181話 取り戻せないもの
帝都の修道院に到着した俺は、闇の紋章を持つリーナを探した。
干し草を運ぶ若い男は俺に気が付くと声をかけてくる。
「これはアレク様。いつも俺たちの作ったものを買ってくれてありがとうございます!」
「いいや、こちらこそいつも助かっている。種とか木の実とか色々な種類を用意してくれるし」
鼠人の食べたいものは、だいたいここの人たちが作ってくれていた。アルスの食料事情はここの人々が支えてくれているといって過言ではない。
男は俺に言う。
「そういえば、エリシアさんから聞きましたが、俺たちをもっと暮らしやすい場所に連れていってくれるとか」
エリシアは、修道院で信頼のおける者にそれとなくアルスに来ないか聞いてくれていたと言っていた。
男は頭を下げる。
「何から何まで、本当にありがとうございます。ただ、皆にもし他の場所に住めるとしたらどうするって聞いたんですが、皆ここ以外に住める場所がどこにあるのかと本気にしなくて。せっかくのお申し出だったのに申し訳ありません」
「気にしないでくれ。無理に来てもらおうと思ってはいない。今後も物資を買わせてくれるとありがたい」
「ありがたいお言葉です。俺もですが、なかなか皆、踏ん切りがつかなくて。帝都に家族がいる者も多いですし」
闇の紋章を授かる前は普通に暮らしていた者も多い。いつかまた家族と暮らせるかも……諦めきれない者も多いのだろう。今も家族と定期的に会っている者もいるはずだ。
「その気がある者だけでいい。俺たちはいつでも歓迎する」
「本当にありがとうございます、アレク様」
男はそう言って頭を下げた。
この人にリーナがどこにいるか聞いてみるか。
「そういえばリーナは?」
「あいつは今、広場のほうで剣の稽古をしているはずです。ここ数カ月はずっと毎日木剣を振ってますから」
リーナの紋章は【夜刀】。闇の魔法と剣術に恩恵のある紋章だ。
俺がそれを伝えると、リーナは剣の腕を磨くと言っていた。才能があるだけでなく、剣術を好きになっているのかもしれない。
「今や、年上の男ですら敵わないほど。まああの子は落ち着いているんで、他の子どもの子守り役になって助かりますがね。とにかく、広場に行けば他の子どももいるし、どこにいるか分かるはずです」
「ありがとう。行ってみるよ」
男は「それじゃあ」と手を振って去っていった。
そうして俺は、闇の紋章を持つ人々が住む居住区へと向かう。
昔来た時は建物がボロボロだった印象だが、だいぶ補修が進んで綺麗になっている。俺たちに物資を売って得たお金で直したのかもしれない。
居住区の中央へと歩いていくと、カンカンと軽快な音が響いてくる。見えてきたのは、木剣を持って打ち合う子どもたちだった。
「いた」
そこには俺が探していたリーナもいた。
「はあっ!!」
「くっ!?」
リーナは木剣を振るい、男の子の木剣を弾き落とす。次に別の男の子がリーナの後ろから木剣を振りかぶるが、リーナはすぐに振り返り木剣を振るった。
「遅い!!」
リーナは男の子の木剣を弾き飛ばす。
周囲で見ていた子どもたちは拍手を鳴らし、感嘆の声を上げた。
「すげえ」
「誰かに教えてもらっているわけでもないのに……」
リーナは手拭で汗を拭うと、得意げな顔で答える。
「私はまだまだこんなものじゃないよ。この国一番の剣士になるんだから! ……あっ」
リーナは俺のことに気が付いたようだ。
俺が手を上げると、リーナはこちらに駆け寄る。
「アレク! 今日はどうしたの?」
「ああいや、実はリーナに話があってな。大事な話なんだ」
俺がそう言うと、周囲の子どもたちが茶化すように「婚約の申し出だ」とか口にする。
するとリーナはそちらをじろりと睨んだ。
「ひっ!」
「私はアレクと大事な話があるから、皆はちゃんと洗濯と掃除頼むよ!」
リーナがそう言うと、子どもたちはすぐに広場から散っていった。
そうして俺とリーナは広場のベンチに座った。
「大事な話って……まさか本当に婚約?」
リーナは恐る恐る訊ねてきた。
「いや、ごめん、違うんだ……」
「なーんだ。ちょっと残念」
リーナは少し不満そうな顔で答えた。モテたい年頃なのかな……
「ちょっと真面目な話をしにきたんだ」
「アレクを探していた人たちのこと? あの人たちなら最近、静かになったというか」
