61話 陰謀
ついに迎えたエネトア商会の営業再開の日。
万国通りに立つ俺の前には、多くの客で賑わうエネトア商会があった。
「意外だな」
ここまで客が来るとは……
特別何か広告を打ったわけでもなければ、客引きをしているわけでもない。
エネトア商会の看板を掲げ扉を開いただけで、徐々に客が増えてきたのだ。
やがて、花束を抱えた客も目に付くようになる。営業再開祝いか、あるいはエネトアへの手向けだろうか。
いずれにせよ、エネトア商会の営業再開を心待ちにしていた人々だろう。
エリシアがそれを見て言った。
「もともと、エネトアさんは皆から好かれていたのでしょう」
「トーレアスのことも最期まで黙っていたんだ。いい人だったんだろう……」
俺は本部の前に置いた白いカラスの模型を見て呟く。
トーレアス商会にあった模型で、トーレアスが物憂げな顔で見つめていたものだ。
底にはエネトアと記されていたので俺たちの資産として持ち帰ったが、よく見ると小さくトーレアスの帝都進出を祝うと記されていた。つまりは、エネトアがトーレアスに送った開店祝いだった。
この一件がなければどうなっていたか……
しかし過ぎたことを悔やんでも仕方がない。
俺はエネトア商会をこれからも繁盛させる。そしてやはりエネトアやトーレアスのように闇の紋を持つ者たちを支援できるようになりたい。
「……とにかく、店のほうは大丈夫みたいだな。それじゃあ俺は宮殿に行かないと」
「ようやく謁見の許可が下りたのでしたね」
「ああ、ヴィルタスと俺……父としてはどっちも会いたくないのに、それが一緒に会いにくるとなれば」
「引き延ばしたくもなるわけですね」
エリシアの声に俺は頷く。
「ルイベルだけでなく、重鎮や側近で身辺を固めているだろうな。まあ、俺がミレスに行きたいと聞いたら拍子抜けするだろうけど……」
皇帝にとっては俺がミレスに行こうが帝都の学校に行こうが、本音ではどうでもいいはずだ。ルイベルの願いでもなければ、俺を呼び戻すこともなかっただろう。
ヴィルタスの口添えがあればそう難しい問題ではないはずだ。
唯一の不安はそのヴィルタスぐらいか。皇帝が一度断っただけで引き下がる可能性もある。
とはいえ、ヴィルタスが帝位を狙うとするなら、俺が帝都から離れていたほうが色々と楽だと思うが……
「やはり宮殿は色々と思惑が渦巻いていて、面倒だな……」
「ミレスにしろアルスにしろ、早く帝都から立ち去りたいですね」
「ああ……とにかく、行こう……」
そうして俺は宮殿に戻り、皇帝の間へと入った。
今日は皇帝の間に控える貴族たちが心なしか少ない。それでも俺を恐れるような視線は相変わらずだが。
皇帝がふんぞり返る玉座へ近づいていくと、まずヴィルタスが目に入った。
その周囲には、皇帝の側近の姿がある。
しかしルイベルとビュリオスはいない。
……ルイベルがいない?
そもそも俺を学校に通わせようと宮殿に帰還させたのはルイベルだ。
俺に執着しなくなったか、あるいは飽きたか。恩に感じて……ということはないだろうな。
とにかく、この調子ならむしろ都合がよさそうだ。
ヴィルタスは俺に振り返る。
一緒に皇帝の間に入るつもりだったが、先に皇帝と謁見していたか……すでに話を通してくれているのだろうか。
「待ってたぞ。我らが陛下がお待ちだ」
俺はヴィルタスの声にこくりと頷くと、その隣に立ち、共に片膝を突いた。
「二人とも、顔を上げよ」
顔を上げると、そこにはいらついた様子の皇帝が。
俺たちが憎たらしい……というわけではなく、心ここにあらずといった様子。ルイベルが原因なのだろうか、それとも他に何かあったか。
「それで、二人してなんだ?」
突き放すように言う皇帝。さっさと済ませたいという思いがひしひしと伝わってくる。
俺が言うか、ヴィルタスが言うか迷った。
しかしヴィルタスが口を開いてくれた。
「陛下。この度は、アレクについて頼みがあってまいりました。もちろん、ただでとは言いません」
「ふむ……なにが望みだ?」
「実は、アレクがミレスへと留学したいようなのです」
「ミレス?」
皇帝はやはりというか拍子抜けしたような顔をした。
ヴィルタスはまだこの件について話してなかったようだ。
