラーンに顔を向ける。
「ふふ。皆も気に入ってくれたようですね。よかったら、他にも東方伝来の料理を教えてください」
「もちろんです」
ラーンも嬉しそうな顔で頷く。
他の眷属たちも龍人たちと、刺身について会話を弾ませている。
……よかった。この航海で更に打ち解けたな。
その後も俺たちはクラーケンの肉を堪能した。
食事の後は船尾楼の中にある窓付きの船内浴場に浸かり、海風を感じながら夜空を眺めた。エリシアたちが覗き穴からちらちら見てくる以外は、とても快適な浴場だった。
そうして翌々日の朝、マーレアス号はミレス沖へと到達するのだった。