至聖教団の動きを俺たちは把握している。そしてその勢力も大いに削いでいる。特に帝都の至聖教団の活動はだいぶ静かになっているのだろう。
「一応それに関係していることだけど……ちょっと長くて難しい話になるかもしれない。それでも聞いてくれる?」
「もちろん! アレクのおかげでみんなの暮らしが楽になった。私が剣がうまいことも教えてくれた。ぜんぶ、アレクのおかげだもん」
リーナはそう言ってくれた。
闇の紋章を持つ者は、もともと厳しい環境にいた者も多い。普通の子どもより世間の冷たい目に晒されてきた。しかしリーナはその中でも大人びているように見える。
リーナはエリシアが眷属になったときも話を合わせてくれた。本当は俺たちについていきたいとも言っていた。俺の話を信じてくれるだろう。
といっても一気にこちらが一方的に話すことはよくない。俺は天使と悪魔についてまず話した。そして彼らが最終的に決戦を行い、人間を滅ぼしてしまうかもしれないという話を。
リーナはそれを冷静に聞いていただけでなく、こう答えた。
「私も知っている。昔、この修道院で暮らしていたおじいちゃんが言っていた。いつか、最後には闇の紋章を持つかどうかなんて関係なくなるって」
意外……ではない。ルスタフが知っていたように、各所で細々と言い伝えとして残っているのだろう。
「そのおじいちゃんは?」
「もう死んじゃった。だけど、自分が子どものころおじいちゃんに聞かされていたって言っていた。聞かされたけど、五十年以上何も起こらなかったって」
「そう、か」
「まさか……アレクは、それが本当に起こると思っているの?」
リーナの問いに俺は頷く。
「そう思っている。とても信じられないかもしれないけど……俺はそれを止めたいんだ」
リーナは笑うことも馬鹿にすることもなく、俺に言う。
「私はアレクを信じるよ。でもそれを聞かせてくれたってことは、それがもうそろそろ起きるってこと?」
「いや、まだ十年はあるはずだ。だから、リーナにも協力してほしかったんだ」
「協力するよ……といっても、私はミレスに行かなきゃいけないけど」
「え?」
その言葉に俺は一瞬戸惑った。
「ミレスに?」
「うん……これ見て」
リーナはポケットに入れていた、くしゃくしゃの手紙を俺に見せてくれた。
手紙の差出人はリュセル伯爵。宛名はライナとある……内容は、ライナをルイベルの護衛としてミレス大学に入学させたいというものだった。
このライナというのは状況から察するにリーナのことなのだろう。
リュセル伯爵はどうやら修道院の神官から、剣に優れるリーナのことを聞いたようだ。
ティカとネイトにはリュセル伯爵の手紙を確認してもらっていたが、さすがに何百人ものルイベルの護衛候補への手紙を一字一句確認するのは難しい。しかも手紙には、リーナではなくライナとあった。
これは偶然か? それともリュセル伯爵は何かを嗅ぎつけたのだろうか。
手紙には、リーナの廃嫡を取り消すよう皇帝に願い出ると記されていた。リーナの両親にもすでに話は通してあると。
察するに、リーナは闇の紋章を授かり、家族から絶縁されてしまったのだろう。自分の子が闇の紋章を持っていることを恥と捉える家も多い。
ライナという名前は、リーナのかつての貴族の子であったときの名前か。
貴族階級なら、それなりに幼少時からマナーも教え込まれているはずだ。他の子より大人びているのも理解できる。
リーナは手紙をぎゅっと握る。
「……少し前に、お父さんとお母さんが修道院に来たの。ぶったり怒ったりして悪かったって。殿下の護衛になれるなんて、とても名誉なことだって。もう一度、家で暮らそうって」
リーナの目には涙が浮かんでいた。
「お父さんもお母さんも、私が闇の紋章をもらう前みたいに優しかった……あの日、私を追い出したのが嘘みたいに」
くしゃくしゃの手紙……手紙を見た時のリーナの心情が窺える。怒りや悲しみ、その中に少しの希望を見出したのかもしれない。
俺もかつて同じ思いをしたから分かる。紋章を授からなかったら、紋章をもらう前に戻れたら……やり直したい思いはずっと頭によぎっていた。
「ルイベル殿下の護衛になれば、お父さんとお母さんとまた一緒に暮らせる……」
確かにそれはそうだろう。しかし、それでいいとは俺は思えない。両親は、リーナに利用価値が生まれたからリーナを戻したいだけだ。
