64話 出航
「なかなか上手いじゃないか」
「風向きに気を遣わないでいい分、舵に集中できますからね」
舵を取るユーリはそう答えた。
俺たちは今、エネトア商会の船──マーレアス号の船上にいる。
改装が済んで、航海の訓練をしながら数日。ユーリや他の亜人たちはなかなか上手く船を操作できるようになっていた。
セレーナが舵を握った時は速度を出しすぎて危うく転覆しかけたが……
ともかく、俺たちはこのマーレアス号でルクス湾の調査に向かうことにした。
先ほど港湾区を出た時もそうだったが、近くの船の船員たちの誰もがマーレアス号に目を向けてきた。
無理もない。以前までの落ち着いた見た目のマーレアス号とは違う。
今では、ミスリルや金銀でやたらキラキラとした船となってしまったのだ……
「ミスリルの板や盾は仕方ないとして、金のランプなんて必要あったか?」
俺は船尾にある大きなランプを見て言った。
人が一人中に入れそうな大きさだ。中にはミスリルの柱が見える。
ユーリはこう答える。
「夜の海は予想以上に暗いですし、いざとなれば聖魔法を放てるようになっています」
「なるほど……しかし、目立つな」
船首にはドラゴンの顔の彫刻が彫ってある。その口にはこれまたミスリルが使われており、炎魔法、聖魔法、闇魔法を放てるようになっていた。
攻撃も守備も見た目も、皇子が乗るに相応しい船……とは言えるだろう。個人的にはもう少し落ち着いた見た目にしたかったが。
「まあ、このほうがむしろ都合がいいか」
俺の言葉に、エリシアが頷く。
「敵が襲う船を選んでいるとしたら、この船は絶対に目に付くはずです」
「ああ……恐らくは、金品を積んでそうな船を選んで襲っているからな」
襲われているのは、皇族と貴族の船ばかり。一部裕福そうな商人の船も襲われてはいるようだが、漁師の船などはあまり被害を受けていない。最近はそもそも、漁師の船があまり陸地から離れないというのもあるが。
セレーナはこう呟く。
「光る物が好き、か……なんだか、カラスみたいだな」
「人間は……まずないのでしょうが、魔王軍の可能性もありそうですね」
エリシアの言う通り、魔王軍が帝国経済に打撃を与えるために船を襲っている可能性もある。あるいは金品を奪うためにやっていたりするかもしれない。
いずれにせよ、敵は海中に潜んでいるということぐらいしか分かってない。
「色々な可能性が考えられるな……ともかく、ルクス防衛艦隊の旗艦に向かおう。ヴィルタスや貴族たちが集まっているはずだ」
それから、帝都の南に船を走らせること三十分ほど、やがて三十隻以上の大型船が集結している場所が見えてきた。
皇族座乗を示す黄金の信号旗が見える巨大な船が見える。あれが旗艦だ。
俺はボートに乗り換えると、セレーナにオールを漕いでもらい旗艦へ向かった。供はエリシアとセレーナのみだ。
旗艦から折り畳み式の階段を下ろされると、俺はそれを上がり上甲板へと向かった。
目の前には海軍を指揮する貴族たちが三十名ほど集まっている。
貴族たちは、ある男に視線を向けていた。
「然るに、この海域の安全を取り戻すことは、帝国全体の安全を取り戻すことと同義である……各々方、一層奮起するように」
ヴィルタスの声が響くと、貴族たちはおうと声を上げる。
「よろしい。先程も言ったが、近日中にこの海域にはさる高貴なお方の船が通られる。できればそれまでに討伐できるといいのだが……そこまでは無理にしても、帝国貴族の威信にかけてその船をお守りせよ──おっ」
そう言うと、ヴィルタスは俺に気が付いたようだ。
「それでは諸君、後は頼む」
その声に、貴族たちは散っていった。
俺がヴィルタスに近付いていく一方で、周囲はさあ頑張るぞとあまり俺には気を留めなかった。
随分と張り切っている様子だ。ヴィルタスの演説が上手かったからだろうか……? 最後のほうしか聞いていないが無難な感じではあった。
「来たな、アレク」
「ああ。しかしもう演説を始めていたか」
それならば俺をここに呼ぶ必要はなかったのでは……まあ、こちらは海軍の掴んでいる情報を掴みたいだけだったが。
「まあな……そんなことより、アレク。調査の段取りを決めよう」
「……? ああ」
演説について答えないヴィルタスに少し違和感を覚えつつも、俺はヴィルタスの後を追う。
ヴィルタスは船尾に向かうと、置かれた巨大な円卓の前で足を止めた。円卓の上にはルクス湾の地図が敷かれており、その上には海軍を示す駒、件の魔物らしき彫刻が置かれていた。
バツ印が各所にあるのは、魔物に襲われた場所ということだろう。どちらかと言えば、陸地から遠い場所が多いな。
「昨日、東部のバラニア公の輸送船が襲われた。それが、ここから南東の地点。目でも見える場所だな」
ヴィルタスは南東の海上を見て言った。マーレアス号で十分もあれば着く距離だ。
気が付けば、周囲の船は帆を広げていた。まとまってというより、周囲に散って捜索するらしい。一部の船はすでに遠くの方へと探索に出ている。
俺はヴィルタスに視線を戻して訊ねる。
「近いな……バラニア公の船は一隻だったのか?」
「ああ。巨大船だからと油断していたようだな。そして襲われる船は決まって、一隻で航行している船だ。海軍が救援にかけつけたときには、すでに船を沈められている」
「生き残った船員はいるんだよな?」
「ああ。むしろ、死者は少ない。泳げないで溺死した者がいるぐらいだ」
「物も奪わず、船を沈めるだけか。その割には、襲う船を選んでいるようだが……やはり魔王軍の仕業だろうか」
「水上に姿を現さない以上、なんとも言えないな」
「そうだな……それで、他の船はどう調べるつもりだ?」
「動き回って探すだろう」
再び俺は周囲の船に目を向ける。まとまって動くのではなく、周囲に散開している。
ヴィルタスの言う通り、虱潰しに探すようだ。
「せめて、まとまって探したほうがいいと思うがな……」
「ああ、だが皆、まとまっていると向こうが襲ってこないのを知っている。最低限、互いを救援できる距離は維持するだろう」
その割には結構離れていく気がするが……あっ。
南に向かった船が、急に揺れ出した。
「まずい! 襲われている!」
船員たちの誰もが、焦るような声を上げた。マリンベルを鳴らし、周囲に注意を促している。
しかしそんな中、ヴィルタスは落ち着いた様子で言う。
「すぐに向かおう」
「……ああ」
俺はマーレアス号に戻ると、襲われている船のもとへ急行するのだった。