182話 友人の帰国
リーナの協力を得た俺は、ミレス行きの準備をさらに続けた。
俺が関与するまでもなくユリスの活動は順調のようだった。毎日、邪竜の角をはじめとする素材をアルスに持ち帰り、魔族や鼠を連れてきてくれた。俺がやることといえば、皆を眷属化することぐらいだ。
相変わらず拝夜教団の足掛かりや、話の出来そうな邪竜は見つからない。それでも着実にその日のために力を蓄えられているのを実感する。
俺も……多分力をつけられていると思う。
「前へ! ……少し踏み込みが出遅れましたね」
俺の木剣はエリシアの木剣に止められていた。
ユリスの助言も聞いた俺は、魔法の訓練と合わせ、すぐに剣術や武術の稽古も始めた。魔法や龍眼の力を使えないときのための護身手段として。だから、いっさい魔法は組み合わせないで訓練をしている。
しかし全然成長している気がしない。自分一人で素振りする分には、振りや踏み込みが速くなったと実感するのだが……
俺は木剣を下げて言う。
「まだまだだな……」
「そんなことはございません! アレク様の成長には目覚ましいものがございます! アレク様の剣が速すぎて、私も避けるばかり。思わず腰が……」
エリシアは大げさに腰を叩いて答えた。
同じく木剣を手にしたメーレも頷く。
「エリシアたちが強すぎるだけ。アレクは強くなってるよ」
俺はメーレよりも弱い。メーレは元悪魔であることもありそもそも人間より身体能力が高いが、それでも俺より剣術の上達が早い気がする。
「そうです。体格差もありますからね」
エリシアもそう言って励ましてくれた。
他にも相手をしてくれるセレーナやアリュシアも、俺のことをよくやっていると言ってくれる。唯一厳しいのは、格闘技を教えてくれるエルブレスぐらいか。「そんなんじゃ駄目だ!」と言って俺を厳しく指導するが、エリシアによく叱られている。
俺もエルブレスの言う通りだと思う。
圧倒的な力……それがないと、皆を守れない。メーレやエリシアたちが取り戻したいものも、これでは取り返すことができない。
そんな中、メーレが俺に言う。
「少し、休憩しない?」
「そう、だな。この後は魔法もやらないといけない」
俺がそう言うと、エリシアが少し顔を曇らせる。
「アレク様……ご無理はなさらぬように」
「ありがとう。もちろん、定期的に体は休めるよ」
俺はそう言って、近くのベンチに座った。メーレとエリシアも腰を落とす。
手ぬぐいや水を受け取りながら、俺はアルスの景色を眺める。
魔法や護身手段のことだけではなく、俺は考えなければいけないことがある。
まずは決戦の日を未然に防ぐこと。これなら異形になる事態も避けられるし、犠牲も少ないはずだ。
これは魔王領と拝夜教団を抑えれば成し遂げられる。ユリスは外を、俺はリュセル伯爵に集中して対応すればいい。
次に考えなければいけないのは、俺が異形とならざるを得なかったときのこと。俺は何とか自分を制御する必要がある。
しかしその制御の方法は全く不明だ。ユリスの話では、俺の中の悪魔がその制御を乱すのかもしれないという。
事実、その可能性は高い。
闇の紋章を持つ者は恐らく、もとの人格と悪魔の人格が混在している状態にある。闇の魔法を使うことでその均衡は悪魔に偏り、結果俺たちの知る悪魔と化してしまう。
今まで悪魔化した者を思い出せば、もとの人格が残っている者も多かった。ティカとネイトの幼馴染、エネトア商会長の息子は死に際に元の人格を垣間見せた。メーレは体の自由はないものの明らかに人格を保てていたし、ルスタフに至っては体の自由すらも取り戻せていた。
一方の俺は、闇魔法を使っても完全に人格を自分のものにできている。
その理由は、やはりこの紋章【深淵】なのだろう。
では、異形になれば俺は悪魔に人格を乗っ取られるのだろうか。しかし異形化した俺は悪魔をも攻撃した。悪魔が悪魔を攻撃したのは聞いたこともない。つまり異形は悪魔ではない。
