175話 翼
「アレク様!!」
エリシアの声が聞こえてくる。眩い光の中、エリシアがこちらを心配そうに覗き込んでいるのが分かった。
「エリシア、先に目覚めたか──っと」
俺は周囲の騒々しさに気がつく。
あたりを見渡すと、眷属たちが比較的小型の天使たちと戦闘を繰り広げていた。
幻覚を見なかった魔物たちを中心に、セレーナやメーレたちも目を覚ましたらしく魔法や剣で応戦している。
「おお! アレク様が目覚めた!」
セレーナが言うと、周囲から歓喜の声が上がる。ユーリやリーシャも目覚めている。
皆、幻覚から無事に戻ったようだ。まだ眠っているティアや他の眷属たちも、目覚めた仲間たちによって起こされていた。
「よかった……俺が最後だったか」
「私が最初に目覚めましたが、アレク様もすぐに起きましたよ。セレーナさんとかは、私が頬をひっぱたいて起こしました」
エリシアの言う通り、セレーナの頬は少し赤くなっていた。
「そうか。ともかく、この状況をなんとかしないとな」
俺はそう言って体を起こした。
いつの間にか、天使たちが何十体も現れていた。
眷属の魔物たちは、その天使たちと激しく戦っていた。
だが、現れた天使たちはこれまで見た天使たちとは異なり、小さく貧弱だった。リンドブルムのモノアの雷魔法を受けると、瞬時に霧散してしまう。
モノアだけではない。鎧人たちも、雷や炎の魔力を付与した武器で次々と天使を倒していった。俺たちが幻覚を見ていた間も、戦線は維持されていたようだ。
「俺たちもまずは天使を倒そう」
「はい!」
エリシアは刀を抜き、すぐさま天使に向かっていった。
俺も闇魔法を放ち、天使を攻撃する。天使は聖の魔力で壁を作ったが、俺の闇魔法であっさりと撃ち抜かれる。
「……さっき戦った鎧の天使と違って、脆いな」
だが、天使は倒しても倒しても、次々と聖域の各地から湧いてくる。どれだけ速く倒しても、まったく減らない。
無理もない。この聖域に満ちる聖の魔力は、ほぼ無限だ。この力で次々と天使を召喚しているのだろう。
「キリがないか……」
俺はウテリアを探す。すぐに見つかった。先ほどと変わらず、捕らえられたまま微動だにしていない。
ただ、時折、祈るように聖歌を口ずさんでいた。
……呪文、だろうか。
だが、ウテリアの周囲の魔力に異変はなかった。俺が視線を向けると、すぐに口を閉ざしてしまう。それでも天使の召喚は止まらない。
「やはりウテリアは何もしてないか……いや」
先ほどまでは聖歌を歌うような様子はなかった。
俺たちが幻覚から目覚めたことで、ウテリアが新たな手を打った可能性がある。
しかし、直接魔法を使っていないなら、何を──
俺はもう一度、注意深く周囲を観察した。
ウテリアの周囲にいるヒストや護衛たちは、依然として狼狽えている。姿を隠して伏せる者もいない。周りに目立った異常は見られなかった。
さらに遠くまで目を配る。空を見上げると、光に白んだ青空を鳥たちが優雅に飛んでいた。
──何もいない……いや、待てよ。
鳥たち──さっきからこの採石場の上空をずっと飛び回っている。
鼠人を狙っているのか? だが、これだけの戦闘の中でも怯える素振りすら見せない。
俺は龍眼を使って鳥たちを凝視した。様々な鳥たちが盛んに鳴いている。しかし、その中に鳩の姿も見えた。
鳥に詳しいわけではないが、鳩や鷹は人が飼いならせると聞く。それに、鳥たちの鳴き声は、歌にも似た心地よい鳴き声だった。
俺は人の姿で戦うラーンに声をかける。
「ラーン、龍人たちに鳥を捕まえさせてくれ!」
「え? と、鳥ですか!? た、直ちに!」
ラーンと龍人たちはすぐさま龍の姿となり、空へ舞い上がった。
その瞬間、俺はウテリアがまた聖歌を口ずさむのを聞き逃さなかった。
