178話 希望
俺はユリスを抱え、地上へとゆっくり降りていった。
アリュシアとセルナもすでに戦いをやめ、ユリスの乗っていたペガサスを連れて降りてくる。
エリシアたち眷属も同じように俺のもとへ集まってきた。エリシアはやはりアリュシアの様子を気にしているようだった。
着地した俺は、ユリスをゆっくりと立たせるように下ろす。
「ありがとう」
「あ、ああ」
そう答えると、ユリスはすぐにウテリアへ顔を向けた。
「ウテリア、悪いけど」
「承知しました、神々の子よ」
ウテリアは鳥たちに目配せした。鳥たちが一斉に鳴き声を上げると、周囲のヒストや護衛たちは次々と眠りに落ちていく。
「眠らせました。また催眠もかけました。今日一日の記憶は夢のように感じるでしょう」
ユリスは俺との会話を護衛やヒストたちに聞かれたくなかったのだろう。そしてユリスとウテリアは知己の間柄のように見えた。
ユリスは仮面を外した。確かに正真正銘のユリスだった。俺も仮面を外す。
目が合うと俺とユリス。どこか気まずさを感じる。
しかしユリスはすぐにウテリアに顔を向けて尋ねた。
「ありがとう、ウテリア。けど、これはどういうこと?」
「神々が彼を敵と仰ったのです」
「知っているわ。何度もそう聞いたから。そうではなくて──なぜ私を呼んだの? 危うくアレクを傷つけてしまうところだった」
「申し訳ございません。ですが神々がそうせよと仰ったのです。あなたをこの地に呼べ、と」
「へえ。それは初耳ね。なぜかしら?」
「何か理由があるのでしょう。あなたが神の敵を前に何もしないことも関係しているはず」
「何度も言うけど、彼は神の敵なんかじゃない。絶対にね」
ウテリアはそれを聞いて一瞬眉を上げた。
「はて……恐れながら、初めて耳にいたしました」
「前のあなたに何度も話しておいたのよ。あなたが嫌だというまでね」
「なるほど……よく分かりませんが、なんとなく理解いたしました」
「相変わらず察しがよくて助かるわ」
──知り合いかと思ったが、ユリスとこのウテリアは初対面らしい。だがユリスは、以前のやり直しの時に別のウテリアと会話していたのだろう。
ユリスは俺に顔を向けた。
「驚いたわ。まさかあなたが過去の記憶を引き継いでいたなんて」
「ああ。自分で覚えていたのは一つ前のやり直しだけだが……ユリスは、その」
「察しがいいわね。さすが私の……」
咳払いして、言い直す。
「お察しの通りよ」
「そう、か」
やはりユリスは、やり直しを繰り返していた。
「同情は要らないわ。ある意味で私のわがままで繰り返していただけなんだから……」
ユリスは少し顔を曇らせた。
やり直しのたびに他者が苦しむ光景を見てきたのだ。その罪悪感を背負っているのだろう。
だが、それは俺や人々を救うため、死の運命を変えるためにしたことだ。
「わがままなんかじゃない。ユリスは何も間違っていない」
そう告げると、ユリスは一瞬眉をぴくりと動かした。しかし無表情を崩さないまま答える。
「あなたはあなたね、アレク……それよりも聞かせて。あなたが見たその日に、何をしたのか」
俺は頷き、やり直し前の出来事を語った。
ユリスは静かに聞き、やがて口を開いた。
「そう……闇魔法を自分で使ったと。考えたことはあったけど、絶対に使えないと思っていたわ」
その声には、寂しさのような響きがあった。ユリスの見てきた数多のやり直しでは、俺が闇魔法を使うことはなかったのだろう。
俺が死んでも誰も悲しまない。せめて闇魔法が本当に使えないのか確かめたかった。
──もしユリスと仲が良ければ、そんなことは絶対にしなかった。その日を迎えなければ。
俺の知るやり直し前の記憶では、ユリスは俺と関わらなかった。それもまた、彼女なりの意図があったのだろう。
だが皮肉にも、その無関心こそがユリスの知らぬ展開を呼んだ。
「盲点だったわね。あなたもやり直しの力を持っていたなんて……いえ、あなたの紋章なら考えついてもおかしくなかった」
「俺の紋章は……やはり悪魔になるのか?」
「違うわ。その紋章は、あなたを天使でも悪魔でもない存在に変えるの」
やり直し前の記憶を思い返す。
あの日、俺は異形と化し、襲い来る天使と悪魔を葬っていった。
ユリスの言葉通り、俺は悪魔ではない。ひとつ疑問が解けたのはよかった。
だが、いずれにせよ異形になる可能性は残る。自分を制御できなくなる懸念も変わらない。
「天使も悪魔も俺を襲ってくるのは、この紋章のせいか。この紋章は一体……」
「分かっているのは、天使と悪魔の敵である印であるということね。今のこの状況を創り出した理由でもありそうだけど」
「闇魔法とやりなおしのことだな」