競馬場に行っても結局悪魔の声は聞こえなかった。あの悪魔はもう俺の人格に飲み込まれているのだろうか。
俺は手の甲の【深淵】に視線を落とす。
いずれにせよ、この紋章が悪魔と天使に特別な力を発揮することは確実。ミレスでこの謎を解き明かすことができれば、異形化しても大丈夫かもしれない。
問題はミレスに行って、謎が解消されるかだが……
それでもミレスには、世界最高峰の魔法の知識がある。
闇魔法だけじゃなく、色々な魔法を学んでみよう。やり直し前と違い、今の俺は眷属のおかげであらゆる魔法を使うことができるのだから。
そんな中、メーレが隣から声をかける。
「よかった」
「え?」
「いや、ずっと難しい顔で心配だったけど、解決したみたいだからさ」
「解決したわけじゃないけど、やるしかないからね。とはいえ、もっといろいろ勉強しないといけないなって」
「大学では手分けして別の魔法を学ぶ手もあると思う。私とアレクで」
「おお、それもいいな。でも、メーレ……本当に一緒に大学に来てもらっていいのか?」
メーレも姉のことを心配しているだろう。大学にいることで、実際の調査は難しくなる。
メーレは首を横に振る。
「アレク。まず最初に言っておくと、私は誰かを犠牲にしてまでお姉ちゃんを助けたいとか、そんなことは思っていない。それは私の願い。アレクたちと一緒に、決戦の日に対応するのが何より大事だから」
それにとメーレは続ける。
「お姉ちゃんは拝夜教団に関わっている。決戦の日のために動いていれば、必ずどこかで手がかりは掴めるはず。エルブレスさんみたいに、私もまずは一番求められているところで頑張るよ」
それが俺の護衛。俺としてはこれほど心強いことはない。
「ありがとう、メーレ。だが、もちろんお姉さんも必ず取り戻す」
「うん……長くなりそうだけど、お互い頑張ろう」
頷き合う俺たち。
そんな中、ティカが俺のもとにやってきた。
「アレク様、ご報告が」
「報告?」
「はい。闇魔法の研究棟を警備していた鼠人からの報告で、マレンに動きがあったと」
マレン。ミレス大学の生徒で、俺と同じ闇の紋章持ちで友人だ。俺より年上で十二歳ぐらい。しかし人ではなく、人より長命のエルフのようだった。
マレンは自分で魔力を行使せず、闇の召喚魔法で悪魔を召喚する研究をしていた。その悪魔を用い、故郷を救いたいと言っていたが……
「マレンに何があった?」
「それが、急遽大学を去るようです」
「やめる、ってことか?」
「いえ、しばらく大学を留守にするので研究棟を空けたいと大学側に。警備の話では故郷からの手紙を読んでから、一目散に大学の職務室に向かったと。その後ミレスから、ヴェルトワ行きの船に乗ったようです」
「ヴェルトワ。帝国の北西にあるノストリア連邦国の港だな」
ノストリアは小さな部族が連合している国家。人口も少なく、土地は荒れている。帝国に北へ追いやられたエルフたちの住む地域でもある。
「いかがしますか、アレク様?」
「マレンは故郷を救いたいと言っていた。故郷で何かあったのか……」
エリシアも不安そうな顔で呟く。
「彼女は確か、悪魔を」
「ああ。召喚しようとしていた……その研究は失敗したが、まずい事態になるかもしれない」
故郷のためにマレンが闇魔法を使う事態になるかもしれない。
「ティカ、よく報告してくれた。鼠人も褒めてやってくれ」
「はい! ユリス様にも報告いたします。そしてヴェルトワにもすぐに諜報網を広げます」
「ありがとう」
ティカがそう答えると、エリシアが訊ねてくる。
「行くのですね、ヴェルトワに」
「ああ。まだ船が着くまで数日あるはずだ。先回りする」
メーレも頷いて言う。
「私も行く。これから一緒の研究棟に行くわけだし。顔合わせのためにも」
「分かった。マレンの紋章は【冥王】……非常に強力な闇の紋章だ。杞憂であればいいが、悪魔化はなんとしても止めないと」
そうして俺たちは、ヴェルトワへと向かうのだった。