そして遅れて、天使たちが空に上がったラーンたちを優先して攻撃し始める。
──やはり、鳥たちだったか。
「皆、ラーンたちを守れ!」
「はい!」
地上に残った俺たちは、空へ向かう天使たちを撃ち落とした。
ウテリアは、それ以上は動かなかった。
そうしているうちに、ラーンたちは器用に口や腕で鳥を捕まえていった。
すると異変が起きた。召喚される天使たちが目に見えて減っていったのだ。
俺はウテリアに顔を向ける。
「……ずっと鳥に魔法を使わせていたのか。いや、それだけじゃない。俺たちの気配や会話も探らせていたんだな」
ウテリアは、あっさりと首を縦に振った。
「バレてしまっては仕方ありませんな。そう、彼らは私の友人──そして神の忠実な僕」
「もう召喚をやめろ。いくら天使を呼んでも、俺たちには勝てない。大型の天使を出してきても、同じだ」
「そうでしょうな。天使ではあなた方には勝てません。この聖域の中であったとしても……いいでしょう」
そう言うと、ウテリアは短く聖歌を口にした。すると、空を逃げていた鳥たちがウテリアのもとに降りてくる。
そして、天使たちは一体も現れなくなった。
ラーンたちも、捕まえた鳥をこちらへと連れてきた。殺してはいない。解放させると、鳥たちはウテリアの肩や周辺に集まる。
ティカが少し驚いた様子で言う。
「まさか……この鳥たちのせいだったとは。申し訳ございません、総督邸から目にはしていたのですが」
「気にするな。誰が鳥を使ってるなんて思うか。まして、鳥と会話しているなんてな」
ウテリアは指示を出していただけではない。鳥たちと会話するなどして、情報を得ていたのだろう。
俺はウテリアに尋ねた。
「紋章の、【聖奏者】の力か?」
「その通りでしょうな。ただ、主従の関係ではありません。日頃より声を交わし、心を通わせた仲でございます」
ユーリは呆れたようにため息を吐いた。
「ともかく、これで万策尽きたわけね。それで、降伏するの?」
「先ほども申し上げましたが、我らはすでに手を尽くしております」
「裏でコソコソやってたくせに白々しいわね……エリシア、さっさとこんな場所出ましょう」
エリシアは頷くと、両手を空に向けた。
「ええ。アレク様。中断してしまいましたが、私が聖域を破ります」
幻覚を見る前、エリシアは聖域の境界を破ろうとしていた。妨害さえなければ、もう穴が開いていただろう。
だが、ウテリアが口を挟んだ。
「そのようなことはせずとも、聖域はすぐに解かれます──忠実な神の子が──すぐ──ああ、聞こえてきましたな」
ユーリは真剣な顔で言う。
「まだ何かしようって言うなら、流石に私たちももう容赦しないよ」
「我々はもう何も致しませんよ。我々はね」
ウテリアは、近くに集まる小鳥たちを見ながら答えた。
なおも焦る様子のないウテリア。
その時──俺たちの耳に、バサバサと羽音のようなものが遠くから聞こえてきたのだった。
~~~~~
帝都北方の空。
そこには三体のペガサスが、空を駆けていた。
ペガサスに乗るのは、白銀の鎧に身を包んだ長いブロンドの髪の女性、魔導士風のローブをまとった仮面の女性、そして──白いローブに身を包んだ仮面の少女だった。
彼女たちが向かう先には、天まで伸びる光柱があった。その下には、光に包まれた砕石場が広がっている。
「ほ、本当に聖域が……!!」
ブロンド髪の女性──アリュシアは、驚きの声を上げた。
「ユリス様の言うとおりね……よくあんな遠くから気づけるものだわ」
魔導士風の女性──セルナが言い、後ろを振り返る。
そこには、仮面の少女ユリスがいた。
「聖域の魔力は膨大。遠くからでも分かる。それに、鳥が伝えに来てくれたから」
ユリスはそう言うと、自分たちと並行して飛んでいる鳥たちに目を向けた。
