38話 客
俺は、テーブルの上に置かれた杯に両手を向けていた。
これはユーリが作ってくれたミスリルの杯だ。俺は今、その杯に魔力を送っている。
「こうして魔鉱石に魔力を送りながら、しばらくずっと魔法を念じる……すると、魔鉱石がその魔法を覚える。これが付与魔法だ……エリシア、持ってみて」
俺はエリシアに、付与魔法をかけたミスリルの杯を渡す。
「かけたのは《水球》。水杯って言われている魔導具だな」
魔導具とは、念じるだけで魔法が使える道具だ。
武具の場合は、魔導武具と呼んだりする。
「はい! ……あ、水が満たされましたね」
空だった水の杯は、ぽちゃんと水で満たされた。
ユーリが呟く。
「これで魔導具になるわけですね! 付与魔法をかけてない物はいくらでも作ったことはありますが」
魔導具は、魔鉱石を精錬した金属に付与魔法をかけて作られる。
魔法を使えない者や上手く扱えない者でも念じれば使える。また、自分に恩恵のない属性の魔法を付与した魔導武具を使うものも多い。
そのためか、魔鉱石同様に高値で取引されている。
「ああ。でも付与魔法で魔法を定着させるには時間が掛かる。この杯だけでも、十分はかかった」
でも、水魔法に恩恵のある者でも一時間以上かかると聞いたことがあるが……
単純に眷属のおかげで俺の魔力が増えたから、送れる魔力も増えたのかもしれない。
「それにどれだけ魔鉱石が魔力を集められるかにも依るから……その大きさなら《水球》は付与できるけど、《瀑布》とかの上位魔法は付与しても使えない」
基本的に、大きければ大きいほど強力な魔法を宿した魔導具になるわけだ。
すると、セレーナが思いついたように言う。
「では、アレク様の《転移》なども付与すれば!」
「ああ。俺がいなくても、皆がローブリオンとアルスを《転移》できるようになるな。そう思って、もう一つの杯にかけてみたんだが……とても魔力が足りないみたいだ。柱みたいな大きさのミスリルがないと厳しいかも」
「なるほど……そう簡単にはいかないわけですね」
ユーリが思い出したようにセレーナに訊ねる。
「そういえば、セレーナの鎧や剣も魔導武具だよね?」
「私の鎧は、回復効果のある《聖癒》とあらゆる属性の魔法の威力を弱める《光壁》がかけられている。鎧族たちは、《光壁》だけのようだな。私の剣は……もちろん私自身が付与した《炎刃》だ!」
「炎に炎か……熱そ。あ、でも私いいこと考えついたかも」
閃いたような顔のユーリに俺は訊ねる。
「いいこと?」
「アレク様、漁ができないか言ってたじゃないですか。それで……」
ユーリはすぐに魔鉱石のインゴットを溶かしていく。
それをトングで掴むと、糸のように細く長く伸ばしていった。
冷えた糸は何本かに切断し、それを束ねてより合わせ、縄のようにまとめていった。
感心したようにセレーナが言う。
「ほう。ミスリルの縄か」
「そう。それで、これに私が雷魔法を付与すれば」
俺はピンときた。
「漁網や釣り糸にすれば、雷魔法で魚を仕留められる」
水の中で雷魔法を使うと、拡散することが知られている。
セレーナがおおと声を上げる。
「ゴーレムは雷魔法が通用しない。ゴーレムに持たせれば、上手く漁ができそうだな」
「でしょ? あの巨体だとすぐに魚が逃げちゃうだろうけど、これなら魚の動きを封じて仕留められる」
自慢げに言うユーリに、エリシアがぼそりと言う。
「雷魔法を付与した棒を持たせて、それを魚群に投げればいい話では? 網は普通の網でいいわけですし」
「そ、それは……」
その言葉に、ユーリは返す言葉に詰まってしまう。
「むう……せっかくいい案だと思ったのに」
「まあまあ。せっかくだし一つ作ってみればいいじゃないか」
「あ、アレク様! ……本当に優しい」
ユーリは俺を見て、大げさにも涙を浮かべた。
「……いや、せっかくミスリルが大量に手に入るんだし、色んな魔導具も作っていきたい」
眷属たちの生活を豊かにするものや、高く売れそうなものを作っていきたい。色々試行錯誤してみるのもいいだろう。
