51話 兄
ベッドに腰を落とす褐色肌の少年が、第四皇子ヴィルタスだ。
まだ十三歳にしては大人びて見える。
すでに成人男性と同じぐらいの背の高さで、やり直し前も常に俺の兄であり続けたからそう見えるのだろうか。あるいは周囲に魔族の女性を侍らせているからかもしれない。
ヴィルタスは短いブロンドの髪を揺らし、切れ長の目をこちらに向ける。
「おう、来たか」
まるで俺が来ることを予期していたかのように、ヴィルタスは言った。
俺が訪ねてくると、ヴィルタスは必ず今の言葉を口にした。
だから、どこか安心感を覚える……もしかしたらヴィルタスはやり直しのことを知っているのでは。そんな錯覚に陥いる。
ヴィルタスは口を開く。
「聞いたぞ。どうせ、学校に行きたくないから、俺に知恵を貸してほしいんだろ? 俺も、あそこは騒々しくて嫌いだ……気持ちはよく分かる」
学校に対する嫌という気持ちは、ヴィルタスと俺では少し意味合いが異なる。
俺は言わずもがな闇の紋章をなじられるから。
一方のヴィルタスは、その容姿と【万神】の紋章のせいで、廊下を歩くだけでご令嬢方が集まってくる。生徒のみならず熟年の教師に至るまで。
うらやましいとは思わない。いちいち騒がれたらそれは面倒だろう
ヴィルタスも、俺が学校を嫌な気持ちを分かってくれているのだ。騒がられるという意味では、同じだからだ。
やはり安心感を覚える。幼くなってもヴィルタスはヴィルタスだと。
置かれた境遇は正反対の俺たちだが、不思議と意気投合することは多かった。よく競馬や戦車競技を一緒に見に行った。特に、金に関する話題ばかりだったが……
それに皇帝にとって本音では消えてほしい存在……ということは、俺とヴィルタスの共通点でもある。
ヴィルタスはニヤリと笑う。
「しかし、金貨百枚もよく用意できたな! さぼるための口添えならいくらでもしてやろう」
「口添えだけで百枚は破格だ。全部合わせて、百枚の商談だ」
俺がそう言うと、ヴィルタスはこちらを怪しそうに見つめてくる。
「お前……いつからそんな大人みたいな口を利くようになったんだ?」
「こんな場所で駄目な大人みたいに遊び呆けている奴が言えることか?」
ヴィルタスはそれを聞いてははっと笑った。
「もともと大人びているところはあると思ったが、ここまでとはな。まあ、俺も紋章を授かった後、すぐ自分で金を稼ごうとしたわけだし……それで、何が欲しい? まだ遊びたい年じゃないよな?」
「土地と建物がほしい」
「ほう。土地と建物か……どこらへんのだ?」」
「商業区がいい。できるかぎり、人通りが多い場所。できれば中庭付きで、四、五階建ての建物を」
「確かに金貨百枚の案件だな。しかし、アレクよ……」
首を横に振り、ヴィルタスは続ける。
「商売やるなら、最初は小さく始めたほうがいい……いきなり大きくやろうとすると、地獄を見るぞ!」
心底心配そうな顔を見せるヴィルタス。
自分はそれで失敗したと言いたいのだろう。
ヴィルタスは、魔族の女性から綺麗に剥かれたリンゴを差し出されると、それを食べながら言う。
「金貨と言わず、銀貨でどっか通りに面した建物の下層を貸してやる。そこでまず、こつこつ稼げ……何やろうとしているのか知らないが、そこの綺麗な姉ちゃんがいれば、男がほいほい近づいてくるだろう。なんなら、この姉ちゃんを俺の店で」
色目を使うヴィルタスに、エリシアは汚物を見るような目を向ける。
ヴィルタスは怒らず、恍惚とした表情で「世界で一番美しい……」と呟いた。
すぐに、その頬を隣の魔族の女性が頬く。
「もう、ヴィルタス様! さっきは私が一番って言ったのに!」
「昨日は私が一番って言ってた!」
魔族たちの声に、ヴィルタスは慌てて答える。
「み、皆一番だ! それでいいじゃないか!」