「ええ。でも、それだけではないと思うわ……まず、私の考えでは紋章は一種の役割だと思うの」
「役割?」
「ええ。ウテリアの言葉を借りれば、神々が私たちに授けたものらしいわ」
ウテリアは深く頷いた。
「仰る通りでございます。我らは神々がお決めになった役割に従い、生きているのです」
「癪な話だけど……現実には、その通りになっているのよね」
ユリスの見立てには、俺も頷かざるを得なかった。
優れた紋章を持つ者は良い地位につき、逆にそうでない者は蔑まれ、迫害される者さえいる。紋章がこの世界を形作っているのは紛れもない事実だ。
ユリスは続ける。
「そしてアレク……あなたの紋章は、この世界を終わらせるためにあると思う」
「世界を、終わらせる?」
「見たでしょう。その日のあと、世界に何が残っていた?」
「それは……」
俺はすべての天使と悪魔を倒した。だが他の生物は見当たらなかった。ただ一人、ユリスを除いて。
「俺が天使と悪魔を倒す役割を……?」
「なぜそうするのかは分からない。けれど実際、あなたは何度も天使と悪魔を滅ぼしてきた。例外なく」
ユリスの声を聞いたセレーナが、愉快そうに言った。
「ではアレク様の前では、天使も悪魔も敵ではないと! さすが我らのアレク様!」
他の眷属たちも歓声を上げる。
理屈としては間違っていない。この【深淵】には天使と悪魔を倒す力が宿っている。
異形と化した俺は自分の意思ではなく、天使と悪魔を滅ぼし尽くす。
だが恐らく俺は……
ユリスは察したのか、静かに言った。
「アレクの死と引き換えにね」
一瞬で場が静まり返る。
すぐにエリシアが俺を後ろから抱きしめた。
「駄目です!! そんなことは絶対にさせません!」
「ああ! アレク様が犠牲になるぐらいなら、私の命を代償にする!」
セレーナも叫び、他の眷属たちも口々に同意する。
エリシアは俺の前に跪き、涙を浮かべて言った。
「アレク様……何をご覧になったのかは分かりませんが、どうか」
「心配するな、エリシア。俺も……そんなことは絶対させない」
俺もエリシアを優しく抱き寄せる。
俺が見たその日では、エリシアたちも死んでしまったのだろう。ユリスの知るやり直しの世界でも、その可能性は高い。
それだけは防がなければならない。
そのためなら、最悪自分が異形と化し、命を落とそうと悔いはない。
拳を握りしめる俺に、ユリスが声をかけた。
「アレク、そんなに思い詰めないで。私の知る限り、今回は最良の展開よ」
表情は無表情のまま。だがその声は温かかった。
ずっと俺を見てきた彼女だからこそ、顔を見れば分かるのかもしれない。
エリシアもそれを聞いて安堵したのか、俺から離れ涙を拭った。
ユリスはさらに言葉を続けた。
「まず今のあなたは、異形にならずとも異形に近い力を手にしている。正直、剣術や体術はもっと学んだ方がいいけれど。努力すれば帝国でも指折りの剣士になれるわ」
「そうなのか?」
「ええ。それに剣だけじゃなく槍や弓も──いや、余計なお世話ね。ともかく接近戦の対策は念入りにすべきよ。その日の天使と悪魔の強さは、さっきの私とは比べものにならない」
「わ、分かった」
ユリスは頷き、言葉を続けた。
「必要なら、剣は私やアリュシアが教えられるわ。私の知っていることと、今のあなたたちの力を合わせれば、今度はきっと──いえ、必ず上手くいくわ」
その言葉は何とも心強く響いた。
紋章を授かる前はともかく、今の俺にはユリスと話した記憶は少ない。だがそれ以前のユリスは、ずっと俺の近くにいてくれたのだろう。
「ありがとう、ユリス。ユリスの今までのやり直しは絶対に無駄にしない」
ユリスは一瞬目を見開き、それから少し沈黙した後に首を横に振った。
「お礼は、その日のあとでいいわ……他にも話したいことや共有したいことはあるのだけど、場所を移しましょう。あなたの計画も聞きたい」
「分かった。なら、アルスに来ないか?」
「……アルス? ティアルス州のアルス? 領主として向かったのは聞いたけど、本当にあそこで暮らしているの?」
「ああ。とてもいいところだ」
「そう。なら、帝都の拠点で用事を済ませてから行かせてもらうわ。邪竜の角を置いてきたいから」
ユリスが言うと、ユーリが声を上げた。
「あ! 角でしたら、また私たちが加工しましょうか?」
「その声は……確かローブリオンの工房で……」
ユーリは仮面を取って頭を下げる。
「ごめんなさい。隠すつもりはなかったんですが」
「いえ、気にしないで。なら拠点に貯めている素材もお願いしちゃおうかしら」
「お任せください! あと、気が早いかもしれないですけど、ウェディングドレスとかも作れるので!」
ユーリの口を、エリシアが慌てて押さえた。