セレーナが口を開く。
「なら、私は鼠人が簡単に火を起こせる魔導具を!」
「それもいいかもな。俺は冷凍できる魔導具なんかも良いんじゃないかなって思っている」
「なるほど色々考えて、あとで合わせることもできますね……うん?」
エリシアは外へと顔を向ける。
耳を澄ますと、外が何やら騒がしいことに俺も気が付いた。
「なんだろう?」
「お祭りでしょうか?」
エリシアの言うように、お祭りやパレードのような明るい騒がしさだった。
俺たちは一階の窓を開き、外を眺める。
そこでは、大通りの人々が皆、空を仰いでいた。上を指差し、歓声を送っている。
「なんだろう……あれは」
ふわっと柔らかな風が吹いてくると、大通りに見事な白い翼の馬が三騎降りてきた。
あの馬はペガサス……天使のような白い翼を生やした馬。聖獣と呼ばれる生物だ。
「あの綺麗な人たち、帰ってきたんだ! ギルドでついこの間現れた竜を倒しに行くって言ってたけど」
「ってことは、邪竜を倒したっていうのか!?」
「鐙に提げてあるあの角がそうだろう……たしか、隣の街でも邪竜を倒したとか」
邪竜は簡単に倒せる魔物ではない。
どうやら凄腕の冒険者が乗っていたようだ。
「さぞかし屈強な者たちなんだろうな……いや、あれは」
エリシアも目を丸くする。
「あの人たち……王都のギルドで見た」
ペガサスに乗っていたのは、俺も見覚えのある三人だった。
王都の冒険者ギルドですれ違った、三人……
短い銀髪の女の子と、重厚な鎧の女性、魔導士風の女性。
「ユリス……」
口からこぼれたのは、俺の元婚約者の名だった。
俺が帝都を出た数日後、ユリスは行方不明だと騒がれていた。
ユリスの髪は長かった。
だが、あの艶めきはユリスの髪……だから俺は、あの女の子がユリスだと思っていた。
ユーリが訊ねてくる。
「お知り合いで?」
「い、いや……一度帝都で見ただけだ」
「その割には、随分と動揺しておいでのようですが」
セレーナも首を傾げて言った。
動揺、しているのだろうか?
しかしあの女の子がユリスだったら、ひとまずは無事で安心できる。
でも、何故魔物退治なんて──っ!?
女の子はペガサスを降りると鎧の女性だけを伴い、なんと俺たちの拠点にすたすたと歩いてくる。
すぐに俺は物陰に向かう。
セレーナは不思議そうに訊ねてきた。
「あ、アレク様? どうしてそんなに慌てて」
「知人の可能性がある……」
「アレク様を訊ねに来たのではないですか? すでにここがアレク様の店というのは有名のようですし」
セレーナの言う通り、俺がいると思いユリスが訪ねてきた可能性はある。いや、ユリスが俺のことを気に留めているとはとても思えないけど……
「そ、そうかもしれないけど……とにかく、ユーリ。何か聞かれたら、今は俺はいないって言ってくれ」
「は、はい!」
ユーリはそう答えると、店舗スペースのカウンターの前で姿勢を正して立つ。
俺とエリシア、セレーナは《隠形》で姿を隠した。
女の子が入ってくると、ユーリは微笑んで挨拶する。
「いらっしゃいませ~。今日はどのようなご用でしょうか?」
「作ってほしいものがあるの。ここには、腕のいい職人が集まっていると聞いたわ。これを素材にして作ってくれる?」
女の子がそう言うと、鎧の女性は持っていた巨大な二本の角をカウンターに乗せてきた。
ユーリはそれを見て額から汗を流す。
「こ、これって」
「邪竜の角よ。一本は溶かして剣に。もう一つは杖二本にしてほしい。大きいのと小さいのの二本に分けてくれるかしら」
「か、かしこまりました」
「お願いするわ。お代はこれでいいかしら」
鎧の女性は、新たに大きな麻袋をカウンターにどさりと乗せた。
麻袋の口を開くと、ユーリは絶句する。
「こ、こんなに……えっと」
「ちょうど、金貨百枚よ。数えてあげて」
女の子の声に、鎧の女性は麻袋から金貨を出してカウンターに並べ始める。
どうやら麻袋には大量の金貨が入っているようだ。
ユーリはたまらず答える。