俺は魔族にもみくちゃにされるヴィルタスに溜息をもらす。
「……助言は感謝する。たしかに俺もそうすべきだと思う。でも、俺がやりたいのは商売じゃない……いや、商売もやりたいんだが」
そう話すとヴィルタスは林檎を食べる手を止めて、驚くような顔をする。
「まさか──謀反!?」
「落ち着け! 話が飛躍しすぎだ……単に、宮殿の中だと居場所がないだけだ。ヴィルタスにも分かるだろ?」
「なるほど……ルイベルはお前のことが気になって仕方ないみたいだからな。以前、俺にもアレクがいないか使いの者に聞かせに来たよ。今思えば、あの使いは」
俺はこくりと頷く。
「色々と面倒ごとに巻き込まれそうで……だから、拠点が欲しいんだ。それも、俺の拠点と分からないような拠点を」
「正規に商人から購入すれば、足が付く。だから俺を頼ったわけだな」
ユーリあたりを長に商会を立ち上げようと考えていた。俺が長なら必ずルイベルなり神殿なりから嫌がらせを受ける。
表向きには、俺とは無関係の人間が営む商会と見せるわけだ。
「そういうことだ。そしてもう一つ、それは学校のことだ」
「うん? さぼるために、その拠点に引き籠りたいって話じゃないのか?」
「そういう使い道もできるが……そもそも俺は帝都の魔法学院に通いたくないんだ」
「となると……地方はあり得ない。だから外国の学校……しかし、帝国はほとんどの国と仲が良くない。皇帝が許すとしたら」
「ああ」
ヴィルタスは林檎をかじって言う。
「ミレス、か」
そこぐらいしか皇帝も許さないとヴィルタスも思ったようだ。
俺はヴィルタスに言う。
「だから口添えを頼みたい。俺がミレスに行けるように」
「思ったより無理難題を言うな……悪いが金貨百枚じゃ見合わない」
「分かっている。そこは交渉次第だと思っていた」
そう答えると、ヴィルタスは真剣な顔で言う。
「……だいたい、ミレスに行ってどうする?」
「闇の魔法を研究したい」
「あれは、人ならざる者の魔法だ。そんなもの研究しても銅貨の欠片にもならない」
ヴィルタスは素っ気なく答えた。
儲けにならないのにばかばかしい……ヴィルタスはいつもお金にならないことには、恐ろしく淡泊だ。
俺はこう答える。
「いや、巨万の富を得られる……はずだ」
「はず?」
「つまりは、賭けみたいなものだ」
「命を賭けてか?」
「ああ」
それを聞いたヴィルタスは難しそうな顔をする。
「悪いが……学校については賛成できん。素直に帝都の学校通って、さぼっておけ」
俺がまだ子供だからだろう。
命を賭けるなんて馬鹿なことを言うなという、ヴィルタスなりの優しさだ。
もう少し俺が大人なら、笑って馬鹿だなと首を縦に振ってくれたはずだ。
「そうか。なら、何度でも出直すよ。俺には、ヴィルタスしか頼れない」
「何度来ても同じだ。それに泣き落としは勘弁してくれよ……」
ヴィルタスは、だがと続ける。
「……まあ、拠点についてはとりあえず話に乗ってやる」
「本当か?」
「ああ。しかもただでくれてやる」
「ただほど高い物はないと思うが……」
俺がそう言うと、ヴィルタスは深く頷く。
「手に余っている物件があるんだ。ちょいと訳アリ物件でな」
「訳アリ……?」
恐る恐る訊ねると、ヴィルタスは血の気の引いた顔で呟く。
「ああ……出るんだ──お化けが!!」
突如驚かせるように声を上げたヴィルタスに、周囲の魔族たちはきゃあ怖いとひっつく。
俺とエリシアはそれを聞いて、特に驚くこともなかった。
ヴィルタスは魔族にもみくちゃにされながら、不満そうな顔を俺に向ける。
「おいおい、そこは怖がるとこだろうよ! 全く子供らしくないな……」
「お互い様だろ……それにお化けは」
俺はエリシアに視線を向ける。
「ええ。慣れてますから」
そうエリシアは笑顔で答えるのだった。