夜中に現れたその鳥たちは、聖歌のような鳴き声を発していた。それはユリスにとって、聞き覚えのある声だった。
「鳥を操る男──私が知る限り、ただ一人。マルシアの総督ウテリア。あの聖域を築いた男よ」
アリュシアが訊ねた。
「ですが、あの聖域は本来、最後の戦いの日に展開されるものですよね?」
「ええ。マルシアの聖域──天使を召喚し、人々を悪魔から守る砦。それが、なぜ今」
ユリスがそう答えると、セルナは額に汗を浮かべた。
「……以前戦った邪龍のときのように、今回もユリス様の記憶にない出来事が起きたのですね」
「そう。でも、これはいい兆しかもしれない」
ユリスは少し嬉しそうに微笑んだ。
アリュシアは恐る恐る訊く。
「つまり……今度こそ、世界の結末が変わると?」
「ええ……そんなふうに思えたのは、何百年、いや、何千年ぶりかしら」
ユリスは口元を緩めた。
セルナとアリュシアは顔を見合わせた。
「……ユリス様がこんなに喜ぶのを見るのは、初めてかも」
「アレク殿下のこと以外ではな……」
驚く二人をよそに、ユリスはすぐにいつもの淡々とした口調に戻った。
「私をアレク馬鹿のように言わないで。──いずれにせよ、何者かが聖域を発動させたのは確実。心してかかりましょう」
「はい!」
そのとき、彼女たちの目に砕石場の奥底にいる人々が映った。
「うん? なんか、たくさんいる」
「何者かが捕らえられているようですね」
セルナとアリュシアが言うと、ユリスは小さく声を漏らした。
「……あの仮面の小さい男」
「見覚えあります?」
セルナの問いに、ユリスは頷く。
「ええ。しかも、つい最近──邪龍との戦いで見た男よ。邪龍にやられて、ペガサスから落ちた時……意識は朦朧としていたけど、覚えている。あの独特の仮面は、強烈だったから」
「で、では、邪龍を呼び起こし、どこかへ消失させたのも──」
アリュシアが焦った声で続けると、ユリスは静かに頷いた。
「ええ。そして、やっぱりウテリアもいるわね」
「ウテリアは、天使側の重要人物でしたね」
アリュシアが言うと、ユリスは小さく首を横に振った。
「天使のために戦っているわけじゃない。彼は、悪魔から人々を守るために聖域を築いた人。何度も命がけで人々を聖域に導いていた。結果は……いつも同じだったけど」
「そんな方を捕らえるなんて! しかも邪龍とも関わっている……つまり、あいつらは悪魔側や魔王軍?」
セルナの言葉に、ユリスは沈黙する。
──あの時、仮面の男は。
落下する中、男は、邪龍に飲み込まれそうな自分を助けようとしていた。意識が沈む中、とても懐かしい感覚を覚えた。誰かに抱き寄せられる感覚──それも、最愛のアレクに……
ユリスは小さく首を横に振った。
──ただの錯覚よ。背丈と格好が少し似ていただけ。アレクともう十数年も喋れてないから、少しおかしくなっているのかもしれない。
だが、それでも妙な違和感は拭えなかった。
仮面の男だけでなく、その周囲にいた者たち──彼らも、どこかで見たことがあるような気がする。
さらに周囲には大量の鼠が控えていた。昨今、帝都で話題となっている「鼠の王」との関連も感じられた。であれば、魔族のために戦っている善人の可能性もある。
だが、セルナの言う通り、悪魔側や魔王軍の可能性も高い。邪龍のときだけでなく、あのウテリアを捕らえようとしているのだから。
──ウテリアは生かさなければならない。そして、この聖域も守らなければ。そうしなければ、多くの罪なき者が死んでしまう。
「多勢に無勢……だけど、あそこは聖域。私たちなら圧倒できるわ」
ユリスはそう言うと、杖を構えた。
「行きましょう。あの男を捕らえて、ウテリアを救う!」
「はっ!!」
アリュシアとセルナも応え、三人は聖域へと突入していった。