「ちょ、ちょっと待ってください! 素材を持ち込んでいただいているんです! さすがにこの金額は受取れません! せいぜい、金貨一枚がいいところです!」
「いいの。まさかこの街で優秀な職人に会えるとは思わなかったから。おかげで計画がもっと早く進められる……ここで武具を作るのは、金貨百枚でも安いぐらいの価値があるのよ」
何のことやらとユーリは困惑するような顔をする。
だが、とにかく急ぎというのは分かったのか、すぐにこう答えた。
「わ、分かりました! ともかく依頼の物は作らせていただきます! ですが、金貨一枚で結構です! ここで少しお待ちください!」
ユーリはそう言うと、角と黒い枝を持って後ろの作業場へと向かった。
セレーナが呟く。
「急ぎとはいえ、相場一枚の仕事に百枚出す……何者なんだ」
「強力な魔物を倒して回っているのでしょうかね。急がないと、その魔物が逃げてしまうとか」
エリシアの言葉どおり、大陸の中を大きく移動する魔物も多い。
特に邪竜は大陸中を飛び回り、人里を襲う。被害の大きさ、襲われた街の多さから沢山いると思われがちだが、実際は数体しかいないとも言われていた。
それを二体……たまたま近くを通って倒したのだろうか。
そんな中、ベンチに座る女の子と、それを立って見守る鎧の女性に、ユーリが茶を淹れて持ってくる。
「今、作らせています。一時間もすればできますよ。よろしければ、こちらをどうぞ」
「ありがとう。飲んだら、少し商品を見ていっても?」
「ええ、どうぞご覧ください。武具の手入れや修理も承ってますから、もしよろしければ仰ってくださいね」
ユーリはぺこりと頭を下げると、カウンターに戻ろうとする。
だが、女の子が呼び止めた。
「待って」
「はい、なんでしょう?」
「ここの主人……アレク殿下はいらっしゃる?」
「えっと……つい先日、帝都に帰られました」
「そう。殿下は、いつからここでお店を? あなたはいつから、アレク殿下にお仕えしているの?」
「そ、それは……」
「この街の人から聞いたわ。殿下が魔王軍の謀略を見抜き、この街を救ったって。殿下がいなければ、この街はもうなかった……本当に、アレク殿下がやったの?」
ユーリは返答に詰まる。
もしかしたら女の子が神殿の手の者かもしれない。
どう返答しようか迷っているのだ。
セレーナを代理として行かせるか。
紋章を授かる前は、俺の周りにはたくさんの取り巻きがいた。
だから、店を持っていたり部下がいるというのはそこまでおかしくない。
そう考えたが、女の子がこう言った。
「ごめんなさい……皇族の方のお店に、あれこれ失礼だったわ。あの金貨はお詫びとして受け取って」
「え? し、しかし」
「いいの。アレク殿下はそれに……ともかく、受け取って。私の無礼は、どうかそれで許してほしい」
女の子の「お願い」という切ない声に、ユーリは無言で頷くしかなかった。
それから女の子は、ナイフなど青髪族の商品をいくらか購入していった。
さすがにその代金はユーリも固辞し、金貨百枚だけを受取る。
「ありがとうございます……えっと、お名前は?」
「それはつまり、私のことを告げ口する気?」
「そ、そんなつもりは。ただ、こんな大金をいただいて、何も言わないわけには」
「そうね……リリー、よ。生まれは西部の辺境。商人の子よ」
ユリスの生まれは大陸北部にあるイリューリアだ。
だから、ユリスではない……いや、嘘を言っているのだ。
親は商人でもないし、名前もリリーではない。
あの子は、ユリスだ。
……でも、どうしてユリスはこんなところに? しかも、魔物を倒して。
俺がやり直し前と違う行動をしたから、ユリスもやり直し前と違う行動をし始めた……
【深淵】の紋章を授かった時、俺が笑ったせいか?
それとも、ルイベルと会わなかったから?
いずれにせよ、ユリスが魔物の討伐を始めるなんて考えもつかなかった。
女の子──いや、ユリスはそのまま店を出るとペガサスに乗り、仮面をつけた顔をこちらに向ける。
だがすぐに空へと上がり、北へと向かっていくのだった。