「気が早すぎるどころじゃないでしょう!! ごめんなさい、ユリス様。このユーリはお調子者で……あっ、私はアレク様の第一の眷属エリシアです」
そう言ってエリシアは仮面を取る。
「あら……」
ユリスはすぐにエリシアの顔を見て察したようで、次にアリュシアへ顔を向けた。
アリュシアも仮面を取って名乗る。
「私はユリス様の第一の騎士、アリュシア。お見知りおきを」
しかしエリシアに視線を向けたのは一瞬だけで、すぐに正面へ戻す。
アリュシアはエリシアのことを覚えていないのか……
エリシアもその反応を見て、言葉を飲み込んだ。
ユリスは皆を見渡し、口を開いた。
「……皆の自己紹介も聞きたいわね。でも、まずはアルスに行きましょう」
「そうしよう。用が済んだら、帝都のエネトア商会に来てくれ」
ユリスは頷くと、ウテリアに視線を向ける。
「ウテリア。あなたには私を手伝ってもらうわ。アレクのことは目を瞑れる?」
「あなた様が仰るのなら、言葉通りにいたします。殿下のことも決して口外いたしません。私はすでに役目を果たしましたゆえ」
「果たした? まだまだやることは残っているわよ……」
そう言ってユリスは俺に顔を向けた。
「じゃあ、行くわね」
ユリスとアリュシアたちはペガサスに乗り、空へと舞い上がった。
その後、俺たちも採石場からアルスへ帰還するのだった。
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採石場の上空。
セルナは先頭を行くユリスに話しかける。
「アリュシアとそっくりな超美人さんとか、殿下も過去の記憶を持っていたとか、色々驚きですけど……ユリス様は、あまり嬉しくないんですか?」
「嬉しいわよ」
淡々と答えるユリス。
セルナは納得いかない顔で続けた。
「そうは見えなかったんですが……あれだけずっと『アレク、アレク』と言ってたのに。ニヤニヤしながら抱きつくかと思ったのに」
アリュシアも口を開く。
「アレク様がユリス様の過去の記憶の断片を共有していた。そして今回は強大な力を手にしている。大変喜ばしいことだが……」
ユリスはふっと笑った。
「あなたたちはまだ子供だから分からないのよ。乙女心がね」
「乙女心、ですか」
ユリスには似合わぬ言葉に、アリュシアとセルナは顔を見合わせ、首を傾げる。
冗談を口にしたユリスだったが、前を見つめる顔はどこか寂しげだった。
──私も考えたことはあった。アレクは闇魔法を使えるんじゃないかって。
けれど、それはさせられなかった。アレクが悪魔になったら。アレクが死んだら。そう思うと、闇魔法を使うように誘導することはできなかった。
私は何度もやり直してきた。しかし、その日の前に全てを諦めることだけはしなかった。最期までアレクと抗うことを選び続けてきた。
だが、それでは何度繰り返しても上手くはいかなかった。
このままでは駄目だ──そうして私は、アレクに直接干渉しない今回の道を選んだ。
実際には、アレクの死に繋がりそうなことは裏から排除してきた。刺客や暴漢を密かに取り除いてきたのだ。会うことや言葉を交わすことだけ避けた形だった。
そんな中、アレクは意外にも逞しく生き始めた。魔法が使えないのに勉学を続け、賭け事で金も稼いでいた。私は安堵すると同時に、少し物悲しさも感じていた。
──私がいなくても、アレクは生きていけたんだ。
そして自ら闇魔法を使い、結果としてこの世界線を生み出した。
ずっと寄り添い励ましてきた今までの私はなんだったのか。アレクに、私は不要だったのかもしれない。そんな無力感に襲われた。
けれど……最後にアレクは言ってくれた。私のやり直しを無駄にしないと。
その言葉に救われた気がした。記憶をほとんど覚えていなくても、やっぱりアレクはアレクだった。
ペガサスに跨りながら、ユリスは小さく笑みを浮かべる。
「やっぱり、私のアレクね……」
あの日を見た今のアレクと私なら、必ず乗り越えられる──
ユリスは心の中でそう言い聞かせるのだった。
いつも読んでいただき誠にありがとうございます。
更新が遅くなってしまい大変申し訳ございません……次回を五章の最後とし、六章に移りたいと思います。引き続きご覧いただけると嬉しいです。
また、他作品で恐縮ですが宣伝させてください。
なろうで掲載している『万年ヒラ教師の支援魔術師、最強の賢者になる』という拙作が、フルカラーの縦読みマンガになりました。
製作していただいたのはbooklista様。配信開始ストアは以下の5サイトです。
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