「つまり……帝都の魔法学院に通わず、ミレスの大学で勉学に励むと?」
俺ははいと頷く。
ヴィルタスが言う。
「帝都の魔法学院ではアレクは目立ちます。通わせれば陛下のご威光にも何か傷がつくと思われます。私としても、アレクはミレスへやったほうが良いと思います」
皇帝は少し迷うような顔をする。
やはり想定していたのは帝都の魔法学院に俺を通わせることだったのだろう。ルイベルもそう望んでいたのは知っているはずだ。
だがここにルイベルはいない。皇帝もルイベルが俺に飽きたと判断したのか、首を縦に振った。
「よい。いけばよい」
「ありがとうございます、陛下」
俺はすぐに頭を下げた。
ずいぶんとあっさり承諾されてしまった。
ヴィルタスの口添えがなくても上手くいったのではと思ってしまうぐらいだ。
ともかく、これでミレスに悠々自適に過ごせる……やり直し前もミレスには興味があったから尚更嬉しい。
皇帝はすぐに手を振った。
「それだけか? ならば、行け」
俺は再び深く頭を下げ退出しようとする。
しかしヴィルタスがこう言った。
「陛下……アレクがミレスに行くのです。あの件に関しては話さなくていいのですか?」
「ワシがアレクを見殺しにするとでも言いたいのか?」
「まさか! 話そうが話すまいが、港からは船は出せないでしょうから!」
ヴィルタスはそう答えた。
「船を出せない?」
俺が訊ねると、皇帝は面倒臭そうな顔で言う。
「ルクス湾で、船が相次いで沈められておるのだ」
ルクス湾は、帝都のあるルクス半島の三方を囲む湾だ。この湾からルクス海峡を通って南に出ると、ルクシア海という世界に繋がる地中海に出る。逆を言うと、ルクス湾が封鎖されると帝都と世界との航路は遮断されてしまう。
「西方諸侯からの陛下への貢物を積んだ船も沈められてな。どうにも、向こうはある程度襲う船を選んでいるらしい。海棲の魔物にしては、少し頭が良すぎる」
ヴィルタスの声に、皇帝は歯ぎしりするがすぐにこう答える。
「だから帝都からはしばらく船は出せんだろう、ということだ」
「なるほど……」
ならば、別の港町から出る客船で向かうだけだ。旅程も長くて五日ほどの違いしか出ないだろう。そもそも、ミレスの入学試験までは半年以上ある。
しかしルクス湾の魔物か……やり直し前もそんな話を聞いた。
たしか一年ほど海軍が討伐のために周辺を捜索したけど、結局探し当てられなかったんだよな。帝国貴族はもちろん、海外の王族を乗せた船まで被害にあったとか。帝国は首都の近辺すら安全を保てないと、海外から嘲笑されることにもなった。
今も貴族が少ないのは、討伐のために出払っているからかもしれない。
そんな中、ヴィルタスはこんなことを口にし始めた。
「陛下、せっかくです。例の調査と海軍視察、アレクに任せてはいかがでしょう?」
「何?」
「海棲の魔物……どうせ、見つからないでしょう。しかし陛下のお立場からすれば、放っておくわけにもいかない。兄上や姉上方も少々お忙しい」
「それはそうだ、しかしこやつは……いや」
皇帝はヴィルタスの顔を見て、何か気が付くような顔をする。
それから少しして、何か悪だくみするように口角を上げた。
「なるほど……よし、そうしよう! ……アレク! お主にルクス湾に出没する魔物の調査を任ずる!」
俺は思わず横目でヴィルタスを睨んだ。
相手は船を選んで襲っている。
俺が皇族ということを知れば襲ってくる可能性もある。皇帝も俺を餌に魔物をつり出すつもりだろう。
敵でない、という言葉は嘘だったのだろうか……?
俺はヴィルタスを問いただそうとした。
しかし、皇帝はこうも続けた。
「だが……海軍の慰問はアレクではやはり心許ない……ヴィルタス、お前も同行するのだ!」
「お、俺も!? ま、待ってください!」
「元はと言えば、お前がアレクについて頼みごとをしたのだ! 聞き入れる代価と思え!! ただではないと自分で言っただろ? ……それでは二人とも、明日にはルクス湾に向かうように!!」
皇帝はそう言うと、肩の荷が下りたような顔をして皇帝の間を出ていくのだった。
俺はヴィルタスをじいっと見る。
するとヴィルタスは、ばつが悪そうな顔で目を逸らすのだった。