「……駄目だ、リーナ」
俺は思わずリーナの手を握ってしまった。リーナは驚いた様子でこちらを見る。
リュセル伯爵がどうかは二の次だ。リーナ自身のためだ。
「もしまた何かあったら、君のお父さんもお母さんもまた――」
再び、リーナを簡単に切り捨てるだろう。そうなったら、リーナはもう立ち直れないかもしれない。
しかしリーナは声を震わせた。
「……私がずっといい子でいても……駄目かな?」
まだ両親と離れて、二、三年も経っていないはずだ。俺も同じ立場なら、未練が残っていただろう。何もなかったように、前のように仲良く暮らせるんじゃないかと。
俺はリーナの手を強く握った。
「……リーナ、君は強い子だ。だから分かるだろう? もとには戻らない。俺たちは、ずっとこの闇の紋章を持って生きていかなければいけないんだ」
リーナはそれを涙を流しながら黙って聞いていた。
「家に戻ったとして、この手の紋章が消えることはない」
俺が言うと、リーナはやがて深く頷いた。
「アレクの言う通り……”闇の紋章を持つお前なんて私たちの子どもじゃない”。お父さんもお母さんも、確かにそう言った」
リーナはふうと大きく深呼吸すると、手紙をびりっと破った。
「断るよ。私の家族は、ここのみんな。そのみんなのために、私はアレクに協力する」
「……ありがとう、リーナ。必ず、リーナや皆がこれからも安心して暮らせるようにする。そのために協力してほしいんだ」
そう言って俺はアルスのこと、決戦の日に向けて俺がやろうとしていることを話した。リュセル伯爵のこともだ。
リーナは真剣な表情で聞いてくれていた。
「ごめん……こんなことを突然」
「ううん。アレクがなんで私たちにこんなに良くしてくれるのか分かってよかったよ。なんというか、大変なことになっているんだね……」
「ああ。ここにいる皆を守るためにも、天使と悪魔の戦いを止める必要がある。止められなければ、立ち向かう。そのために俺たちは動いているんだ」
「分かった。それで私にもミレスに来てほしいわけだね」
「そういうことだ」
俺が頷くと、リーナは何か思いついたのか小さく笑う。
「ならさ……私がスパイになるよ」
「スパイ?」
「私がルイベル殿下の護衛になる。リュセル伯爵がルイベル殿下や他の護衛に何か指示を出すかもしれないでしょ? そうしたら私がアレクに知らせられる」
俺は首を横に振る。
「危険過ぎる。リュセル伯爵には四六時中監視をつけているし、そこまでする必要はない」
「でも、そのリュセル伯爵はなかなか正体を現さないんでしょ? ルイベル殿下の近くだから分かることもあるかも」
リーナの言う通り、リュセル伯爵は徹底して尻尾を出さない。しかしルイベルと一緒に行動していれば、小さな異変に気が付くかもしれない。
「しかし、もしリュセル伯爵がリーナと俺たちが通じていることに気づいたら……」
「大丈夫だって。それにもし私がルイベル殿下の護衛を断ったら、なんで拒んだのか、私やこの修道院をリュセル伯爵が調べるかも」
「この修道院は必ず守る」
「だったら、護衛の私も守れるでしょ?」
リーナはそう言って譲らなかった。
リーナのことは抜きにしても、ルイベルの護衛にこちらの人員を送り込んでおいてもいいかもしれない。
ルイベルのことを心配しているわけではないが……大学で惨事が起こることは避けたい。リュセル伯爵の真意は気になるが、犠牲者が出ることだけは避けたいのだ。
「分かった。ただ、俺の仲間とも相談させてくれないか。リーナだけじゃなくて、他にも仲間をルイベルの護衛として送り込みたい」
「私は構わないよ。ふふっ。昔、スパイの物語をよく読んでてさ。悪の組織に潜入して色々調べたり騙したりするの。あんな感じみたいで楽しみだなって」
「おいおい、遊びじゃないよ?」
「はいはい、分かってるって」
リーナは子どもっぽく笑う。
「……それよりもアレク、これからもよろしくね」
一転してリーナは真剣な面持ちになる。家族のことは諦め、俺を信じてくれた。
リーナやここの人たちのためにも、俺は頑張らないといけない。
「ああ。こちらこそ……絶対にリーナやここの皆は守る」
「私もアレクの助けになるよ」
俺とリーナは握手を交わし、頷き合った。
こうして俺はリーナの協力を得ることに成功するのだった。